千の天使がバスケットボールする

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「女優 岡田茉莉子」岡田茉莉子著

2010-03-10 23:36:46 | Book
少女は父を知らなかった。顔は勿論、その名前すら知らなかった。1歳の誕生日の5日めに亡くなったと聞かされた父、その人の名前と最初に出会ったのは、小学校3年生の時に配布された家庭調査書に記された母と自分とは異なる姓の名前だった。しかし、少女はその理由を母に尋ねるようなことはしなかった。やがて、少女は高校生になり、疎開先の新潟の映画館で泉鏡花原作のサイレント映画『滝の白糸』を観る。初めて、それとは知らずに少女が父の面影と出会ったのはスクリーンのうえだった。芸名、岡田時彦。わずか30歳で病に倒れた美貌の俳優、岡田時彦と宝塚歌劇の男性役スターだった母との間に生まれた少女がまもなく演劇研究所に入ることになるのは、遺伝子のなせる自然な流れなのだろう。いや、それはやはり運命としか言いようがない。
職業は女優。芸名の岡田茉莉子の名は、父の葬儀の時に美しい弔辞を読んだ作家の谷崎潤一郎が命名した。父の芸名も谷崎がつけたと少女はきいた。こうして、女優「岡田茉莉子」が誕生した。

表紙の情感がただよいほのかな色気がある端整な横顔は、誰もが思わずふりかえってしまいそうな華がある。これぞ本物の女優の顔である。岡田茉莉子さんといえば、これまでは、時々2時間ドラマで有産階級の奥様役か美容やアパレル系企業の女性社長役がいかにも似合いそうな、ちょっと性格がきつそうだけどおばさんにはなれない(かっての)美貌を誇る中年女性というイメージでしかなかったが、「自伝を書くのはあなたの宿命」とまで言った夫であり映画監督の吉田喜重氏の判断が、決して身内のひいきではないことがわかる。その根拠として、岡田茉莉子さんが自分の言葉で考えてきたことを自分の言葉で語っていること、戦争体験と復興、映画全盛期を迎えながら産業の衰退を身をもって語ること、すなわち女優の視点からの映画の歴史、そして何よりも夫が期待したのはひとりの女性が運命に導かれるように映画女優になって限りなく映画を愛した事実である。

本来の自分のキャラクターとは別の人格を与えられて必死に演じる若き「岡田茉莉子」、そして女優になるために自分自身すら別の「岡田茉莉子」になろうとする私を、もうひとりの素顔の私が俯瞰している、こんな構図に気がついた時、本名・田中鞠子は女優「岡田茉莉子」へとなっていく。本書を読むと、全く自分自身とは違う人格を演じることで世間がかってに先入観をつくり、その期待される枠の中で役が固定されていく若かりし頃の悩みが綴られている。確かに魅力的だが、芸者役もこなさなければいけないアプレゲール女優というレッテル。そんな中で、岡田茉莉子さんは着実に演技力をつけ、会社が求める以上の仕事をこなして成果をだして成長していった。出演した映画の数は180本。本書の中で何度も登場するのが「岡田茉莉子が岡田茉莉子という女優を演じる」という言葉だが、それは生涯の彼女の女優としての夢となっていく。素顔の岡田さんははっきりものを言う方だそうだが、それはいつも一生懸命に全力疾走しているからではないだろうか。俳優や女優が映画会社という置屋の芸者のように縛られた時代から、彼女は大胆にも映画界から追放されるかもしれない覚悟のもとフリー宣言をする。そして演技の幅を広げて出会った映画監督の吉田との結婚。ドイツの小さな町で結婚式を挙げたふたりはそのまま欧州8カ国をめぐる35日間に及ぶ新婚旅行をする。淡々とした文章ながら、そこには夫婦が信頼しあうまるで夢のような旅行の雰囲気が伝わる。このご夫婦ばかりではなく、当時は、インテリジェンスな映画監督と結婚する女優が多かったのも映画に勢いがあった時代のひとつの反映だろう。そして、独立。岡田さんの女優の歴史は、そのまま貴重な戦後日本の映画の歴史でもある。豊富な写真と簡単なあらすじに観たいと思う映画が次々とでてくる。表紙になった吉田監督の『秋津温泉』、裏表紙の『エロス+虐殺』もそうである。映画監督としての夫の才能を誰よりも理解しているのも、妻である女優の岡田さんだ。

平易な言葉で流れるように綴られた文章からは、ひとりの女優の素直なひたむきさと情熱が静かに伝わってくる。女優の自叙伝は、さりげない自己アピールが続くのではないかという懸念にも関わらず本書を手に取ったのも、表紙の横顔の美しさにひかれたからだ。掲載されてる多くの白黒写真の中で様々な役を演じていた岡田茉莉子さんがなんと端整なのだろう。岡田茉莉子さんの職業は、もうひとりの岡田茉莉子を演じる女優だった。


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