映画『天安門、恋人たち』のテーマーを「サーカスな日々」のkomon20002000さまは「ユー・ホンたちは、自由の兆し、解放の兆しに溢れた大学生活の中で、それほど深刻な思想に苦悩するというよりは、「与えられた自由」を満喫するのに夢中で、そのことがまた自分の欲望を再生産するといった、いわば「モラトリアム」な時間というものを持て余しているようにも描かれている。」と表現している。さらに”一般的な都市的環境の中で浮遊している青春像の典型”とも。とても鋭い分析に思わずひざをたたきたくなるのだが、過激な?性愛描写だけでなく天安門事件を扱ったというだけで本作品は、その優れた内容にも関わらず中国国内では今でも上映禁止とされている。
天安門事件から、今年で20年。民主化を求めてかって広場を占拠した知識人や学生は社会の中核にいる。6月4日に近づくと治安当局はインターネットや人権活動家への監視を強化したようだが、今ではすっかり風化したかのような現代学生気質である。
映画の中では、さまざまアジテーションがはられていた当時の北京大学の掲示板(これは日本の”タテカン”とは違う)には、家庭教師の求人広告や部屋の賃貸広告掲示板にかわり、それもインターネットの普及で一昨年には撤去された。天安門事件そのものの概要は知っているが、事件で失脚した共産党書記長の趙紫陽も今時の大学生は名前しか記憶にないし、学生の指導者に至ってはその名前も知らない。これも体制側の報道規制によるものかもしれないが、ひとりっ子で両親の期待を一身にになう彼らの関心は、民主化や政治などではなく、留学や起業であり、就職難もあり一流企業への就職の方がはるかに重要になっている。あの頃の中国人は貧しかった。ユー・ホンはいつも同じ茶色のサイズのあっていないジャケットを着て、女子学生の憧れのイケ面のチュウ・ウェイなんぞはジャージ姿。広場を埋めた学生たちが歌っていたのは、ロック歌手、サイ健の「一無所有」(すかんぴん)だった。そして当時の大学生はエリートであり、よい意味で社会を変革しようと理想をもっていたが、理想よりも現実、就職して『房奴』(マンションを買うためあくせく働く奴隷)になることの方が大事。
「貧しくても自由がある」
天安門事件のあった冬、ベルリンの壁は崩壊し、二年後にはソ連は解体したが、共産党一党独裁体制は生き残った。そして、世界第三位の経済大国になった中国の若者をとらえているのは、自由と民主ではなく富豪になることと富強国家へのナショナリズムである。「向銭看(銭の方を見る)」といった拝金主義が浸透している。今年度の中国人長者番付「胡潤財富報告」によると1000万元以上の個人資産をもつ主にインターネットを利用した起業家の富豪が82万5千人で、中国人1万人に6人の割合だが、そのうちの114人にひとりは北京に集中している。政治権力への密着が富豪への近道と感じるのはうがった見方だろうか。
一時はやった怒れる若者の「憤青」はナショナリズムの快感に酔うのが目的で、更に若い世代にひろがっているのが「宅男」や「宅女」のひきこもりのゲーマーのこどもたち。こんな彼らが民主化運動でたちあがることはまずないだろう。それよりも政府として心配なのが、党員の腐敗である。富豪を目指して入党するポスト天安門世代には、愛人に告訴されるものまでいて国家副主席の習近平氏によると「道徳の防波堤が弱い」そうだ。
20~30代の「ポスト天安門」世代は、小平体制の「先富論」の経済成長至上主義と「白猫黒猫論」の現実主義の申し子なのだろうか。天安門事件は確かに風化した。しかし、中国政府にとっては今でもタブーであることにかわらない。
天安門事件後に、欧米各地で漂白の生活を送り、昨年ようやく香港に居を定めた詩人の北島(ペイ・タオ)さんのこの言葉をどのように聞くのだろうか。
「亡命=流亡とは、支配する体制から精神的な距離をとって行動し続けるということです。エドワード・サイードが、知識人はエグザイル(流浪)の精神を持って初めて、強権に対して有効な異議申し立てができる、と述べたように。今は中国語圏で暮らせても、将来何かあれば、いつでも香港を離れる覚悟はできています。私にとって流亡は永遠の運命です。その運命に忠実でありたい」
彼は今でも中国本土に入れず、北京の病気の母の看病もままならず詩集は禁書とされたままである。
■アーカイブ
・映画『天安門、恋人たち』
天安門事件から、今年で20年。民主化を求めてかって広場を占拠した知識人や学生は社会の中核にいる。6月4日に近づくと治安当局はインターネットや人権活動家への監視を強化したようだが、今ではすっかり風化したかのような現代学生気質である。
映画の中では、さまざまアジテーションがはられていた当時の北京大学の掲示板(これは日本の”タテカン”とは違う)には、家庭教師の求人広告や部屋の賃貸広告掲示板にかわり、それもインターネットの普及で一昨年には撤去された。天安門事件そのものの概要は知っているが、事件で失脚した共産党書記長の趙紫陽も今時の大学生は名前しか記憶にないし、学生の指導者に至ってはその名前も知らない。これも体制側の報道規制によるものかもしれないが、ひとりっ子で両親の期待を一身にになう彼らの関心は、民主化や政治などではなく、留学や起業であり、就職難もあり一流企業への就職の方がはるかに重要になっている。あの頃の中国人は貧しかった。ユー・ホンはいつも同じ茶色のサイズのあっていないジャケットを着て、女子学生の憧れのイケ面のチュウ・ウェイなんぞはジャージ姿。広場を埋めた学生たちが歌っていたのは、ロック歌手、サイ健の「一無所有」(すかんぴん)だった。そして当時の大学生はエリートであり、よい意味で社会を変革しようと理想をもっていたが、理想よりも現実、就職して『房奴』(マンションを買うためあくせく働く奴隷)になることの方が大事。
「貧しくても自由がある」
天安門事件のあった冬、ベルリンの壁は崩壊し、二年後にはソ連は解体したが、共産党一党独裁体制は生き残った。そして、世界第三位の経済大国になった中国の若者をとらえているのは、自由と民主ではなく富豪になることと富強国家へのナショナリズムである。「向銭看(銭の方を見る)」といった拝金主義が浸透している。今年度の中国人長者番付「胡潤財富報告」によると1000万元以上の個人資産をもつ主にインターネットを利用した起業家の富豪が82万5千人で、中国人1万人に6人の割合だが、そのうちの114人にひとりは北京に集中している。政治権力への密着が富豪への近道と感じるのはうがった見方だろうか。
一時はやった怒れる若者の「憤青」はナショナリズムの快感に酔うのが目的で、更に若い世代にひろがっているのが「宅男」や「宅女」のひきこもりのゲーマーのこどもたち。こんな彼らが民主化運動でたちあがることはまずないだろう。それよりも政府として心配なのが、党員の腐敗である。富豪を目指して入党するポスト天安門世代には、愛人に告訴されるものまでいて国家副主席の習近平氏によると「道徳の防波堤が弱い」そうだ。
20~30代の「ポスト天安門」世代は、小平体制の「先富論」の経済成長至上主義と「白猫黒猫論」の現実主義の申し子なのだろうか。天安門事件は確かに風化した。しかし、中国政府にとっては今でもタブーであることにかわらない。
天安門事件後に、欧米各地で漂白の生活を送り、昨年ようやく香港に居を定めた詩人の北島(ペイ・タオ)さんのこの言葉をどのように聞くのだろうか。
「亡命=流亡とは、支配する体制から精神的な距離をとって行動し続けるということです。エドワード・サイードが、知識人はエグザイル(流浪)の精神を持って初めて、強権に対して有効な異議申し立てができる、と述べたように。今は中国語圏で暮らせても、将来何かあれば、いつでも香港を離れる覚悟はできています。私にとって流亡は永遠の運命です。その運命に忠実でありたい」
彼は今でも中国本土に入れず、北京の病気の母の看病もままならず詩集は禁書とされたままである。
■アーカイブ
・映画『天安門、恋人たち』