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千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

民主化よりも富豪の道?「ポスト天安門世代」

2009-07-21 22:30:24 | Nonsense
映画『天安門、恋人たち』のテーマーを「サーカスな日々」のkomon20002000さまは「ユー・ホンたちは、自由の兆し、解放の兆しに溢れた大学生活の中で、それほど深刻な思想に苦悩するというよりは、「与えられた自由」を満喫するのに夢中で、そのことがまた自分の欲望を再生産するといった、いわば「モラトリアム」な時間というものを持て余しているようにも描かれている。」と表現している。さらに”一般的な都市的環境の中で浮遊している青春像の典型”とも。とても鋭い分析に思わずひざをたたきたくなるのだが、過激な?性愛描写だけでなく天安門事件を扱ったというだけで本作品は、その優れた内容にも関わらず中国国内では今でも上映禁止とされている。

天安門事件から、今年で20年。民主化を求めてかって広場を占拠した知識人や学生は社会の中核にいる。6月4日に近づくと治安当局はインターネットや人権活動家への監視を強化したようだが、今ではすっかり風化したかのような現代学生気質である。

映画の中では、さまざまアジテーションがはられていた当時の北京大学の掲示板(これは日本の”タテカン”とは違う)には、家庭教師の求人広告や部屋の賃貸広告掲示板にかわり、それもインターネットの普及で一昨年には撤去された。天安門事件そのものの概要は知っているが、事件で失脚した共産党書記長の趙紫陽も今時の大学生は名前しか記憶にないし、学生の指導者に至ってはその名前も知らない。これも体制側の報道規制によるものかもしれないが、ひとりっ子で両親の期待を一身にになう彼らの関心は、民主化や政治などではなく、留学や起業であり、就職難もあり一流企業への就職の方がはるかに重要になっている。あの頃の中国人は貧しかった。ユー・ホンはいつも同じ茶色のサイズのあっていないジャケットを着て、女子学生の憧れのイケ面のチュウ・ウェイなんぞはジャージ姿。広場を埋めた学生たちが歌っていたのは、ロック歌手、サイ健の「一無所有」(すかんぴん)だった。そして当時の大学生はエリートであり、よい意味で社会を変革しようと理想をもっていたが、理想よりも現実、就職して『房奴』(マンションを買うためあくせく働く奴隷)になることの方が大事。

「貧しくても自由がある」
天安門事件のあった冬、ベルリンの壁は崩壊し、二年後にはソ連は解体したが、共産党一党独裁体制は生き残った。そして、世界第三位の経済大国になった中国の若者をとらえているのは、自由と民主ではなく富豪になることと富強国家へのナショナリズムである。「向銭看(銭の方を見る)」といった拝金主義が浸透している。今年度の中国人長者番付「胡潤財富報告」によると1000万元以上の個人資産をもつ主にインターネットを利用した起業家の富豪が82万5千人で、中国人1万人に6人の割合だが、そのうちの114人にひとりは北京に集中している。政治権力への密着が富豪への近道と感じるのはうがった見方だろうか。

一時はやった怒れる若者の「憤青」はナショナリズムの快感に酔うのが目的で、更に若い世代にひろがっているのが「宅男」や「宅女」のひきこもりのゲーマーのこどもたち。こんな彼らが民主化運動でたちあがることはまずないだろう。それよりも政府として心配なのが、党員の腐敗である。富豪を目指して入党するポスト天安門世代には、愛人に告訴されるものまでいて国家副主席の習近平氏によると「道徳の防波堤が弱い」そうだ。
20~30代の「ポスト天安門」世代は、小平体制の「先富論」の経済成長至上主義と「白猫黒猫論」の現実主義の申し子なのだろうか。天安門事件は確かに風化した。しかし、中国政府にとっては今でもタブーであることにかわらない。

天安門事件後に、欧米各地で漂白の生活を送り、昨年ようやく香港に居を定めた詩人の北島(ペイ・タオ)さんのこの言葉をどのように聞くのだろうか。
「亡命=流亡とは、支配する体制から精神的な距離をとって行動し続けるということです。エドワード・サイードが、知識人はエグザイル(流浪)の精神を持って初めて、強権に対して有効な異議申し立てができる、と述べたように。今は中国語圏で暮らせても、将来何かあれば、いつでも香港を離れる覚悟はできています。私にとって流亡は永遠の運命です。その運命に忠実でありたい」

彼は今でも中国本土に入れず、北京の病気の母の看病もままならず詩集は禁書とされたままである。

■アーカイブ
映画『天安門、恋人たち』

「代理出産」ビジネス

2009-07-06 22:33:37 | Nonsense
「日本人向けにインドでの代理出産プログラムと、韓国での卵子提供での体外受精プログラムを提供しています
子宮のない人が子宮のある人の助けを借りて、人並みにこどもを授かることに何の問題があるのだ」

こんな衝撃的なメッセージを発信しているサイトは、最近シンガポールで発足したメディアブリッジという斡旋業者である。同社の売りは、割安感。代理出産費用が、某社では2500万円のところが、メディアブリッジ社では700万円。こんな代理出産事情を、情報誌「選択」の記事で読んで、私は少なからぬ驚きをもった。
何故、この会社では割安になるのか。子宮を貸してくれるインドでは、2002年に代理出産を合法化して「代理母」という職業が確立されているからだ。アウトソーシングを請け負っているのがIT企業だけでなく、女性の子宮までどうぞ、というのがこの国である。

代理出産というのは、子宮ガンなどの病気で子宮を摘出していたり、ロキタンスキー症候群などで生まれながらにして子宮のない女性が、自分の卵子を使用して我が子を設ける唯一の方法である。一昨年の厚生労働省の調査によると、20~69歳の男女の54%の人が代理母を容認している。この数字をどうみるかと問われれば、私はむしろ半分の人は代理母に慎重であったり、もしくは反対であるとよむのだが、問題はそう簡単ではない。米国のニューヨーク州や英国では、有償代理出産を禁止しており、仲介をする弁護士もボランティアが条件となる。(ドイツ、フランスでは代理出産を全面的に禁止、オーストリア、デンマークでは代理出産契約そのものを無効としている。)

代理出産を認めようという人々には、依頼する側、赤ちゃんを望む立場の人に同情を寄せているケースが多いようだが、代理出産をする家族にとっても複雑であるという。信じられないことだが、「代理出産-生殖ビジネスと命の尊厳」の著者である大野和基氏によると、姉のために代理出産をしたら、産んだ瞬間にこどもを連れさられて縁をきられたり、代理母になることに自分の母親から猛反対されたために母との関係に亀裂がはいってしまったというケースがあるそうだ。また、たとえ家族間で無償代理出産をしたのだが、生まれてきたこどもに障碍があったり、HIVに感染していた場合は、お互いに赤ちゃんを押付けあって結局どちらも引き取らずに施設に入れられたこどももいるそうだ。人の子宮を借りてまでこどもをのぞむならば、どんな赤ちゃんが生まれても愛情深く育む覚悟があって当然だと私は考えるのだが。あまりにも勝手な社会性にかける個人の欲望と幸福の追求のおとなの論理に、いつも犠牲になるのはこどもたちである。代理出産先進国では、20年も前にこのような問題に直面し、議論を重ねてきた背景があるが、日本ではまだまだ議論にまで及ばないのが現状か。昨年5月には、超党派の国会議員による勉強会が発足して、条件つきで代理出産を認める法案を議員立法で国会に提出する方針を固めた。しかし、その後どうしたことか方針までは決まったが、法案の骨格するまだ決まっていないという。だったら、シンガポールへ?

少子化がすすむ中、国民が議論を尽くして生まれてくるこどもの福祉を優先して、代理出産を合法化する流れもあるかと思う。ただ、私が気になるのは、メディアブリッジ社の”人並みにこどもを授かること”といううたい文句である。こどもが授かることは、人並みなのであろうか。人並みって何?あるいは、人並みでなければいけないのだろうか。こういった言葉が、逆に不妊症に悩む女性や夫婦を追いつめていることを理解したうえで、同社はこんなメッセージを入れているのではないだろうか。
かりに日本でも代理出産が合法化しても、ビジネスとして有償になることには私は疑問をもつ。

■続編
「代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳」大野和基著

キーラ・ナイトレイがカズオ・イシグロ原作のSF「わたしを離さないで」に主演

2009-06-30 21:54:07 | Nonsense
キーラ・ナイトレイが、日本生まれの英国人作家カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」(原題「Never Let Me Go」)を原作としたSF映画に主演することが決まった。
米バラエティ誌が報じたもので、同作はフォックス・サーチライトが製作する、「ストーカー」のマーク・ロマネク監督の7年ぶりの新作。昨年、「ウルフマン」(09年末公開)をクランクイン直前に降ろされたロマネク監督にとって、起死回生の作品となる。
原作は、「日の名残り」の原作者イシグロが05年に発表した小説で、同年の英ブッカー賞最終候補作。外界から隔絶された施設ヘールシャムで“提供者”の世話をしている優秀な“介護人”キャシー(ナイトレイ)は、同じ施設で生まれ育った親友のトミーやルースが“提供者”となった時、自らに課せられた運命を知る、というストーリー。その脚色に、「28週後...」の脚本家アレックス・ガーランドがあたる。
ナイトレイ演じる主人公の親友役に、「パブリック・エネミーズ」(主演ジョニー・デップ)が控えるキャリー・マリガン、「ブーリン家の姉妹」のアンドリュー・ガーフィールド。英ロンドンとノーフォークで4月から撮影開始予定だという。
共同製作が、フォレスト・ウィテカーに米アカデミー主演男優賞をもたらした「ラストキング・オブ・スコットランド」、ダニー・ボイル監督のSF映画「サンシャイン2057」「28日後...」を手がけた英DNAフィルムだけに、オスカーへの期待もつきない。

ナイトレイの最新作は、故ダイアナ元妃の祖先デボンシャー公爵夫人を演じた米アカデミー衣装デザイン賞受賞作「ある公爵夫人の生涯」(4月日本公開)。以後も、文豪フィッツジェラルドの妻ゼルダを演じる「美しく呪われし者(The Beautiful and the Damned)」、オードリー・ヘプバーン主演のミュージカルのリメイク「マイ・フェア・レディ」など、話題作が目白押しだ。(映画情報サイトより)


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イシグロ・カズオ著書の「わたしを離さないで」が映画化されるそうだ。しかも、キャシー役がキーラ・ナイトレイと聞いたら、そうかっっ、、、あの役を演じられるには彼女しかいない!とばかりに熱が入る。この報道を聞いてから、私の中ではキーラ・ナイトレイの陶器のような肌の憂い顔が、物語の中にとけこみ動き始めている。今回監督を務めるマーク・ロマネク監督は「スクリーン・デイリー」紙で「イシグロの世界観は、実に美しく愛らしい」と語っており、その出来栄えが期待されているそうだ。監督のこういう世界観とは驚き。4月からロンドンで撮影がはじまり、全米公開は2010年。


「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ著
「日の名残り」カズオ・イシグロ著
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ著

■キーラ・ナイトレイの素敵な映画
『つぐない』

渡辺謙が昭和の名刑事演じた『刑事一代』高視聴率を獲得

2009-06-23 22:17:42 | Nonsense
俳優・渡辺謙が、久しぶりにドラマ主演を果たしたテレビ朝日開局50周年記念ドラマ『刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史~』が20日(土)と21日(日)に放送され、それぞれ19.4%、21.6%という高視聴率(ビデオリサーチ関東地区 番組平均)を記録した。共に同時間帯トップの視聴率を獲得し、同局の『開局50周年記念』最後の作品として、見事有終の美を飾った。

 渡辺が演じた平塚八兵衛は、警視庁捜査一課で“落としの八兵衛”“ケンカ八兵衛”“鬼の八兵衛”など、さまざまな異名を持ち、その強烈なキャラクターは、これまでに数多くのテレビドラマで主人公刑事のモデルになってきたと言われている。手掛けた事件は殺人だけで124件にものぼり、“帝銀事件”“下山事件”“吉展ちゃん事件”“三億円事件”など、戦後事件史を飾る大事件のほとんどを担当した、まさに“伝説の刑事”といえる存在だ。

 渡辺自身も、今回の作品に特別な思い入れがあり「心の底から誇れる作品と出会えた」と語っていた。
(09年6月23日ニュースサイトより)

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先日、今野勉氏の「テレビの青春」を読んで近頃のテレビには観たいと思う番組がないっ!と嘆いたが、二夜連続の『刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史~』はすっかり真剣にテレビ画面に釘付状態にさせられてしまった。本気になれば質の高い番組を撮れるじゃん!渡辺謙氏が鬼気迫るくらいの迫力で演じた主役が、1913年生まれ、交番勤務を経て退職するまで刑事部捜査一課で最前線で活躍し、「捜査の神様」「鬼の八兵衛」「喧嘩八兵衛」と異名をとり、警視総監賞を94回も受賞した平塚八兵衛。在職中に扱った事件は、殺人事件だけでも124件というまさに刑事一代の男だった。(下山事件にも参加していた。)
その数多くの手がけた中でもドラマでとりあげたのは次の事件である。

①昭和23年1月26日、帝国銀行椎名町支店で東京都防疫班の名のる男が行員に毒を飲ませて現金を奪った「帝銀事件」。
②昭和33年9月11日、銀座そごうデパートの倉庫で警備員が刃物で刺され死亡した「警備員殺害事件」。
③昭和38年3月31日、東京都台東区の公園で当時4歳の吉展ちゃんを誘拐して殺害し、世間を震撼させた「吉展ちゃん誘拐事件」。
④そして事実上、刑事生活の幕ひきになった昭和43年12月10日、東京都府中市で三億円を積んだ銀行の現金輸送車が白バイ警官を装った男に車ごと強奪されて「三億円事件」。
いずれも昭和を語る事件である。

戦後の混乱と貧しさが漂う中、乗車している蒸気機関車の窓から洗った褌をなびかせて乾かしながら容疑者である平沢貞道を追う刑事たちの姿から、高度成長期を迎えて街に活気が溢れ、これまでにない組織的な頭脳プレーによる計画的な大事件へと、時代の変遷と日本の景色が実によく描かれていた。衣装、小道具、言葉遣い、髪型と忠実にほぼ完璧な昭和の再現だったのではないだろうか。凶悪な事件が日本人の記憶に刻印した昭和史を堪能したテレビ朝日開局50周年記念に全くふさわしいドラマの仕上がりである。これも、渡辺謙氏をはじめ、犯人役の小原保を演じた萩原聖人、脇を固める高橋克実らの熱演と名演技は称賛に価する。小原保の取り調べが終わって部屋に戻る時の片脚を引きずる痛々しい後ろ姿を何度も映し、罪を憎んで人を憎まない八兵衛の人間性にもせまる素晴らしいドラマだった。平塚八兵衛は、愚直な信念の名刑事だった。

閑話休題。
八兵衛の愚直さと信念は、多くの困難な事件を解決に導いていった。吉展ちゃん誘拐事件など、まさに彼の事件だった。しかし、刑事としての資質にさらに犯人への執着と思い込みが加わったらどうであろうか。ここで思い出したのが、ミステリー映画ベスト10に入る韓国映画『殺人の追憶』だった。将来を嘱望されるエリート刑事ソ・テユンは、犯人を憎むあまり”自分の中で”確信したあるひとりの青年に執着して彼を追いつめていく。反面、見えない犯人に彼もまた追いつめられていくそこまでの心象風景がこの映画の優れたところなのだが、本当に、あの青年が真犯人だったのかは最後まで謎であり、いまだに解決されない悲劇として韓国の人々の記憶に残されている。もしソ・テユンが視点と発想を変えたら、別のところに真犯人を見つけたかもしれない。八兵衛も帝銀事件では、犯人を平沢貞通と”確信”して徹底的に追いつめていったのだが、そもそもその捜査と尋問に無理があったのではないだろうか。その後、死刑囚となった平沢は冤罪を訴え、歴代の法務大臣が死刑を執行しなかったのも冤罪の可能性があるからだ。
(尚、『殺人の追憶』で91年に容疑者のDNA鑑定を依頼したのは、映画の中では米国のFBIとなっていたが、実際は日本に依頼したそうだ。足利事件の再審も決まったが、犯人に仕立て上げられた菅谷さんも同じ頃の精度の低いDNA鑑定で自白を裏付ける犯人とされていた。)
八兵衛の捜査方法が、時代の変遷とともに風化していったのもよくわかる。
「捜査の神様」と祭り上げられたが、全能なる神はいない。彼はあくまでも過ちもおかしやすいひとりの人間であり、刑事だった。だからこそ、最後の場面で小原が埋葬された土を抱く彼の姿に共感できるのだろう。

オーガムズ研究者の晩年

2009-06-21 15:35:02 | Nonsense
他の男のものになった初恋の女性を、51年9ヶ月と4日もの長い間待ちつづけた男がいた。
これは南米を代表するノーベル賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス原作を映画化したマイク・ニューウェル監督の映画『コレラの時代の愛』の主人公、フロレンティーノの物語だった。ところが、米国にもフロレンティーノはいた。ブロンドの”運命の人”と再婚した彼は、「55年間、片思いをしていた」と有頂天で語っていたという。それでは、この米国版フロレンティーノは稀なるロマンチストかと思えば、執着心はフロレンティーノに勝るのだが、前妻との交際期間と結婚生活をあわせた32年間はむしろ冷徹な科学者としてのSEXライフだった。彼は、カメラを内蔵した人工ペニスを使ってまで性行動の探求に人生を捧げた科学者だった。

「NEWS WEEK」の伝記の記事で知ったこの偉人?か奇人の名前は、ウィリアム・H・マスターズ。そして、彼と同じく科学者として実験に参加したのがバージニア・E・ジョンソン。ふたりは「研究室での観察結果の理解を深めるため」に、全く精神的な繋がりが皆無な結婚生活を22年送った。

アンドルー・ロマーノによる記事は、著者トーマス・マイヤーのマスターズとジョンソンの伝記『セックスの権威たち(Masters of Sex)』の書評から戦後最大の性行動研究が残した遺産への考察と奥の深い文章である。記事によると最近の米国の高校生の性交渉の体験者は約30%と、91年の半分以上が経験者という数字から初体験が遅くなっているそうだ。それに伴ってであろうか、10代の妊娠も激減し人工中絶も低下している。80年頃の「フリーセックス」という言葉よりも、彼らは「愛のないセックス」に興味を示さずに責任あるセックスというカタチで対応しているというのが、記者の分析である。

それは兎も角として、心底驚いたのが彼らふたりである。
ウィリアム・H・マスターズは産婦人科医であるが、心理学者のバージニア・E・ジョンソンを前述したように研究のためにとくどいて?、32年以上もの性交渉を続けた。推定14000件ものオーガズムの観察例を集めた研究をはじめた57年当時は、米国民の性知識は限られたものだった。確かに映画の『愛についてのキンゼイ・レポート』によるとようやく50年前後にキンゼイ・レポートが公表されて米国中は大騒ぎになったのだ。二人が出版した66年の「人間の性反応」と70年の「人間の性不全」によって、米国人はようやく性行為の”基本”を知る機会をもったのだから、彼らの私生活の実験と実技がもたらした功績は確かに大きいのだろう。しかし、感情の伴わない動物的なSEXの”現場”を、やがてマスターズは快楽の伴う「相互的な自慰行為」としてのベットと考えるようになった。たとえ行為そのものが男女間にとりあえずのエクスタシーをもたらしても、それは苦い一瞬の悦楽しかないのだろうか、性の解放を探求したふたりは冷たいベットから離れて離婚、その後それぞれの伴侶を見つけて伝統的な夫婦として再婚生活をはじめる。マスターズは、初恋の女性と半世紀を経て結ばれた。
悲しいのは、「愛とセックス」を切り離して長年考えつづけたジョンソンの方だ。3度の離婚を繰り返し、最後は老人ホームでかってのパートナーへの恨み節をもらすのだが、名のる姓が「マスターズ」だったという。
「NEWS WEEK」には、1969年当時のミズリー州セントルイスを拠点に夫婦と面談するふたりの白黒写真が掲載されている。白衣のせいか、どこか冷徹な印象を感じるのは私だけだろうか。

■アーカイブ
映画『愛についてのキンゼイ・レポート』←これはお薦めです!

地味な熊本県知事にかわってスザンヌ宣伝部長

2009-06-14 22:07:01 | Nonsense
熊本県「宣伝部長」のスザンヌさんが“初登庁”

熊本県の「宣伝部長」に任命されているタレントのスザンヌさん(22)が13日、県庁に“初登庁”、臨時庁議で蒲島郁夫知事に08年度の「業務報告」をした。

08年11月に県が4900万円の予算で事業化。スザンヌさんは東京の物産展などで熊本をPRし、「宣伝部員を増やすことを目標に、もっと頑張りたい」と意欲を見せた。スザンヌさんいわく「宣伝部長は(知事、2人の副知事に次いで)県で4番目に偉い人」。広告効果は12億円とする試算もあり、あながち間違いではないかも。
(09年5月13日 毎日新聞)


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地味な知事に代わって?、スザンヌさんが熊本県の宣伝をしたスザンヌ効果もあり、熊本県への関心が高まり「県くまもとブランド推進課」も頑張っているそうだ。実は、都心の有名な画廊と同じビルに同居している熊本物産館だが、可愛い宣伝部長とツーショットに収まり相好を崩して笑っている二年目を迎えた学者知事の蒲島郁夫知事は、タレント知事、ゴルファーのただのパパ、元プロレスラーと言った不思議な出自の日本の政治家の中でも、また異色の経歴をもつ存在である。私が、日経新聞の記事で、当時、東京大学教授だった蒲島さんのお名前を記憶したのも、何よりもその学者と言うよりも農夫のようなごつい顔立ちと、日本人の学者には珍しい人生を歩んでこられた方だったからだ。東京大学教授、と言ったら誰もが絵に描いたようなエリートコースを想像するだろう。ところが、蒲島さんは、国内での学歴で言えば聞いたことのない高校を卒業しただけだ。しかも、卒業後は、農協に就職した青年だった。

全く勉強というものをしたことがなかったから当然の如く高校在学中の成績も悪かった蒲島青年は、地元の稲田村農協に就職し、夢だった牧場経営の知識を得るために派米農業研修生としてネブラフスカに渡り、この地で学問のおもしろさにめざめてネブラフスカ大学に入学する。人間、わからないものだ。確か、すでに結婚されていて妻子がいたために、猛勉強をして抜群の成績を修めて奨学金をえながら豚の精子の研究をして優秀な成績で卒業した。養うべき妻子がいるという背水の陣で挑んだ留学生活だった。その後、今度は政治を勉強したいという気持ちが強くなり、ハーバード大学の博士課程に入学する。通常5年で卒業するところを、やはり早く卒業して妻とふたりのこどもを食べさせるためにまたまた猛勉強をして3年9カ月で修了して帰国した。幼い頃から貧しく、農作業で肉体を酷使してきたガテン系の逞しさに全く目をみはるようで強烈な印象を与えられた。

ところが、天下のハーバード大学の博士課程を取得していながら、1980年に帰国した蒲島さんを受け入れる大学はない。理由は、日本での学歴がないためなんだかよくわからない奴、と敬遠されたのもこの頃の日本だったらいかにもありそうだ。そして、そんな彼を採用したのも、いかにも、らしい筑波大学だった。筑波大学で実績を積み、蒲島さんもつくば市を気に入り骨をうずめるつもりで自宅を建てると、今度は帰国した時は全く相手にされなかった東京大学から声がかかったのだ。これも、いかにも、東京大学らしい。。。迷った末に、1997年東京大学大学院の教授になるも、昨年辞職をして4月16日に熊本県知事に就任した。

選挙の時には、自民党の推薦を打診されながらも断ったのは、左右両極端に偏った主張をもつ有権者は少なく、多くは中道である」という政治学者のアンソニー・ダウンズの理論を実践して勝ったのも学者らしいのだが、二年目を迎える蒲島知事は、「民意は世論調査だけではわからない。議会や県民、各種団体などに多元的な民意が存在する。政治学者の理論は単純だが、現実の政治は理論通りには動かない」と率直にインタビューで応えている。建設推進派の自民党の思惑とは別に、川辺川ダム建設問題をダムによらない治水対策を追求するべきと自らの考えで決断した。その一方で、完全撤去が決まっていた県営荒瀬ダムは巨額な撤去費用のために存続へと方針転換。

学者知事らしいのは。対話重視をしてゼミでの学生と接するように若手職員とランチ・ミーティングも開いているそうだ。「官僚政治が輝くのは、強いリーダーに率いられた時。優しい政治家だった自分は、2年めは強い政治家になる」と幹部職員に訓示した蒲島知事。本当の政治家としての力量を発揮するのか、ただの学者政治家で終わるのか、勝負はこれからだ。

大丈夫か?裁判員制度

2009-05-19 22:39:02 | Nonsense
【「裁判員制度には反対」 島田事件で冤罪の赤堀さん】 (2009/05/16 共同通信)

静岡県島田市で1954年に起きた「島田事件」で、再審無罪となった赤堀政夫さん(79)が16日、静岡県新居町で記者会見し、今月21日からスタートする裁判員制度について「一般の人に正しい判断ができるか分からず、反対だ」と訴えた。
赤堀さんはこの日、裁判の支援者らが18日の誕生日を祝う会合に出席。会合に先立って行われた記者会見で「解放されてからの20年は早かった。(無罪確定前は)何もしていないのに犯人扱いされてつらかった」と厳しい表情で当時を振り返った。
一般の人々が刑事裁判に加わる制度については「裁判官ではなく、法律を知らない人に正しい判断ができるか分からない」と述べ、冤罪防止の観点から批判した。

赤堀さんは54年、島田市で女児が連れ去られ殺害された事件で逮捕され、60年に最高裁で死刑判決が確定したが、89年の再審で一転して無罪となった。

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今日、帰宅途中の駅構内で、明後日21日からはじまる裁判員制度の広報のポスターを見かけた。人気女性タレントが笑顔でよびかけるような官公庁にありがちな定番ポスターとも思えるのだが、彼女自身は実際に裁判員になったら本当に正しい判断ができるという自信があるのだろうか。
昨年の11月26日、東京地裁で裁判員制度に向けた模擬裁判が行われた。

題材は、鬱病の男(54歳)が自宅で母親(84歳)の首を絞めて殺害した。弁護側は被告は鬱病により「責任能力が大きく減退した心神耗弱」を訴えたが、検察側は「責任能力あり」を主張。心神耗弱の場合は、刑法の規定で刑を軽減しなければならいことから、被告が「鬱病による心神耗弱」が裁判結果を左右する。前日の25日、鑑定役を務めた精神科医が出廷してパソコンで図表を使いながら被告の精神鑑定についての説明をした。
「鬱病によって、被告はささいなことで感情が爆発する『激越発作』を起こした。犯行には、鬱病の症状が大きく影響している」と解説をした。つまり、鑑定結果は被告の責任能力の欠如を示していたのだった。

ところが、裁判員役のアルバイト女性は、「被告は犯行後にすぐ後悔して通報しているのだから、善悪の判断がわかっていた」と述べた。(私だったら、それが「激越発作」という鬱病の症状の特徴だと思うのだが。)ちなみに、このアルバイト女性によると、鬱病になった後、努力して社会復帰した知人がいたことから、病気のせいで罪が軽くなることに納得できないそうだ。また、会社員Aさんは、法廷での被告を見るとそんなに重い鬱病には見えないと判断した。専門医の鑑定結果よりも、自分の印象、見た目を優先している。君は医者か?勿論、模擬裁判なのだから、鬱病の被告人役になった方は、年齢は54歳でも健康な方がそれらしく見せているだけである。けれどもこの場合、重要なことは裁判員制度の主旨から一般市民の常識や感情をもちながらも、刑法の規定の範囲の中で合理的に判断する必要がある。

そして、裁判員役の6人のうち、5人が「責任能力あり」と判断。裁判員役1人と裁判官3人は鑑定結果を重視して「心神耗弱」。「裁判官が1人も賛成しない意見は被告に不利は方向では採用できない」という裁判員法の規定に基づき、この模擬裁判では心神耗弱が認められ、懲役13年の求刑に対し、懲役6年の判決が言い渡された。医師の診察結果、鑑定結果よりも、人の精神の病は自分の印象の方が正しい?
これまでの各地の模擬裁判でも、鑑定結果はほとんど参考にされてこなかったそうだ。これって、実はおそろしいことだと私は考える。鑑定結果を参考にしないということは、証拠に基づく裁判が行われないことに近い。心や精神は、表面からではわかりにくいことが多い。だからこそ、専門医の鑑定に耳を傾けることも大切では。しかし、そもそもそれ以前にわかりやすく説明しても、鑑定結果を理解できないような方が裁判員になってしまうこともあるだろう。
ポスターに起用されたタレントの方は、「鬱病」って読めるだろうか。私だってえらそうなことを言えないが、本当の「ウツ」って誰もが理解できるのだろうか。
人相が悪い人は、刑罰が実際の罪よりも重くなる・・・な~^^んてことにならないように。

裁判員制度、反対。

■そういえばこんなアーカイブも
「裁判に参加したくない 7割」裁判員制度調査
映画『十二人の怒れる男』

補正予算案:予定通り13日衆院通過の方針

2009-05-11 22:08:01 | Nonsense
麻生太郎首相は11日夕の自民党役員会で「民主党の小沢(一郎)代表が辞意を表明したと聞いた。与党としては補正予算案、関連法案を早急に成立させて実施に移すことが課題だ」と述べた。これを踏まえ、政府・与党は09年度補正予算案を予定通り13日に衆院通過させる方針だ。
与党は11日、衆院予算委員会理事会で13日の採決を正式に提案したが、野党側が拒否したため結論は出なかった。12日の理事会で改めて協議する。
13日に予定されていた首相と小沢氏の党首討論について、自民党の大島理森国対委員長は記者団に「お辞めになると表明した人が、出て何をおっしゃるのだろうか」と述べ、中止されるとの見通しを示した。(5月11日毎日新聞より)


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最近、私が最も熱心に読んでいる新聞は、「日経新聞」でも「読売新聞」でもない。「日刊ゲンダイ」である。今に始まったわけではないが、麻生政権の低級ぶりとデタラメかげんが、一般紙よりもはるかに的を得ているのである。実際、毎度毎度のあきれた首相と政治家たちには腹もたつのだが、テレビでも新聞でもふれていない庶民が一番知りたいことを痛快に書かれた記事は読むのに価する!5月11日号(9日発行)では、衆院予算委員会での「補正予算」審議にふれているのだが、民主党の細谷豪志氏が暴露した中身は確かに衝撃的だった。なんだってーーっ、15兆円のうち、役員の天下り先に3兆円もの予算がつぎ込まれているという。お金の行き先には、900人もの官僚OBのひもつき・・・。乱脈ぶりで廃止が決まった「雇用・能力開発機構」にまで150億円の予算。典型的な国交省の天下り先の「都市再生機構」には1000億円。不明瞭な入札で事業縮小が決定されたはず。いったい何のために?これでは、国民の批判を受けて廃止や組織の見直しを決めたはずの天下り先も、補正予算でもとの木阿弥状態である。

この15兆円の補正予算から、46基金に4兆3000億円を支出するのだが、まだ予算執行の体制が整っていないにも関わらずだ。要するにとりあえず「基金」だけは積んでおき、運営管理を天下り先が担うことになりそうだ。15兆円の規模は、納税者ひとりあたり25万円になるという。え~~~っ!お役人の方々はご存知ないかもしれないが、下界は未曾有の不景気で庶民は大変なんです。そんな大金を天下り先に投入する意味があるのだろうか。すでに公務員の天下り先には、年間12兆円もの予算が注入されているのに。未曾有が読めなくたって、意味ぐらいわかるだろう。

管直人氏が「国民をだますシナリオを役人がつくり、それを閣僚がしゃべらされている」と喝破したが、こうなったら「日刊ゲンダイ」の記者が言うように民主党にはカラダをはってでも阻止していただきたい!「民主党が予算審議を引き延ばしたら、解散しろの声も出てくる」とのたまったのは麻生首相。解散してもいい!で、小沢さんは辞任ですか。

いま憲法25条”生存権”を考える ~対論 内橋克人 湯浅誠~

2009-05-04 12:09:39 | Nonsense
5月3日は憲法記念日だった。日頃は、「憲法」を意識することがないのだが、昨日の内橋克人氏と湯浅誠さんのふたりの論客による憲法第25条をめぐる対論を放映したNHK「ETV」(心の図書館)は、再放送を希望したいくらいの好企画だった。
内橋克人氏は、76歳の経済評論家。エコノミストではなく評論家としてフリーの立場で長く活躍した方で、近年では小泉流の小さな政府、聖域なき構造改革、行き過ぎた市場原理主義による社会的コストが弱者への負担になると警鐘を鳴らしてきた。対する湯浅誠さんは「反貧困―すべり台社会からの脱出」という著書でもよく知られているが、反貧困ネットワーク事務局長、年越し派遣村の村長をつとめた青年の面影を残した40歳。私は昨年出版された「AERA」の「現代の肖像」で湯浅さんの存在を知ったのだが、東京大学大学院の博士課程退学という学歴と、たった1足の靴をはき潰しながらの1995年よりホームレスの支援活動とのギャップが強く印象に残っていた。初対面だというふたりの出会いは、内橋氏の湯浅さんをまるで息子のように肩に手をあててねぎらいといたわりを感じさせる仕草ではじまった。

憲法は、制定時に日本人自身のよって加えられた条文がある。

「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

この条文は、法政大学学長の森戸辰男氏の発案によって採択された。森戸氏は、東京帝国大学を卒業して経済学部の学者になるも、社会主義よりの論文が危険思想であると糾弾されて休職処分になる。そこでドイツに留学した森戸氏はワイマール憲法の151条1項、「経済生活の秩序は、各人に、人たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合するものでなければならない」という規定に感銘して、帰国後は社会党の政治家になりGHQの草案になかったこの条文をねばって盛り込んだ。
所謂「生存権」を国民、個人の権利として明確化したこの条文は、社会のセーフィティネットを整備していく基準になったのだが、番組では1957年、国立岡山療養所に入所していた結核患者の朝日茂さんが月600円の生活保護給付金ではあまりにも低すぎると、憲法第25条に反すると厚生大臣を相手に行政訴訟を起こした「朝日訴訟」をとりあげた。病床で月600円でどうやって暮らしていけるのか、とせつせつと訴える朝日さんの映像はインパクトがあるのだが、結局、朝日氏の死亡によって残念ながら訴訟は最高裁で結論がでないまま終わってしまった。しかし、朝日訴訟後、生活保護費は増額した。この朝日訴訟で敗訴覚悟で原告側代理人を務めた新井章弁護士もインタビューにこたえて「生活保護の支給額が、労働者の最低賃金に連動する」ことに気がついた労働組合や労働者の支持を集めたという談話は、重要なことを示唆していると思われる。自分は働いているから生活保護とは無縁に思えても、全く関係ないわけではなかった。

昨年来の世界的金融危機で、失職する人が15万人に及ぶという。規制緩和、派遣労働法の改定で製造業までに広がった派遣社員。努力して真面目に勤務しても不景気になれば「派遣キリ」。そんなこと最初からわかっているではないか、自己責任、ともすれば、生活保護受給者を努力しないなまけ者扱いまでする風潮すらある。けれども、つい足をすべらして転落したら一気にどん底まで落ちていく「すべり台社会」から脱却して、誰もが人間らしい生活をできる「反貧困」へと語る湯浅氏の思想の方が圧倒的に説得力ある。「派遣ムラ」に身をよせる人々は、つい昨日まで働いてきた実績もあり、肉体労働にたる体力と健康があったのだ。それが、派遣キリで職だけでなく住居すらも失い、命すらもあやうくなっている。
路上で職を失ったホームレスを私達は見たいだろうか。彼らに生活保護を支給するよりも、働いて少しでも納税してもらう方が社会のコストから考えても効率的である。ひとごとと無関心でいても、失業者のコストは必ず私たち全体のコストにはねかえるはずだ。

そして、健康的で文化的な生活とは。朝日訴訟から実に50年。確かに戦後に比較したら清潔で豊かで高い教育を受けられる時代となったが、”誰もが”という前提が今ゆらいでいる。憲法25条の存在意義を問い直し考えることの多い憲法記念日だった。

■こんなアーカイブも
「縦並び社会」毎日新聞社会部
「日本の貧困と格差拡大」日本弁護士連合会

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【憲法記念日集会  『生存権』切実】(5月4日毎日新聞より)

六十二回目の憲法記念日となった三日、各地で開かれた集会では「生存権」が語られた。これまで憲法集会といえば「九条」が中心。ところが、格差の広がりで失業や住居を失う人が急増、「健康で文化的な最低限度の生活」が揺らいでいると憲法二五条がクローズアップされた。若者を中心に、参加者に生存権や憲法について聞いてみた。
東京都千代田区の日比谷公会堂で開かれた「生かそう憲法 輝け九条」には四千二百人が参加した。作家の落合恵子さんが「苦しむ人々に『全部あんたの責任よ』と言うことで済むのか。健康で文化的な生活を、私たちは営む権利を持っていたはず」と訴えた。

ノーベル物理学賞を受賞した京都産業大の益川敏英教授は講演で「憲法九条の改悪に向けての足音がする。日本人はそれほどばかじゃないので、やすやすとは許さないと信じている」と訴えた。

立川市の立川柴崎学習館で開かれた「市民のひろば・憲法の会」は、派遣切りや平和運動などがテーマ。市民団体「府中緊急派遣村」の東浩一郎さん(43)は「精いっぱい働いてきた労働者が会社から追われている。憲法は国民が国を律するための法。生存権の意味を見つめ直してほしい」と呼びかけた。

横浜市の保土ケ谷公会堂で開かれた集会では、東京都中央区の会社員、竹渕浩幸さん(32)は「失業などで生活が脅かされている人たちを孤立させないことが大事だ。集会を通じて連携することが必要」と強調した。

東京都新宿区の早稲田大学で、憲法の講演会を聴いた政治経済学部二年の村上弘美さん(20)は「下宿近くの公園や道路で、ホームレスの人がどんどん増えている。政府はもちろんだけど、民間団体が大きな力になれば」。同区の四谷区民ホールで、改憲派の国会議員らの集会に参加した会社経営者の男性(31)は「九条を改正して自衛権を確立しなければ、この国の将来が不安」と話していた。

◆社会全体の議論を
ジャーナリストの斎藤貴男さんの話 生存権がテーマになった集会が多いのは、憲法25条が重要なのに形骸(けいがい)化していると、年末の派遣村の映像がみんなに知らしめたからだ。しかし、生活保護などの問題に矮小(わいしょう)化せず、構造改革が生んだ不公正な社会の議論が必要だ。

◆教育格差も顕在化
佐藤司・神奈川大名誉教授(憲法学)の話 格差社会の到来が、生存権の重要性を高めている。これまで生存権の主要テーマは、年金や生活保護などだったが、高齢化社会の進展で介護の負担や劣悪な施設に苦しむ人たちの存在も浮き彫りになっている。

生存権は文化的な生活も保障している。憲法26条の教育権とも関連するが、貧困家庭の子弟が十分な教育を受けられない教育格差も顕在化している。多くの今日的な問題とかかわっているのが生存権だ。