旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

晴れた日にはドゥブロブニクを海から眺めよう

2016-10-14 00:18:07 | クロアチア

朝、八時半にホテルを出発し、ドゥブロブニクの旧市街が見晴らせる場所へやってきた。もちろんバスで。 午前九時にピレ門前でガイドさんと待ち合わせ 入るとすぐに、ドゥブロブニクの赤いベレー帽をかぶった人がお土産セールス すぐ近くのフランチェスコは修道院に入る。ここには1667年の地震前の町の様子を描いた絵がある。今、目の前の町と比べると面白い。このフランチェスコ派教会の塔も、今あるのよりずっと高いとがったゴシック様式になっているのがわかる。 中庭の柱頭はオリジナルのロマネスクからゴシックへの彫刻がおもしろい プラッツァ通りの突き当りにあるオノフリオの小噴水↓

 

 大聖堂を横から見る↓

 

↑ここもまた地震で破壊されたあとに再建された

 ★城壁ウォークの様子は、2015年の日記にて⇒こちらからごらんください。

スルジ山へのロープウェイチケットは、購入してお渡しする120クーナ=17ユーロ 昼食はブイヤーベースのような「ブザーラ」添えられているのはトウモロコシの粉からつくるポレンタ かもめがほしそうにみている ***

午後の時間、街歩きが楽しい。どこの路地を通っても絵になるドゥブロブニク

昼食後の自由時間に、ご希望の方をボートミニクルーズへおさそいした。45分で10ユーロが相場。 今日はちょっと大きめのボートがやってきた。

 

船が出航してすぐ、素晴らしい景色が動き出した

 

みえてくるロクルム島は、昔々は検液の場所として使われていた

海岸にはいい感じのホテル群。その下に隠れたビーチがあるのが、海からならわかった。 ★★★このクルーズの動画、ぜひ⇒こちらからご覧ください!★★★ 今回のホテルは、旧市街から1.6キロの距離がある。小松の《手造の旅》では遠すぎるホテルだが、一般ツアーであれば「徒歩圏」と言えるだろう。 確かに歩けるが、小松は二十五分かかった。※海に向かって階段状になっているのがホテルです

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コルチュラ島へ

2016-10-12 21:18:52 | クロアチア
スプリト近くのリゾートホテルの朝

テラスから桟橋をパノラマ撮影

ゆっくりしたいけれど、8時前には出発。今日はドゥブロブニクへ行く前にコルチュラ島へ寄る。この島、マルコ・ポーロ家の出身地として有名で、確かに美しい旧市街を持つ島なのだが、いくのがけっこう遠い。お昼までえんえんと三回のストップをして向かった。

幸いこの旅いちばんの好天となり、海岸線の風景は見飽きない

カフェで一休み。おっと、ここのお砂糖はクロアチア印だ
くねくねとした海岸線をくねくねと走ってゆく。高速でない道路は岸壁にそっていてつくられているので、イタリアのアマルフィ海岸を思い出させる。

ずっと切り立っていた左の山が遠のき、バチーナ湖群がみえてくる

ここをすぎると、ネレトヴァ川の河口にさしかかる。
★去年の《手造の旅》でここにさしかかった時「ネレトヴァの戦い」という映画があったことを教えてくださった方があった。
それは第二次大戦中に、チトー率いるレジスタンスが、圧倒的戦力のドイツとイタリアにネレトバ河口に追い詰められていた時を扱った映画。ユル・ブリンアーなどが出演していた。
※こちらにネット辞典wikiのページがあります


この一帯はいわば水郷地帯になっていて、豊かな水とあふれる太陽でおいしいミカン!がつくられている。これオレンジではなくてほんとに日本の冬ミカンそっくり。

展望に止まったところに出ていた店でみんなに買ってあげた(^^)/
実は去年の《手造の旅》でドライバーさんが買ってくれたのが忘れられなかったから。
こうして体感した味というが、この先ずっと忘れられない旅の思い出になるのなら、安いもんです。
※去年2015年の写真日記に、ミカンを載せておりますのでごらんください。

試食にだしてくれた乾燥フルーツ
小松が買ったのはもちろんはちみつ(^^)/これもオレンジのはちみつです。今年六月にカリフォルニアで買ったオレンジはちみつとくらべてみよう。


河口の果樹園地帯をすぎると、道は再び崖と海との間に入る。そして、突然国境が見えてきた↓

なんと、こんなところにちょっとだけボスニアヘルツェゴビナの領土が海にはみ出しているのだ。
かつて、ヴェネチアと同じアドリア海の海運国ドブロブニクが、進出してきたヴェネチアと領土を接するのを嫌い、一部だけをオスマントルコに割譲したなごり。
ここネウムのドライブインには必ず止まるドライバーさんたち。いろんなものが安いんです。
そこのスーパーの入口に我々極東の国々の旗が・・・やっぱり多いのですね。

クロアチアを去年訪れた日本人は過去最高の13万人。韓国人はなんと40万人だそうだ。しかし、クロアチアを訪れる外国人は1400万人にもなっている。GDPの17%が観光収入というクロアチアなのであります。

ふたたび、クロアチア領に戻る国境昔はここからドゥブロブニクの領土だったということ。

★コルチュラ島へはここからペリシャツ半島という細長い半島を延々走らなくてはならない。半島にはいってすぐにストンという町があるここは昔から製塩業で栄えた小村で、堅固な城壁でまもられていた。その城壁は今でもこうしてみることができる↓

ペリシャツ半島はワインの一大産地。ブドウ畑が続く。


半島の尾根を越えて、大陸側の道路から見えなかったアドリア海の広い水平線が見えた↓向こうに見えているのがコルチュラ島。

朝八時前にホテルを出て正午を三十分まわって、コルチュラ島へいくフェリー乗り場に到着。ここから島へのフェリーは、夏にはとんでもなく混み合うそうな。※2009年に《手造の旅》でコルチュラ島を訪れた時にはまったくそんなことはなく、一台フェリーに乗り遅れてもまったく問題なかったのだが。あ、あれも10月だったからかもしれませんが。

13:40、チャーターしておいた船が島からこちらへむかってきた↓


ほんの十五分ほどで島の旧市街が近づいてきた↓

降りたところでガイドさんがまっていて、すぐにレストランへつれていってくださる

食事の終わった午後二時から、半島へ戻る船の出る15時半までが、我々がコルチュラ島の旧市街を楽しめる短い時間である。



いちばん有名なのはやはりマルコ・ポーロの家。シーズンにはごったがえすのだろうが、今は閉まっている。と、ガイドさんがカギをもっていて開けてくださった。

小さな塔だが上がればやはり旧市街が一望できた

**
こぢんまりした大聖堂もゴシック初期の建築。

ポーチの彫刻はボニーノ・ダ・ミラーノという北イタリアの彫刻家の作。彼はドゥブロブニクのロランドの騎士像の作者でもある。

入口横に、十字を刻んで「ジュビリオ」と刻まれていたのでガイドさんに訊ねたが、実際になんの記念なのかはわかっていないものなのだそうだ。

内部にはやはりヴェネチアの画家ティントレットの若いころの絵が祭壇に飾られている。以前来た時には撮影禁止だったが、OKになったようだ。

ゴシックというより小松にはロマネスク様にみえる彫刻群

大聖堂の塔へも登らなきゃ!



やっぱり高いところへはのぼってみなきゃ(^^♪


最後に、再び旧市街の入口の塔へもどる。14世紀の四角い塔に、19世紀に優雅な階段をつけた。なるほど言われてみれば時代の雰囲気が全然違う。


再び船でペリシャツ半島へ。振り返るとコルチュラの城壁


***
ドゥブロブニクの町を見下ろすスルジ山の見えてきたころには、ちょうど夕日が山肌を赤く染めていた。

一度ホテルへチェックインして、夕食はドゥブロブニクの旧市街にあるレストラン。
はじめてみる旧市街が夜景というのもよいものです(^^)/

明日も晴れますように



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スプリト旧市街~旧テオドール教会のロマネスク鐘楼

2016-10-11 18:14:28 | クロアチア
★たまにはアメブロと役割交代して書きます。

スプリトの宮殿内の話→こちらに書いております



キリスト教を最後に大迫害したローマ皇帝ディオクレティアヌスの邸宅だったスプリト旧市街。
だが、その死後にはもちろんたくさんの教会が建てられている。

既存の建築構造を利用してつくられた5世紀から6世紀にかけての初期キリスト教会が、堅牢な城壁の一部に残されているときいていた。

黄金の門にある、今でも使われているサン・マルティン教会は昨年認識したが、今年は鉄の門の下にもサン・テオドール教会がかつて存在していたのを知った。その下はこれまで何度も通っていたが、はじめて上を見上げてシンプルながら均整の取れたロマネスクの鐘楼にみとれた↓


大聖堂の鐘楼に上って、その鐘楼をもう一度みつける↓


教会本体は失われてしまったのに、人知れず千数百年の年月を立ちつづけている鐘楼である。
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トロギール旧市街

2016-10-11 13:40:57 | クロアチア

トロギールの旧市街は、大陸からこの小さな橋でつながっている、東西五百メートル南北は三百メートルほどの小島。この北門を入ると内部↓

だが、食事はこの元城壁にそって右に歩いたところにあるレストランにて、サバか ビーフシチューの選択だった。

食事を終えて、地元のナミさんという方が日本語でガイドにきてくださった。先ほどの門を入り路地を曲がるとすぐに聖ロヴロ大聖堂前に到着。高さ47メートルの鐘楼を入口から見上げると、「もとの計画では二本立てる予定でした」というのがよくわかる。

デザインはやはりヴェネチアのものにそっくり。ここのいちばんの見どころは入口の彫刻群。1240年ごろにラドヴァンという人物が制作したロマネスク様式の傑作。彼はヴェネチアの聖マルコ大聖堂の彫刻も手掛けている。

今回、資料を読み直していて「ラドヴァンの名前がルネッタの下部に見られる」とあった。それはどこ?

「ルネッタ」とは、この半月形の部分を指すのだが 精緻な彫刻が彫り込まれていて、文字はどこにあるのだろう?

ガイドさんが係員にきいてくださって、やっと見つけた。上の図像の中で羊の下にたしかにラドヴァンの名前があった

***

大聖堂の鐘楼に上ると、広場がよく見える

時計塔の右手のロッジャには、町の歴史を象徴するレリーフがある。ひとつはこれ↓真ん中の空白は?

空白の場所にはヴェネチアを象徴する羽のあるライオンがあったのだが、それは取り外されたのだという。その写真があった↓

写真があるということは、取り外されたのは現代だということ。いったいいつ?なぜ?※こちらみもう少し書きました

ロッジャのもうひとつの面にある現代的な騎馬像彫刻↓

制作者は「クロアチアのロダン」と言われたイヴァン・メシュトロヴィッチ。今回の旅でも、少なくとも三つの彼の作品を見た。どれも愛国的なテーマ。この人物も16世紀に対トルコの戦いで命をおとした総督ペトロ・ベリスラヴィッチ。市内を歩いている時、彼が住んでいた家に記念プレートがかかっていた↓

その家を記念の博物館にする計画があったのだが、資金難で結局売りに出されているそうで…現状はこのような中途半端な廃墟になっている↓

****

今回下調べをしなおしていて、もうひとつ気になったのが、ロッジャのすぐ近くにある「町で一番古いロマネスク教会」。その入口はこの路地の入口にあったのだが… 入口は閉まっていた。ガイドさんによると空いている時はあまりないそうだ。内部の写真もあったが、ごくシンプルなロマネスク。小松は見たいけれど、観光的にはあまりうけないのでありましょう↓

この入口しか見られなくても、訪れてみてわかることはある。上部にわたされた装飾のある石は古代の初期キリスト教徒のお棺から再利用されたものだと解説されていた。※この教会入口については別に書きます

***

大聖堂の鐘楼、一番上まで出る

五十メートルほどでも、トロギール旧市街の赤い屋根が見晴らせる、価値ある場所だった↓

★トロギール南門をでたところで歌っていた「有名シンガー」の動画、ごらんください↓

https://www.youtube.com/watch?v=crBibleXHxo

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トンネルを抜けて、陽光のダルマチアへ

2016-10-11 04:49:16 | クロアチア

朝になっても、雨ははげしく降っていた。午前中はしかし、バスでの移動だからだいじょうぶ。

クロアチアの内陸部と海岸部を隔てる山脈を貫通する長さ5.8㎞のトンネルを抜けると・・・

いきなり地中海の陽光が降り注いでいた!

振り返ると、山脈で止められた雲がはっきり見える↓

あの山脈が気候を分断して、きのうのプリトヴィッチェ国立公園に雨をふらせていたのか。

それから★歴史的にもオスマントルコの覇権を阻んできたのがあの山脈だった。クロアチアの国の形が「く」の字をしているのは、この山脈がアドリア海沿いを守っていたからである。視覚的にそれがはっきり感じられるのがおもしろい。

クロアチアのアドリア海岸は複雑に入り組み、たくさんの入り江がある。我々がバスを停めたこのKIRKというサービスエリアは、古都シベニクから川を遡った場所に位置している。

入り江には小さな古い街がたくさんあり、そんな街のひとつスカルディンがよく見える スカルディン↓

気持ち良い太陽に猫ちゃんもごきげんにあそぶ

***午前中たっぷり走って、12時少し前にトロギールに到着。ここは世界遺産に指定された旧市街がある。

・・・次に続く

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