旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

リヨン旧市街を少し

2023-02-10 08:06:34 | フランス
リヨン旧市街の「バラ色の塔」↑。
今日はトロワからアヴィニョンまでロング・ドライブする日だが、途中少しの時間でもリヨン旧市街を歩いていただきたい。


朝九時にトロワのホテルを出発。
地平線から登る朝陽。
フランス中央部は平らで肥沃な大地。

一回目のサービスエリア休憩↑コーヒー自動販売機がずらりと並ぶのは日本のSAと同じなのに、我彼の差はどこからきているのだろう。トイレの入口だってこのデザイン感覚(^^)消火器まで含めてデザインしたんじゃないか(笑)

トロワの南はすぐにブルゴーニュ。
言わずと知れたフランス二大ワイン産地のひとつ。

二回目のSA休憩で各自軽食。

↑ブルゴーニュ南部のマコンには、二十年以上前の視察旅行で一週間滞在したっけ。

軽食ですませたぶんリヨン滞在の時間を長くできる。マクドナルドのプリオーダーの画面では日本語も選べる。
**

リヨン旧市街を流れるソーヌ川のたもとで下車。

すっきり晴れて、きりっと冷たい空気。

↑川岸から曲がって入った↑「両替広場」(Place du change)。
↑かつてソーヌ川にかかる橋は、画面左奥・川向うに小さく見えている教会からまっすぐかかる一本しかなく、橋を渡って入ってきた遠来の商人たちはまず両替をしたのである。

↑川側から「両替広場」を見ると、正面にあるのが銀行だった。

↑中世の14世紀から両替商が陣取っていた場所には16世紀に銀行の建物建設がはじまり、1630年には両替商の建物があった。建物は何度も改修され証券取引所になっていったが、フランス革命期1803年にナポレオンがプロテスタント教会にすると決めた。
なので現在はTemple du changeという名前になっている。

↑角にはイタリア風のゴシック窓のある建物も残されている。
リヨンはパリよりずっとイタリアにちかい。

旧市街のメインストリートを歩こう。

↑「星の王子様」のお店。作者サンテグジュペリはリヨン出身。

↑「ギニョール」プチ博物館。リヨンの伝統人形劇です。
※2018年に訪れた時のブログに詳しく書きました

↑右の鼻の赤いのは酔っ払いのニャフロン↑ギニョールと彼との風刺会話がキモ。こういう会話劇の面白さはネイティブの人にしか楽しめないですよねぇ~。

ネイティブでなくても地元料理は楽しめる↑「ブション」はそういう食堂↑
←TRIBU DE GONES=ゴーヌ族とは
↑リヨンのモノを売っているお店
↑GONES(ゴーヌ)はリヨン人のことをあらわす方言

↑リヨンに来たらぜったいまた食べたいとおもっていたのがピンクのプラリネ入りブリオッシュ!あぁやっと再会できた(^^)
※2018年に訪れた時のブログに詳しく書きました
ピンクのプラリネは持って帰れても、ブリオッシュはここで食べるしかありません(^^)


↑知っていなければ入っていかないだろう門

↑上の看板「クリブル」とはここに住んでいたファミリーの名前。
下の金色の看板は民泊のもの↑
そして、冒頭写真の中庭にでる。ここにはリヨンで結婚したフランス王アンリ二世とイタリアのメディチ家からの嫁カトリーヌも滞在したそうな。

リヨンにはこうした中庭を繋ぐ小道が建物の中に隠されている↓

「トラブール」とよばれるこれらは、織物の街リヨンがその製品を濡らさずに・安全に移動させるために考案したのだとされている。

※2018年のブログにも書きました
***

サン・ジャン大聖堂のあるサン・ジャン広場にやってきた。

↑丘の上には19世紀のフルビエール大聖堂↑丘から見晴らすリヨンの全景をこちらに載せています


彫刻の多くは革命期に壊されたが入口の細かい浮彫はまだ一見の価値がある↑

↑大聖堂内部

↑かつていちばんの見所だった現役の天文時計は止まっていた!
動いていた時の様子※yutubeのスペイン語の動画にリンクします

年号表示は何度か新しくされた形跡があるのに、残念。


現在の大聖堂以前にあった教会の跡が発掘されている↑

↑壁の石材↑下部になるほど古い時代のもの

↑いちばん下はキリスト教化される以前の古代ローマの石材。4世紀の壁に使われている↑

リヨン旧市街徒歩観光、今日は二時間半だけだったがみなさんリヨン贔屓になりました(^^)

ガイドしていただきありがとうございます!

早くも夕景のリヨン










コメント
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