旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

リヨン フルヴィエールの丘は「リュミエール(光の祭典)」の起源

2018-04-30 13:13:13 | フランス
ローヌ川とソーヌ川が流れるリヨンの町全体を見晴らすフルヴィエールの丘

ここに聳えるフルヴィエール大聖堂は19世紀プロイセンとの戦争に敗れた後の1872年に建設がはじまり1896年完成した。パリのモンマルトルの丘に建つサクレクール聖堂と同時期のもの↓

もっと以前からこの丘に立ち、リヨンを見守ってきたのは金色のマリア様↓これは教会とは別の礼拝堂の上に位置している↓

1852年のこの像の奉納が、12月のリヨンで有名な「リュミエール(光の祭典)」の起源になっている

★丘のキリスト教史的流れ
AD177年 ローマ五賢帝のひとりマルクス・アウレリウスの元でのキリスト教徒弾圧。リヨン最初の司教ポシヌスも殉教する。
1992年 下の旧市街にある聖ヨハネ教会と同時にマリアとトマス・ベケットのための礼拝堂がつくられる
1586年 宗教戦争により破壊される
1638年 伝染病の蔓延を鎮めるための宗教行列を行い、ご利益あり。
1643年 周辺の街に伝染病、宗教行列を行い冠と菓子を奉納する。
    ※この時のお菓子が「クッション・ドゥ・リヨン」の起源?
1832年 再び伝染病の危機、大司教は市民に祈りをよびかけ伝染を回避。
    オルセルの聖母の絵が奉納される
1852年 現在のマリア像が建造され、9月8日に献堂予定だったが洪水にみまわれて12月8日に延期
    12月8日 大雨で献堂のための花火が出来なくなり、代わりに全市民が窓辺にろうそくを置いて町を照らす。
    ※これが現在でも行われている「リュミエール(光の祭典)」の起源になった
  一度、この祭りに合わせてリヨンを訪れてみたい(^.^)
*****
下の町からケーブルカーを利用。「リヨン・カード」はとっても便利↓

フルヴィエールに直行するケーブルは現在工事中、左の路線にのる↓

百年前からここにはケーブルカーがあった

サン・ジュストから公共バスに乗る


十分ほどでバジリカ・フルヴィエールに到着

※カテドラル(司教座)はあくまで下の旧市街にあるサン・ジャン(聖ヨハネ)大聖堂なのです

内部は巨大なモザイク画で飾られている↓緑と金色が基調になっているのは、奉納された緑のクッションと金貨にちなんでいるのだろう↓


↓前出の最初の司教ポシヌスも登場する↓


地下聖堂には世界各地の奇跡のマリア像を復元している↓メキシコ「グアダルーペの聖母」もあった↓

地下聖堂の天井はまだ未装飾のまま


教会の横に立つ電波塔はエッフェル塔に似ている↓

建設当初は「エッフェル塔を超える予定」だったそうな

テラスから冒頭の景色が見える↓

↓緑の線二本は、そこにローヌ川(向こう)とソーヌ川(手前)が流れているから↓

↑モダンな丸い屋根はオペラ座↑

↓近く、右下にカテドラル(司教座)のサン・ジャン大聖堂。遠く新市街に高層ビルが見える↓あのあたりに「ポール・ボキューズ市場」がある↓

午後は新市街へ行ってみよう

***
歩いてサン・ジュスト駅に降りる途中に広大なローマの古代劇場が出現する↓

リヨンという名前はローマ人の名付けた「ルグドヌム」が変化したもの↓博物館もその名前がついている↓

この博物館はいつかゆっくり見る機会をつくりたい(いつ?)
1975年に建設された現代の博物館は半分土の中に埋まった目立たない形に設計されている。

土に埋まっていた遺跡は二十世紀前半になってから掘り出された↓オリジナルの石畳↓



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