【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

吉村昭『破船』新潮文庫、1982年

2012-07-25 00:02:57 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

            

  特定の場所、時代が背景になく(日本海側、江戸時代?)、寓話のようだが、歴史上、実際にあった話らしい。


  ある貧しい漁村。人々が生きていくのに必要な食糧の確保さえあやうい。わずかの山菜、烏賊、たこ、サンマ、イワシなどの海の産物をようやく食べて生活している。それらを干したり、塩漬けにし、近隣の村にいっては、雑穀、雑貨と交換し食いつなぐ。

  あまりに貧しいので、家族の構成員は口入れと称して近隣の村に人身を売り、そのみかえりの前金で命をつないでいる。娘が売られることが多いが、大黒柱の男が自らを売ることもまれではない。実入りがいいからである。

   村は「お船様」を大歓迎した。「お船様」というのは難破した船である。数年に一度あるかないか。しかし、「お船様」の漂着があると、積んである食糧、荷物を「収穫」し、一時、生きる糧が得られ、生活のしのぎとなる。船そのものも解体して、利用できる。

   村では塩焼きといって、大きな釜で海水を煮詰め、塩を得る。薪で釜を焚くのであるが、この時の火が難破船の視界に入ると、それがおとりとなり、船を引き寄せ、結果的に船を座礁させる。それで人々は難破船をもとめて塩焼きをするのである。

  主人公は、伊作という9歳の男の子。父親が口入れに出て、家族を背負うことになる。父親代わりとなって、男として一家を支えなければならない。塩焼き、サンマ漁、伊作は生きていくため、家族を養うため、成長していく。何年かぶりの「お船様」にも遭遇する。しかし、生活が貧しいことは変わらず、家族はひとり、またひとりと死んでいく。吹き出ものと高熱の疫病もがさ[痘瘡]の流行。母親も罹患し、病で死ぬ。

  口入れから漸く村に戻ってきた父親。しかし、家族はすでに消滅していた。伊作は帰ってきた父の姿をみて、どのように行動したか。一切の無駄をはぶき、粉飾を排した硬筆の文章。

  厳しい自然のなかで、生存ギリギリのところで行きる人々を描いた異色の作品。