【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

武田百合子『犬が星見た』講談社、1979年(画像は中公文庫版)

2012-03-08 00:42:44 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                            

 ロシア(ソ連)旅行記です。1969年(昭和44年)6月10日から一カ月弱。最後はスウェーデン(ストックホルム)、デンマーク(コペンハーゲン)まで行っています。


 F社企画の「69年白夜祭とシルクロードの旅」に添乗員を含め総勢10名。著者の夫は作家の武田泰淳ですが、その夫が妻の著者に「つれて行くから日記を書け」と言い、その言を忠実に守ってできあがったのがこの紀行文です。それが1978年(昭和53年)2月から12月まで、雑誌『海』に掲載され、その後、本書となりました。

 ロシア旅行の行程は、横浜を出港して、ナホトカ、ハバロフスク、イルクーツク。ノボシビリスク、アルマ・アタを経由して、タシケント、サマルカンド、ブハラ、ヤルタ、レニングラード、モスクワまでです。そこからヨーロッパに飛んでいるのです。

 実はわたしはこの年(1969年)の8月、バイカル湖でのキャンプに参加しました。武田さんのソ連旅行の2カ月後です。また、1984年には、ソ連経済視察団の一員として、タシケント、サマルカンド方面から、リトアニア、モスクワを回りました。さらに、2007年、ソ連崩壊後、ペトログラード(旧レニングラード)、モスクワに観光旅行しました。

 ということがあり、武田さんのこの旅行記で追体験したり、共感することが多かったのです。とくに1969年の横浜からハバロフスク号に乗って、津軽海峡を通り、ナホトカへ、さらに、ハバロフスク、イルクーツクに向かうコースでの記述は、懐かしく記憶がよみがえりました。
 ハバロフスク号船上での食事、生活には思い当たるところが多いです。タシケントに飛行機で到着する前に、「バルハシ湖」が見え(カザフスタン東部)、機内がざわめくシーンがありますが(p.68)、全くこの通りでした。バルハシ湖がみえたというだけで、機内がざわついていました。「バルハシ湖」はそれだけ魅力ある、綺麗な湖でした。

 著者がたどったコースのうちシルクロード以降のコースで、わたしはブハラ、ヤルタには行きませんでしたが、オデッサ、キエフなどを訪れました。このあたりは少し違います。また武田さんたちは事情があってアルマ・アタはパスしたようですが、わたしはここに降り立ちました。

 著者は、レニグラードからモスクワへは飛行機を使っていますが、わたしは寝台列車でした。一番よく記憶に残っているのは、やはりモスクワなので、ここでの著者の記述は、その団の一員になった感じで読めました。
 ともあれ、この本に描かれている1969年のソ連の様子は、観光客の眼ですが、そのままのソ連人の生活です。食事の内容、絵葉書とバッチの購入、ウォッカ、クワスなどのアルコールの飲み、全くそのままです。

 本書はある意味でまとまりがありません。もっと整理してわかりやすく書けないのか、と最初は思いました。しかし、このように、メモ風に思いついたこと、眼にとびこんだことをそのまま未整理のまま示すものも臨場感があっていいですね。
 なお、同行者の竹内さんというのは、中国文学者の竹内好氏です。また銭高老人という人がいて、いい味をだしています。面白い、愉しい旅行団だったようです。


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