著者は京都大学原子炉実験所の研究者です。原子力研究という夢をもって大学に入学しましたが、直後にその道の選択が間違っていたことを知ります。1970年10月に女川町で開催された原発反対集会に参加して、反原発の研究者として身をたてることを決意しました。なぜ原子力の研究を専門にしていながら、原子力に反対し続けるのかを本書で明らかにしたと書かれています。
私は本書を読んで、人類は原発というなんともやっかいなお荷物をか抱えこんでしまったものだと愕然としました。
冒頭から前半は、放射線の恐ろしさが書かれていて、ただ恐怖をあおるというのではなく、核分裂の構造、メカニズムが易しく解説されているので、その怖さを実感します。
あわせて、①核分裂反応の意味や(ウランが中性子と結合して燃えるのが核分裂反応、複数個の中性子は外にとびだして連鎖反応する)、②ウランはその大部分が「非核分裂性ウラン(ウラン238)」で、「核分裂性ウラン(ウラン235)」はわずかしか存在しない、③ウラン235を集める作業がウラン濃縮と呼ばれる、④ウラン238を「核分裂性ウラン(ウラン239)」に変換して得られるのがプルトニウムという、⑤濃縮ウランやプルトニウムを生み出す工程で出てくるゴミが劣化ウランで、それはほとんどタダでつくられたようなものでアフガン、イラクなどで劣化ウラン弾として使われた、ということが次々と解説されています。
さらに多くの誤解、たとえば日本は唯一の被爆国、化石燃料の埋蔵量に限界があるので原子力は不可欠、原発は二酸化炭素を排出しないのでクリーンといった常識が、誤った情報であることを説得的に解説しています。なぜかは一読してください。
原発というお荷物を人類が抱え込んでしまったとわたしが痛感したのは、それはいったん事故にみまわれるとそのコストがばかにならないこと、使用済核燃料がその処理方法を完全に見いだせないまま世界的規模で現在も累積しつづけている、原発の熱効率は意外と悪く、またその温排水で海洋の温度をあげることに結果していること、などを知ったからです。
廃棄物の処理ではアルファ線核種であるプルトニウムが扱われますがその危険性はウランの比でないこと、多くの原子力発電所で計画されているウランにプルトニウムを混ぜた混合酸化物燃料(MOX)を使用する方法(プルサーマル)が問題の多いものであること、さらに高速増殖炉がきわめて危険であること(高速中性子を使うため制御が難しい)、などの指摘は重要です。
ただ、著者は原子力からは簡単に足を洗えること、現在の原発を即刻停止しても困らないことを述べ、(やや楽観的なようにも思いつつ)展望を失うことのない結末にしています。それが救いでした。
<目次>
1章:被爆の影響と恐ろしさ
2章:核の本質は環境破壊と生命の危険
3章:原子力とプルトニウムにかけて夢
4章:日本が進める核開発
5章:原子力発電自体の危険さ
6章:原子力に悪用された二酸化炭素地球温暖化説
7章:死の灰を生み続ける原発は最悪
8章:温暖化と二酸化炭素の因果関係
9章:原子力からは簡単に足を洗える
10章:核を巡る不公正な世界
11章:再処理処理場が抱える膨大な危険
12章:エネルギーと不公正社会
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