【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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鎌田慧『六ヶ所村の記録-核燃料サイクル基地の素顔-(下)』岩波書店、2011年

2013-02-11 00:17:57 | ノンフィクション/ルポルタージュ

             

  下巻は、むつ小河原国家石油備蓄基地(51基、旧弥栄村)が、1979年に、鷹架沼の近傍に設立されたところから始まる。新全総でこの地に石油コンビナートや石油化学の石油大量消費の工業基地をつくる構想は頓挫し、その際、農家から取り上げた広大な土地は、8年ほど無策のまま放置された後に、巨大な備蓄基地と化した。


  本書で、著者は、さらに、ここに核燃料サイクル基地がつくられ、結果、下北半島に、石油備蓄基地だけでなく、東通村の原発基地、むつ市の原子力船「むつ」の母港、その後始末のための関根浜新母港、半島の先端部にある大間町のA・T・R(新型転換炉)、そして核燃料サイクル基地の建設と核施設が目白おしの状態になり、あたかも終末処理半島と化した経緯をたどっている。

  その意味は、新型転換炉がプルトニウムや燃え残りのウランを利用する原子炉であり、再処理場で回収されたウランが濃縮工場を経て原発にまわされ、プルトニウムが新型転換炉で燃やされ、したがって下北半島一帯が、原発、廃棄物貯蔵、再処理、濃縮、そして原子力船の廃棄と、巨大な核サイクル基地となるということである。付近には米軍三沢基地があり、広大な自衛隊の演習場もある。

  もともとこのあたりは満洲から引き揚げてきた人たちが開拓した土地で、自然資源に恵まれた場所であった。しかし、新全総以来、国、県、民間資本は一体となって、農民を土地から追い立て、漁民から漁業権を剥奪し、ありとあらゆる詭計を弄して、「開発」を推進した。

  反対派の運動は強固であった(泊漁協など)。体をはって、土地から動こうとしない人々もいた(第13章「土地は売らない」)。著者は彼らの立場によりそって、綿密な取材を行い、核燃料基地化の非合理性を告発している。

  とりわけ、使用済み核燃料再処理工場の強引な操業は、人類の存亡にも関わる愚行であり、考えようによっては日本の核武装への初めの一歩になりかねない。「愚行の継続を中止するのがもっとも賢明な方法である。そして原発の縮小とさまざまな代替発電による段階的な停止である。核廃棄物は移動、集中させず、国が安全と認定し、運転を許可した各原発の跡地で責任をもって管理する。それはいまだ安全性が確立されていない核燃料サイクルの新規稼働よりははるかn安全であろう。/原発が縮小/停止の方向に向かえば、プルトニウムの再利用は不必要になる。それが平和に貢献し、世界的にも事故の恐怖を解消する唯一の方法である」(p.335)、これが著者の考え方である。

  なお、六ヶ所村の核燃料サイクル基地は、従来、電気事業連合会の青森県知事への正式申請(1984年)にスタートしたようなことが巷間でしばしばいわれているが、著者はそれがすでに60年代後半の国策に組み込まれていたことを指摘している(東北経済連『東北地方における大規模開発プロジェクト』[68年9月]『東北開発の基本構想』[69年3月]参照)。


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