【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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蓮池薫『拉致と決断』新潮社、2012年

2012-12-07 10:41:57 | ノンフィクション/ルポルタージュ

         

   著者は大学3年生だった1978年に北朝鮮に拉致され、24年間をそこで過ごした。拉致された当初は指導員、幹部の顔さえ見れば、日本への帰国を訴えていたものの、徐々にこのまま日本には帰れないのではないかという諦念が支配し始め、北朝鮮が拉致問題の存在を認めたときでも、まさか日本に帰れるとは思っていまかったようである。が、2002年に子どもをおいて帰国。すぐに北朝鮮に戻る道もあったが、日本残ることを決断、子どもが著者のもとに戻ってきたのは1年8カ月後であった。日本に帰国して8年半。


   著者はこの本で迫られた決断にいたる心理、葛藤を吐露し、拉致被害者としての招待所での生活と思い、平壌市内で目撃した市民、旅先での人々の生活をあますところなく描いている。北朝鮮の市民の生活をとりあげたわけを著者は次のように書いている、「北朝鮮社会の描写なくしては、私たちの置かれた立場をリアルに描けないという理由とともに、決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという気持ちもあった。彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対象でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかり区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える」と(p.3)。

   拉致された著者は在日朝鮮人の帰国と周囲にまた子どもたちにも説明していたとのこと、それを貫き通したとある。仕事は主として翻訳業、北朝鮮の民衆の生活と比べるとややよい生活が保障されていたものの、自由は全くなく、日々の生活と行動は監視され、油断すると密告されかねない状況であったとのこと。

   金日成、金正日、そして党が絶対的存在で、市民はいつでもアメリカ、韓国、日本との戦争がおこるかもしれないという環境のもとにあるようである。逃亡を考えたことも数度、しかし常に子どものことを最優先に考えて行動していたことが痛いようにわかる。その北朝鮮も、国内の状況は少しづつ変化しているようである。著者の願いはただひとつ、一日も早い拉致問題の解決、北朝鮮に残されている拉致被害者の帰国である。


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