【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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吉村昭『陸奥爆沈』新潮文庫、1979年

2012-10-18 00:09:43 | ノンフィクション/ルポルタージュ

             
           
  戦艦陸奥は全長225メートル、全幅30メートルの巨艦であった(基準排気水量39,050トン)。


  その陸奥は昭和18年6月8日正午ごろ、柱島泊地の旗艦ブイに繋留中に大爆発を起こして沈没した。乗組員1474名中生存者は353名。この生存者もサイパン島、ギルバート、タラワ、マキン島でアメリカ軍の攻撃によってほぼ全滅した。爆沈の際の生存者がこの地に送られたのは、かれらの口から陸奥爆沈の事実が漏れる怖れがあったからで、海軍の事実隠ぺいの措置であった。結局、陸奥乗組員の最終的な生還者は、100名足らずであった。

  陸奥はなぜ爆沈したのか。著者はこの原因を明らかにするために調査に入る。徹底的な調査のプロセスが、本書の内容である。

  爆沈当時、いろいろな仮説がたてられた。三式弾の自然発火、諜報機関の仕業、敵潜水艦からの攻撃など。結局、これらの仮説は全て否定され、真相の究明にはいたらなかった。


  著者は独自の調査から窃盗の嫌疑をかけられたQ二等兵曹による自殺行為(火薬庫での放火)と推定している(査問委員会もその線で推定していた)。

  著者は陸奥の爆沈は例外的なものでなかったことをつきとめている。
陸奥爆沈前に、少なくとも7件の火薬庫災害事件があったし、戦艦「三笠」(明治38年9月)、二等巡洋艦「松島」(明治41年4月)、巡洋戦艦「筑波」(大正6年1月)、戦艦「河内」(大正7年7月)が爆沈している(pp.154-55)。それらはいずれも乗組員による人為的な行為によることが確実視されているか、その疑いがある(この種の軍艦の火薬庫爆発事故は諸外国でも頻繁にあったようで、それらの多くは乗組員の放火ないし過失で起こった[pp.157-58])。

  このような事例研究もふまえ、著者は当時の査問委員会による原因究明の資料を発掘、それらを精査し、また生存者のヒアリングを行って上記の結論に達したのである。

  軍艦という堅牢な建造物、しかしそれがひとりの乗組員のふとした出来心によってもろくもくずれさり、壊滅する。爆沈の事実をあらゆる手段を使って隠ぺい工作する軍。「組織、兵器(人工物)の根底に、人間がひそんでいることを発見したことが、この作品を書いた私の最大の収穫であった」と著者は書いている(p.277)。


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