ゲーテの言葉に、行き先に迷ったら原点に戻れ、というのがある。3・11以降、日本丸は何を目指すのか、どのような航海をすればよいのか。3・11前後で、風景を、生活を観る目が変わった。
大地震と、原発事故の前の日本はどこかおかしかったのだ。大地震対策の不備、原発安全神話、浮ついていた。被災地の荒涼とした風景、日に日にあきらかになる放射能被害の実情をまのあたりするにつけ、遅ればせながら狂った現代社会再認識し、狂気が常識化していたことを反省せざるをえない。
本書編集のリーダー格であった坂本龍一さんは、3・11に遭遇して言葉を失い、音楽の無力さを感じ、大きな喪失感をもった。時間の経過のなかで、友人、知人とフェイスブックをとおして「3・11以降だからこそ胸にひびいていた言葉」(p.7)を「たくさんの文章や本をあげていくなかで、それを本にしようという話が起こり、・・・多くの人に共感してもらえる読書案内」(p.10)にしたのが本書である。
茨木のり子、竹村真一、セヴァン・カリス=スズキ、ローレン・トンプソン、中井久夫、寺田寅彦、丸山真男、伊丹万作、小田実、鶴見俊輔、吉部園江、スベトラーナ・アレクシエービッチ、手塚治虫、ダニエル・クイン、菅啓次郎、先住民族指導者の文章が連ねられているが、いずれも深く考えさせられるメッセージだ。
チャップリンの「独裁者」をとおして主客が逆転した現代社会の価値観について論じた丸山真男の「現代における人間と政治」、無責任感覚がが社会に蔓延していく構造を読みといた伊丹万作の「戦争責任者の問題」、市民運動の基本は「いくら何でもひどすぎる」という思いでデモ行進に集まることと語る小田実の「『われ=われ』」のデモ行進」、チェルノブイリ原発事故の悲惨さを市民感覚で告発したスベトラーナ・アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」がとくに印象に残った。
手塚治虫の「アトムの哀しみ」、寺田寅彦の「津波と人間」も一読に値する。
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