【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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フレンチ・カンカン(French Cancan)ジャン・ルノワール監督、フランス、1955年。

2017-09-11 23:14:47 | 映画

                                                                  

 フレンチ・カンカンとは19世紀後半にパリで人気を呼んだショーダンスの一種。速いテンポの二拍子、または四拍子の曲にのって女性がスカートをたくし上げ脚を交互にあげたり、開いたり、随所に見せ場をつくりながら踊る。脚をひらいたまま床に飛び降りたり、とにかく華麗で激しい。カンカンは「ゴシップ」「スキャンダル」を意味する俗語である。モンマントルにあるムーラン・ルージュはパリ万国博覧会のあった1889年にオープン。現在も花の都パリの名所である。

 この作品は、ベル・エポック(良き時代)にパリでカンカンの殿堂であるムーラン・ルージュを開業した興業主ダングラール(ジャン・ギャバン)を主役に、踊り子同士の確執をおりまぜてストーリー化したもの。ダングラールは、ムーラン・ルージュの創始者、シャルル・ジードレルがモデルであるが、ルノワール監督は実像に拘泥せず、自由闊達にこの映画を作った。舞台は十九世紀後半のパリ。ダングラールは下町のダンス・ホール「白い女王」で妖精のように踊るニニ(フランソワーズ・アルヌール)のセンスを見こみ、彼女をダンサーとしてスカウト。カンカンを売り物とした殿堂の開業準備を進めた。ダングラールは以前には別のダンス・ホールを経営し、ローラ(マリア・フェリックス)などのダンサーを抱えていた。初老の貫禄ある色男で、女性遍歴は絶えなかった。ローラはダングラールの愛人だった。

 ニニは洗濯女。その生活から抜け出すことを夢見ていた。パン屋の若者ポーロ(ミッシエル・ピコリ)とは恋人関係にあった。ダングラールがニニに接近したことが、ローラにとっては我慢がならない。そのことが原因でニニとローラは、凄まじい派手な大喧嘩をする。ポーロも、ニニとダングラールの関係が心配であった。

 ムーラン・ルージュ開業には、多額の資金が必要であった。しかし、ダングラールは所有していた店の差し押さえにあい、資金を工面できなかった。ニニとローラ、そしてポーロもからむ騒動に巻き込まれ、大ケガもした。ローラが邪魔だてに入り、資金繰りはうまくいかず、このケガでの入院で、開店は難航を極めた。

 某国の王子、アレクサンドル殿下も「白い女王」で会ったニニに心を寄せ、結婚を申し出ていた。ニニはそれを拒否。殿下は既に「白い女王」を購入していたが、その権利書をニニに託した。結婚できなくとも、ニニへの想いを示したのだった。権利書を得たニニは、ダングラールと首尾よく、ムーラン・ルージュの開業に漕ぎつけた。

 ムーラン・ルージュの開店公演。呼び物は、ニニのフレンチ・カンカン。ダングラールはこの時、別の女性に心が移っていた。ニニが舞台に立つことに反対していた恋人ポーロの願いを振りきったニニであったが、ダングラールの態度に逆上し、出演を拒否。楽屋に閉じこもってしまう。母親、ローラが説得し、ダングラールに「大切なのはお客を楽しませることだ」となだめられ、舞台にたった。割れるような拍手と喝采。「ニニ、カンカン」の歓呼と昂奮の坩堝のなか、ニニはカンカンを踊る。フレンチ・カンカンの大乱舞。数十分に及ぶ踊り子たちの躍動感のある大レビューでフィナーレとなる。

 ダングラールはショー・ビジネスに生きる男。その哲学は、踊り子をスカウトし、育て、舞台にたたせること。自分のために歌ってくれていると客に思わせるショーを企画することだ。恋に落ちることもあるが、それは決して彼の本意ではない。ニニの出演拒否に、はっぱをかけるダングラールは、迫力満点。彼の哲学をぶちまける。お客を喜ばせるために踊れ、俺はおまえを金持ちにさせたり、結婚で幸せにさせたりするつもりもない、俺に大切なのはスターを作りつづけることだ。美男子でもない俺はショーを成功させ、みんなに楽しいショーを提供するのが仕事なのだ、君の望みなど問題じゃない、踊らないなら、やめてしまえ、と。

 カラフルな画面。登場するシャンソン歌手の歌も楽しめる。エディット・ピアフ、パタシュ、アンドレ・クラボ等々。全編、これぞフランスとでもいうべき雰囲気が横溢。陽気で明るいフランス人気質もよく出ている。

 ナチスから逃れて長くハリウッドにとどまったルノワール監督が帰国後、最初に着手した作品という点でも特筆される。


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