宇高フェリー(岡山県宇野~香川県・高松)撤退!
通勤・通学・通院・行商の“足”
のうなったら よわる!
岡山県玉野市と香川県高松市を結ぶ宇高航路。国道フェリーと四国フェリーの2社が3月26日を最後に撤退する-との発表に住民から不安の声があがっています。
岡山県・宮木義治記者
香川県・浜崎好人記者
宇高航路の岡山県側、玉野市宇野港―。
朝、フェリー乗り場近くの路上で魚を売る川口紀代美さん(66)の姿がありました。対岸の高松市から午前9時着のフェリーできます。自転車につけたリヤカーには、さわるとぴちぴちはねるメバルやタイなどがいっぱい。親の代から50年以上、水曜日と休日をのぞく毎日、海を渡って商売をしてきました。
「フェリーがのうなったら、自転車ではこられんもん」と川口さん。客たちも「みんなが困るんよ」といいます。高松からの同業者は5人。「廃業するしかない」といいます。
「ぼうぜんとするほどのショック」と話すのは同市産業振興部商工観光課の尾崎敬一課長。「海の玄関としてフェリーとともに発展してきた街。影響は計り知れない」といいます。
両社のフェリーを日常的に通勤、通学で利用している人は推定1274人。通院での利用者は1600人にのぼります。フェリーが無くなれば、高松市への通勤や通学も、JRで瀬戸大橋を経由するしかありません。
コートのえりを立て、午前7時発四国フェリーの乗船を待つ市内の男性(43)は、高松市に通勤しています。
「飲食関係の仕事なんで、仕事が終わるのは夜の11時や12時。JRの終電には闇に合わない。最悪の場合、仕事をかえるしかない・・・」
日本共産党の垣内雄一参院岡山選挙区候補と赤坂てる子県議、玉野市議団は23日、国道フェリーと玉野市を訪れ、要望を聞きました。県議会は22日、航路の存続支援を求める国への要望書を全会一致で可決しました。
一方、高松市では―。
玉野へ荷物を運ぶ男性(60)は「大型トレーラーだと橋は渡れない。なくなると死活問題だ」と語ります。
フェリーは、橋を渡れないミニバイクや自転車、特殊車の貴重な“足”でもあります。
国道フェリーの宮脇幸次取締役はいいます。
「物流面でも、橋を渡れない大型トレーラーの運転手や徒歩の利用者から『どうすればいいのか』という声をいただいている」
高松市には国道フェリーと四国フェリーの本社もあります。両社は、これまでにも原油高や「千円高速」の影響で夜間を中心に減便を続けてきました。しかし、「前政権からの千円高速をはじめ、ETC割引が大きな打撃。陳情を重ねてきたが好転の要素が見えず判断した」(両社)といいます。
大西秀人高松市長と黒田晋玉野市長は2月17日、前原誠司国土交通大臣に存続を要望。同18日には石井正弘岡山県知事、真鍋武紀香川県知事も国に要望しました。
日本共産党香川県議団と高松市議団は同狢日、藤田ひとし参院香川選挙区候補とともにフェリー会社を訪れ、懇談しました。
その際、両社は「補助があれば運航できるが国の政策の先行きは見えない」(四国フェリー)、「続けるとなれば短期的でなく長期的なビジョンがなければいけない」(国道フェリー)などと説明。党県議団と市議団は3月議会でこの問題を取り上げるとともに、「国、2県2市、フェリー会社の協議の場が必要」であり国会議員とも連携して取り組むことを伝えました。
【写真は、宇高航路の廃止を決めた四国フェリーに事情を聞く(こちら向き右から)樫昭二香川県議、藤田ひとし参院香川選挙区候補、白川容子香川県議ら。2月18日、高松市で】
【国宇高航路って?】
1910年、旧国鉄の宇野線開通に合わせ岡山県玉野市宇野と高松間に開設した航路。当時は国鉄(JR)の連絡船が就航しました。1961年に宇高国道フェリー(現国道フェリー)、1966年に四国フェリーが就航。1988年の瀬戸大橋開通後は、連絡船が廃止されましたが、フェリーは引き続き就航されていました。
ピーク時には旅客400万人、車両190万台の輸送実績がありましたが、今年度(12月まで)は旅客68万人、車両40万台にまで減少していました。
「しんぶん赤旗」日曜版 2010年2月28日付に掲載
宇高航路は、30年近く前に、四国旅行に行った時、四国から岡山に帰る時「連絡船」に乗った覚えがあります。連絡船の上で、「香川に来たので“さぬきうどん”を食べないといけない」と食べたことを懐かしく思い出します。
1910年以来といえば、1世紀の間、岡山と香川の経済圏を結んできたわけです。
それがあることで経済がなりたってきたわけですから、なくなるってことは問題ですよね!
通勤・通学・通院・行商の“足”
のうなったら よわる!
岡山県玉野市と香川県高松市を結ぶ宇高航路。国道フェリーと四国フェリーの2社が3月26日を最後に撤退する-との発表に住民から不安の声があがっています。
岡山県・宮木義治記者
香川県・浜崎好人記者
宇高航路の岡山県側、玉野市宇野港―。
朝、フェリー乗り場近くの路上で魚を売る川口紀代美さん(66)の姿がありました。対岸の高松市から午前9時着のフェリーできます。自転車につけたリヤカーには、さわるとぴちぴちはねるメバルやタイなどがいっぱい。親の代から50年以上、水曜日と休日をのぞく毎日、海を渡って商売をしてきました。
「フェリーがのうなったら、自転車ではこられんもん」と川口さん。客たちも「みんなが困るんよ」といいます。高松からの同業者は5人。「廃業するしかない」といいます。
「ぼうぜんとするほどのショック」と話すのは同市産業振興部商工観光課の尾崎敬一課長。「海の玄関としてフェリーとともに発展してきた街。影響は計り知れない」といいます。
両社のフェリーを日常的に通勤、通学で利用している人は推定1274人。通院での利用者は1600人にのぼります。フェリーが無くなれば、高松市への通勤や通学も、JRで瀬戸大橋を経由するしかありません。
コートのえりを立て、午前7時発四国フェリーの乗船を待つ市内の男性(43)は、高松市に通勤しています。
「飲食関係の仕事なんで、仕事が終わるのは夜の11時や12時。JRの終電には闇に合わない。最悪の場合、仕事をかえるしかない・・・」
日本共産党の垣内雄一参院岡山選挙区候補と赤坂てる子県議、玉野市議団は23日、国道フェリーと玉野市を訪れ、要望を聞きました。県議会は22日、航路の存続支援を求める国への要望書を全会一致で可決しました。
一方、高松市では―。
玉野へ荷物を運ぶ男性(60)は「大型トレーラーだと橋は渡れない。なくなると死活問題だ」と語ります。
フェリーは、橋を渡れないミニバイクや自転車、特殊車の貴重な“足”でもあります。
国道フェリーの宮脇幸次取締役はいいます。
「物流面でも、橋を渡れない大型トレーラーの運転手や徒歩の利用者から『どうすればいいのか』という声をいただいている」
高松市には国道フェリーと四国フェリーの本社もあります。両社は、これまでにも原油高や「千円高速」の影響で夜間を中心に減便を続けてきました。しかし、「前政権からの千円高速をはじめ、ETC割引が大きな打撃。陳情を重ねてきたが好転の要素が見えず判断した」(両社)といいます。
大西秀人高松市長と黒田晋玉野市長は2月17日、前原誠司国土交通大臣に存続を要望。同18日には石井正弘岡山県知事、真鍋武紀香川県知事も国に要望しました。
日本共産党香川県議団と高松市議団は同狢日、藤田ひとし参院香川選挙区候補とともにフェリー会社を訪れ、懇談しました。
その際、両社は「補助があれば運航できるが国の政策の先行きは見えない」(四国フェリー)、「続けるとなれば短期的でなく長期的なビジョンがなければいけない」(国道フェリー)などと説明。党県議団と市議団は3月議会でこの問題を取り上げるとともに、「国、2県2市、フェリー会社の協議の場が必要」であり国会議員とも連携して取り組むことを伝えました。
【写真は、宇高航路の廃止を決めた四国フェリーに事情を聞く(こちら向き右から)樫昭二香川県議、藤田ひとし参院香川選挙区候補、白川容子香川県議ら。2月18日、高松市で】
【国宇高航路って?】
1910年、旧国鉄の宇野線開通に合わせ岡山県玉野市宇野と高松間に開設した航路。当時は国鉄(JR)の連絡船が就航しました。1961年に宇高国道フェリー(現国道フェリー)、1966年に四国フェリーが就航。1988年の瀬戸大橋開通後は、連絡船が廃止されましたが、フェリーは引き続き就航されていました。
ピーク時には旅客400万人、車両190万台の輸送実績がありましたが、今年度(12月まで)は旅客68万人、車両40万台にまで減少していました。
「しんぶん赤旗」日曜版 2010年2月28日付に掲載
宇高航路は、30年近く前に、四国旅行に行った時、四国から岡山に帰る時「連絡船」に乗った覚えがあります。連絡船の上で、「香川に来たので“さぬきうどん”を食べないといけない」と食べたことを懐かしく思い出します。
1910年以来といえば、1世紀の間、岡山と香川の経済圏を結んできたわけです。
それがあることで経済がなりたってきたわけですから、なくなるってことは問題ですよね!