2月に入り、期末テストやレポートを終えた学生たちは春休みに突入、まさに青春を謳歌していることだろう。こちらは心身ともに酷使する最繁忙期を迎え、帰宅しても執筆に身が入らない。しかし何とか、懸案の2本の論文は脱稿の方向へ向かってきた。
自然環境と人間との間に横たわる〈負債〉の意識については、やはり「存在の贈与」と「原罪性」がキーワードとなる。前者は自らの生命が自然、もしくはその表象である神霊(造物主)から贈与されたものだとする考え方で、後者はそうした自己が自然や神霊に決定的なダメージを与え、それゆえに苦悩を背負うことになったとする考え方である。どちらが欠けても、恐らく〈負債〉の意識は生じないか、もしくは根無し草的で浅薄なものとなる。この問題をもう少しきちんと掘り下げてゆけば、川田順造氏などが繰り返すステレオ・タイプのキリスト教批判論(「創世記パラダイム」)や、エコ・ナショナリズムに繋がるアニミズム礼賛論への有効なアンチ・テーゼとなるだろう(…たぶん)。
以上のようなことをつらつら考え、文章を綴っていたら、それにシンクロするかのごとく、上記の3冊が岩波書店から立て続けに刊行された。秋道智彌さんの『コモンズの地球史』は、シリーズ『資源人類学』前後の論文をまとめたもの。資源・所有の問題系は、〈負債〉を論じる際には極めて重要と思うが、あまり贈与論や交換論と結びつけて語られてはいないようだ。注意したい。
谷泰さんの『牧夫の誕生』は、ドメスティケーション起源論の集大成ともいえる内容。昨年の河野哲也さん、三浦佑之さんとの意見交換のなかで、「家畜化は人間の野生を鈍化させる」というテーゼが浮かび上がってきたので、あらためて勉強しなおさねばという気になっていた。王権や国家の起源にも結びつく問題であり、牧畜の発展しなかった列島文化との比較においても重要だろう。
野本寛一さんの『地霊の復権』は、石神を扱っている点で、例のしゃぶき婆の来歴を考える手助けとなりそうだ。諏訪御柱祭のシンポジウムでは、ミシャグチのブームを巻き起こしたともいえるヴィジュアル・フォークロアの北村皆雄さんの知遇を得たが、今度お話を伺う必要があるかも知れない。…しかし、こう「地霊」の存在を前提に論じられると、少し違和感がある。すべてを「地霊」に収斂してしまうことで、逆に列島の豊かなアニミズム世界とはかけ離れていってしまうような気がしてならない。
よくよく考えてみると、今年度考えてきたことは、仲立ちしてくださった方々も含めみんなどこかで繋がっている。不思議なことである(しかし上の本、みんな同じ感じのタイトルだなあ。岩波編集者のサジェスチョンなんだろうけど、もうちょっと特徴を持たせようよ)。
自然環境と人間との間に横たわる〈負債〉の意識については、やはり「存在の贈与」と「原罪性」がキーワードとなる。前者は自らの生命が自然、もしくはその表象である神霊(造物主)から贈与されたものだとする考え方で、後者はそうした自己が自然や神霊に決定的なダメージを与え、それゆえに苦悩を背負うことになったとする考え方である。どちらが欠けても、恐らく〈負債〉の意識は生じないか、もしくは根無し草的で浅薄なものとなる。この問題をもう少しきちんと掘り下げてゆけば、川田順造氏などが繰り返すステレオ・タイプのキリスト教批判論(「創世記パラダイム」)や、エコ・ナショナリズムに繋がるアニミズム礼賛論への有効なアンチ・テーゼとなるだろう(…たぶん)。
以上のようなことをつらつら考え、文章を綴っていたら、それにシンクロするかのごとく、上記の3冊が岩波書店から立て続けに刊行された。秋道智彌さんの『コモンズの地球史』は、シリーズ『資源人類学』前後の論文をまとめたもの。資源・所有の問題系は、〈負債〉を論じる際には極めて重要と思うが、あまり贈与論や交換論と結びつけて語られてはいないようだ。注意したい。
谷泰さんの『牧夫の誕生』は、ドメスティケーション起源論の集大成ともいえる内容。昨年の河野哲也さん、三浦佑之さんとの意見交換のなかで、「家畜化は人間の野生を鈍化させる」というテーゼが浮かび上がってきたので、あらためて勉強しなおさねばという気になっていた。王権や国家の起源にも結びつく問題であり、牧畜の発展しなかった列島文化との比較においても重要だろう。
野本寛一さんの『地霊の復権』は、石神を扱っている点で、例のしゃぶき婆の来歴を考える手助けとなりそうだ。諏訪御柱祭のシンポジウムでは、ミシャグチのブームを巻き起こしたともいえるヴィジュアル・フォークロアの北村皆雄さんの知遇を得たが、今度お話を伺う必要があるかも知れない。…しかし、こう「地霊」の存在を前提に論じられると、少し違和感がある。すべてを「地霊」に収斂してしまうことで、逆に列島の豊かなアニミズム世界とはかけ離れていってしまうような気がしてならない。
よくよく考えてみると、今年度考えてきたことは、仲立ちしてくださった方々も含めみんなどこかで繋がっている。不思議なことである(しかし上の本、みんな同じ感じのタイトルだなあ。岩波編集者のサジェスチョンなんだろうけど、もうちょっと特徴を持たせようよ)。