10/31(水)~11/3(土)は、上智大学でソフィア祭が開催される。とうぜん授業は休講なわけで、10月の8コマ講義で疲弊した精神を和らげ、かつ溜まった原稿(いつも溜まっているのだが)を処理する絶好の機会なのである。しかし、今年は出足から躓き気味。10/31は大妻の講義へ出講しなけらばならず、11/1も『上智史学』の校了作業のために出勤しなくてはならない。大学と自宅が近ければまったく苦にならないが、バス・電車を乗り継ぎ2時間弱かけて来る人間にとって、これは大きな時間のロスである。そこで、どうせ東京に出るのならと、ずっと期待していた映画『パンズ・ラビリンス』を観るべく、有楽町駅前の再開発でオープンしたシネカノン有楽町二丁目へ足を運んだ。ところが、上映開始4週目ながらやはり評判が良いせいか、入れ替え制のチケットが早々に売り切れてしまっておりやむなく断念。翌日も同じようなことが続いたので、もう今週は縁がなかったとさすがに諦め、何か自宅で気晴らしでもしようと帰途に就いた。
さて、家に着くとamazonからDD60CSSが届いていた。わずか1万円だが、しっかりした5.1chのスピーカーシステムである。8月に購入したままずっと封印していた、PlayStation3に繋ぐべく注文しておいたのだ。ここ数日の鬱憤を晴らすべく、さっそく箱を空けてセッティング。机の周辺に即席ホームシアターを構築した。さて何を動かしてみようかな、とは一切考えず、コーエーの『ブレイド・ストーム』をセット。イギリスとフランスの百年戦争を描いたタクティカル・アクションで、実はこれと『真・三国無双5』が出ると聞きPS3の購入を決心したのである。ぼくはゲーマーではないので、いわゆるゲームのゲームらしいところに惹かれるわけではない。PS2以降のゲーム機がみせてくれるような異世界、その空間のなかで自由に遊ぶことのできる感覚を楽しみたいのである。また、歴史学者の端くれではあるので、洋の東西を問わず、歴史を題材にした作品にはついつい食指が動いてしまう。もう10年ほど前になるが、初めて『真・三国無双』を観たときには驚愕したものだ。『三国志』の英雄になりきって兵士のひしめく戦場を駆けめぐる臨場感に、ゲームというものの新たな可能性を垣間見た。その数年前に、小松和彦監修の『コスモロジー・オブ・京都』というPCソフトがあった。平安京を逍遥して数々の歴史的事件(というより物語的事件)を経験できる優れモノだったのだが、今こそあれを3Dで作ってほしい!と真剣に考えた。その後、王朝的空気にホラー性を加味した『九怨』というソフトが発売されたが、教育的観点からするといまひとつだった。PS3が商業的に苦戦を強いられ、DSやGAMEBOY、携帯電話の提供する単純なゲーム(DSの場合は教育ソフト等の力が大きいが)に再び人気が集まっているのは、上記のような世界観のゲーム的需要、ヴァーチャル・リアリティ的なゲームの進化に限界がみえてきたということかも知れない。しかしぼくとしては、PS3の性能をフルに使って、もっとリアルな異世界や過去の歴史的世界を再現し、仮想体験できるようなソフトを作っていってほしいと思う。
ちなみに、『ブレイド・ストーム』や『無双』シリーズは、戦争を扱っている関係上、極めてジェノサイドな作品である。僧侶としてこんなものやってていいのかな、とふと考えることもある(かつて仏教は、夢のなかの殺人は業としては微弱で、悪報を生じるのは足らないと考えた。ならばゲームのなかでの殺人はどうなのか。現代仏教が真剣に考えなくてはいけない問題かも知れない)。『ICO』や『ワンダと巨像』、『大神』のような、戦争をモチーフとしないゲームも考案してほしい。
さて、家に着くとamazonからDD60CSSが届いていた。わずか1万円だが、しっかりした5.1chのスピーカーシステムである。8月に購入したままずっと封印していた、PlayStation3に繋ぐべく注文しておいたのだ。ここ数日の鬱憤を晴らすべく、さっそく箱を空けてセッティング。机の周辺に即席ホームシアターを構築した。さて何を動かしてみようかな、とは一切考えず、コーエーの『ブレイド・ストーム』をセット。イギリスとフランスの百年戦争を描いたタクティカル・アクションで、実はこれと『真・三国無双5』が出ると聞きPS3の購入を決心したのである。ぼくはゲーマーではないので、いわゆるゲームのゲームらしいところに惹かれるわけではない。PS2以降のゲーム機がみせてくれるような異世界、その空間のなかで自由に遊ぶことのできる感覚を楽しみたいのである。また、歴史学者の端くれではあるので、洋の東西を問わず、歴史を題材にした作品にはついつい食指が動いてしまう。もう10年ほど前になるが、初めて『真・三国無双』を観たときには驚愕したものだ。『三国志』の英雄になりきって兵士のひしめく戦場を駆けめぐる臨場感に、ゲームというものの新たな可能性を垣間見た。その数年前に、小松和彦監修の『コスモロジー・オブ・京都』というPCソフトがあった。平安京を逍遥して数々の歴史的事件(というより物語的事件)を経験できる優れモノだったのだが、今こそあれを3Dで作ってほしい!と真剣に考えた。その後、王朝的空気にホラー性を加味した『九怨』というソフトが発売されたが、教育的観点からするといまひとつだった。PS3が商業的に苦戦を強いられ、DSやGAMEBOY、携帯電話の提供する単純なゲーム(DSの場合は教育ソフト等の力が大きいが)に再び人気が集まっているのは、上記のような世界観のゲーム的需要、ヴァーチャル・リアリティ的なゲームの進化に限界がみえてきたということかも知れない。しかしぼくとしては、PS3の性能をフルに使って、もっとリアルな異世界や過去の歴史的世界を再現し、仮想体験できるようなソフトを作っていってほしいと思う。
ちなみに、『ブレイド・ストーム』や『無双』シリーズは、戦争を扱っている関係上、極めてジェノサイドな作品である。僧侶としてこんなものやってていいのかな、とふと考えることもある(かつて仏教は、夢のなかの殺人は業としては微弱で、悪報を生じるのは足らないと考えた。ならばゲームのなかでの殺人はどうなのか。現代仏教が真剣に考えなくてはいけない問題かも知れない)。『ICO』や『ワンダと巨像』、『大神』のような、戦争をモチーフとしないゲームも考案してほしい。
第33軽戒には、戦いを見て楽しむこと、音楽、ゲームを禁止していると読めませんかね (^_^;;