く~にゃん雑記帳

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<日野町・日枝神社> 4年ぶりに「ホイノボリ」奉納!

2023年04月05日 | 祭り

【シダレザクラを模した幟の下で町内ごとに花見の宴】

 滋賀県日野町大窪の日枝神社で4月4日、春の例祭「南山王祭」が開かれ、4年ぶりに日野特有の華やかな「ホイノボリ」が奉納された。ホイは竹を細長く割ったヒゴのこと。ホイノボリはその竹ヒゴに和紙で造った白やピンクの無数の花びらを取り付けたもので、まるで満開のシダレザクラのように放射状に広がる。そのホイノボリが境内の広場を埋め尽くし、その下で氏子の町民たちが飲食しながら楽しげに談笑。まさに春爛漫の光景が繰り広げられた。

 日野町は日野城主、蒲生家の城下町。全国有数の漆器「日野椀」や漢方薬の販売で近江日野商人としても名を馳せた。往時の繁栄を象徴するのが長い歴史を誇る湖東最大の祭り「日野祭」。5月の連休中、各町内から十数基の豪華な曳山が繰り出す。十数年前、その祭り見物のため日野町を訪れた。今回の訪問はそれ以来。日枝神社の本殿は1773年(安永2年)の建立で、鳥居や燈籠なども日野商人から寄進された。氏子地域はメーンストリートの大窪中央通りの南側。北側の北山王井林神社に対し南山王と呼ばれ、春の例祭には例年22の町内からホイノボリが奉納される。

 4日早朝6時半ごろ奈良の自宅を出発し、近鉄・JR東海道線・草津線・近江鉄道を乗り継ぎ、日野駅前からバスで最寄りの大窪バス停へ。途中、JR南草津駅近くの踏み切り事故もあって、日枝神社に着いたのは10時20分を過ぎていた。神社に近づくと琴の音が流れ、拝殿下の広場にはすでに多くのホイノボリが林立していた。ノボリには赤地にそれぞれの町名が記され、先端には白い御幣。ホイノボリには五穀豊穣や厄病退散などの願いが込められているそうだ。

 広場のそばにホイノボリの受付場所があった。「宮入時刻」の一覧を拝見させてもらうと、先頭に「壱番午前8時39分今井町」とあった。ただ、拝殿側の広場最前列に並ぶ上・中・下岡本町の3町は“番外”で、それより少し前の午前8時32分到着となっていた。宮入が完了したのは10時15分。残念ながらタッチの差で宮入の様子を見ることができなかった。広場の一角には滑り台が2つあった。普段は子どもたちの遊び場になっているのだろう。

 11時を過ぎると、あちこちで仕出しの弁当が配られたり「乾杯!」の声が響いたりした。そばには清酒の1升瓶も。約350年前の1675年(元禄8年)に造られたという石段を登ると、ホイノボリが立つ広場を俯瞰できた。ホイノボリを数えると19まで確認できた。御幣だけを立てた町内もあった。町並みの奥に聳えるのは町のシンボル、鈴鹿山系の一つの綿向山だ。標高は1110m。日野町はその標高に因んで11月10日を「綿向山の日」に制定している。

 拝殿の前では5つの釜が置かれ薪がくべられていた。巫女が午後の神事で鈴を鳴らしながら笹の葉で清めの湯をまくという。ホイノボリはこの日枝神社に続いて、日野町内の井林神社や大屋神社、八千鉾神社など6つの神社の例祭でも数本ずつ奉納される。それらの一連の行事が「日野のホイノボリ」として滋賀県選択無形民俗文化財に指定されている。


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