勝地(かつち)ブログ

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vol.417 公聴会制度

2017年10月15日 22時17分06秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


雨読の1日でした。

配られてきた「議会だより」も、ホント久し振りに目を通しました。

読んでいろいろ感じたことの中で一つだけ強いて言うなら、というか解せないのは、これだけ決定の行方が注目されているのに「なんで公聴会をしないのかなぁ」ということ。

養父市文化会館(仮称)建設特別委員会中間報告を読んでのことです。

建設予定地の是非、建設費の投資見込額35億円の是非、備えるべき機能の内容、市内に現存する各文化ホールとの棲み分け意見などなど、市民意見はどの辺にあるのか公開で広く聴いておく必要があるだろうと。
特別委員会までつくったのなら重要度は格別で、審査はそれだけに時間を特に割いて丁寧に広く深掘りしてやるべきだと思う。

議会に与えられているそれら権能は、ご存知の通り以下に明記されています。

養父市議会基本条例
第3章 市民と議会の関係
(市民参加及び市民との協働)
第6条 議会は、情報の公開に努め、市民に対して、説明責任を十分に果たすとともに、市民との協働により議会運営の充実に努めます。
2 議会は、必要に応じて、参考人制度及び公聴会制度を活用し、市民意見を反映するとともに、学識経験者等からの専門的な知識を審議に生かします。

養父市議会委員会条例
(公聴会開催の手続)
第23条 委員会が、公聴会を開こうとするときは、議長の承認を得なければならない。
2 議長は、前項の承認をしたときは、その日時、場所及び意見を聴こうとする案件その他必要な事項を告示する。
・・・・・

議員の定数や報酬を審議するときだけの公聴会制度ではない訳で、議会基本条例が眠っていないか。

中間報告を読む限りにおいては、視察や当局説明も必要ですが、公聴会を開こうとする気配は感じられないので、この件に関する捉え方の感性が私とかけ離れているのだろう。

どっちが正しい悪いという指摘ではないので誤解のないように。議会の責任において審議されたらいいのですが、私なら、という指摘。


*誤変換及び文章の瑕疵は後ほど推敲します。

vol.416 教養

2017年10月15日 17時13分11秒 | Weblog
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前回ブログの続きで中央公論「教養特集」から、中原淳(東京大学大学総合教育研究センター准教授)さんと佐々木俊尚(ジャーナリスト)さんの対談から思うところを抜粋。前回同様に話の前後を切り取っての抜粋なので思慮ください。

中原
教養って、その人が持っている地図みたいなものですよね。それが「本郷三丁目の地図」なのか、「日本地図」なのか、「世界地図」なのかによって、その人が生きていける世界が違ってくる。
卒業生の一人がある企業に就職したんですけど、「〇〇社に入りましたけど、それは私のラベルの一つです」と言ったんです。ああそうだよなと思いましたし、そこは僕の感覚にも近い。確かに今後はそうなっていくんでしょうね。
要するに、生きていければいいのです。生計を支えるために何をするかだけを考えればいい。そのために複数の仕事が必要ならばすればいい。職業選択には自由があります。「人生=一つの会社に属すること」という考え方は、そろそろアンインストールしなければいけません。そして、こういう時代だからこそ、会社は優秀な社員を「ひきとめる力や磁場」を持つ必要があるだと思います。

佐々木
多様性を知っていることも教養ですよね。とはいっても、それは義務ではなくて、多様性を知っている方が生きやすいということじゃないかなと思います。いろんなことを知っていれば、何か困ったことが起きても、すぐに人生終わりだと諦めることもないし、それが生きやすさや働きやすさにつながる。
僕が付き合っている二十代とか三十代の人たちの中には、もはや仕事が一つという人はあまりいない。勤め先からの継続的な収入のほかに、他社のプロジェクトにも関わるし、よそからの単発の仕事も受けるといった働き方をしていて、「何をやっている人?」って聞いても、本人も答えられない。今後はそういうふうに複数の仕事を持つのが当たり前になるかもしれないし、だとすると、サードプレイスという概念自体もなくなっていくんじゃないかと思うんです。


*サードプレイスとは、自宅や職場とは隔離された居心地の良い第3の居場所を指します。公園とか図書館とか。

地方で農業や林業、漁業に取り組む若者が徐々にではあるけれど増えてきたのは、人生を保証してくれていた昭和のエスカレーターモデルが崩壊しつつあることを肌で感じているから。右肩上がりで無くなって下がることもありの職場、最後まで完走できる人はそうはいないということか。

教養ってのは、生きていく力とも言えるのかなあ。
変化に適応する力としての教養を身につけようと、人は予定調和でないリアルな学びの場へ出かけていくといいます。特に若い人たちは、人に会いたいという情熱が凄いと。人から直接話を聞くと、理解しきれてなかったことが見えてくるのでしょう。

なんか、わかる気がする。若くはない私だけど。


話は変わって
昨日置いておいた「どうぞ」の野菜カゴ、その二十四時間後。




*誤変換及び文章の瑕疵は後ほど推敲します。

vol.415 雨読

2017年10月15日 10時30分01秒 | Weblog
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しばらく雨かー☂️
2日後に控えた四国遍路の行程を、軽自動車カーナビに入力。



雨には雨のお参りの仕方で勤めて行くしかないなと腹決めはしてますが、あまりの荒天なら道後温泉に浸かってりゃいいだけのことと腹決め。


今日は、雨読です。
訳あって二ヶ月分の二冊が一度に届けられた「中央公論」が目の前に。
一気に読めないが、「なぜいま教養ブームなのか?」の特集に目が止まりました。若い頃は机に向かうのさえ億劫なものだが自ら進んで学び始める大人たちがそこここにいる、と。

教養の今日的意義を考えるってことですが、教養という言葉で思い出すのが高齢者での集まりでのこと。「これからは教育と教養が必要です。教養とは今日することの用事が有ること、教育とは今日行くところが在るということ。閉じこもらずに外に出かけて仲間とふれあいましょう」と、挨拶の切り出しはコレからでした。

さて、教養特集の中から、コレはと思った話を幾つか以下に抜粋。話の前後を切り取ることになるので、そこは思慮ください。
マキタスポーツ(ミュージシャン、俳優、芸人)さんと千葉雅也(立命館大学大学院准教授)さんの対談から。

千葉
私たちは基本的に周囲のノリに従って環境に保守的に生きている。そこにはある種の居心地の良さがあるのだけれど、望むと望まざると人生には出会いや別れ、進学や結婚など環境の変化が起こり、それらに順応していかなければならない。その適応過程で行なっているのが学習すなわち勉強で、言ってしまえば私たちは一生勉強していく生き物なのかもしれません。とすれば、勉強を楽しく効率的に深められれば人生はより楽しくなるでしょう。そのために第一段階として必要なのがツッコミという思考スキルで、「その話は本当か?」と根拠を疑い真理を目指すことです。そして第二段階がボケで、根拠を疑うのではなく、見方を多様化させることです。

マキタ
ツッコミは特にインターネットの世界がひどい。誰もがスマートフォンを持ちSNSで発信できるようになった結果、社会全体がマスコミ化しました。やれ政治家が不倫したと総攻撃、芸能人が交通事故したと総攻撃。確かにその当事者は被害者や家族には謝罪しなければならないでしょう。しかしスマホを持つあなたにどんな損害を与えたのか、当事者は社会復帰できなくなるまで叩かなければならないのかと。お笑い番組が持て囃されるようになったのはありがたいことですが、ツッコミという新しいコミニュケーションツールが普及した結果、細かいことですぐ揚げ足取りをする息苦しい社会になってしまったと思います。やっぱり社会も少しずつ良い方向に進んでほしいということで私が提案したのが「ベタ」です。ベタとは一歩引いて生きるのではなく、ベタな行動をどんどんして人生を楽しむことです。夏は海で泳ぎ、クリスマスを祝う、さらには結婚する、子どもの写真を携帯の待ち受けにする。十代の若い人からはそれこそ「寒い」と突っ込まれそうだけれど、そういうベタをしたほうが人生は絶対面白いと思うのです。


ベタとは、そのまま、特別でない、ありきたり、の意味です。

コレはと思った話を幾つかアップしようとおもいましたが、長ーくなりそうなので、ココで一旦置き、また次回。


話は変わって
赤米をポンするとこんなふうになります。



*誤変換及び文章の瑕疵は後ほど推敲します。