勝地(かつち)ブログ

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NO.51 エール 

2008年07月30日 23時45分05秒 | Weblog
3月から5か月間走り続けて少し疲れ感が残るようになってきました。猛暑も追い打ちをかけています。後援会しおり第3号を編集し印刷業者にまわしました。明後日から8月、活動も3巡目に入ります。

Eメールでエールをいただきました。
「この秋は、雨か嵐か知らねども、今日の務めの、田草取るなり」
雑音を気にせず、前進あるのみです。


夕刻、出石・フリーダムにて、オーナーと1年ぶりの再開・夕食で英気を養いました。

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NO.50 シンクタンク

2008年07月28日 00時04分35秒 | Weblog
NO.49で書いた温泉閉鎖のショックから、養父市には自治体シンクタンクが今必要とされているのではと考えます。温泉閉鎖は、指定管理者制度執行までに深化した調査研究がなかったために起きた表層雪崩のようなものです。ほかは大丈夫か。

2000年の地方分権一括法により都市間競争が活発化してきています。政策形成能力を高めつつある市、手をこまねいている市、その格差がまちづくりや市民生活に及ぼす影響が現れ始めているのではと。

今、自治体は生き残りをかけた改革を断行しなければ、いずれ消滅する日を迎えます。そのためには相当の覚悟と繊細な仕組みづくりが不可欠です。その仕組みをどのように担保していくのか。意見・提案ばかりではなく、いわゆる具体的に落とし込みのできる実行策がつくれるのかどうか、です。

将来の人口推計、景気変動、上位計画などのデータを収集・整理・分析・調査しながら、そこから中長期的な政策を形作り調整していく。それは原課でこなせれば一番よいが、現状をうかがう限り目の前の課題解決に追われ、とても対応できそうにはない。外部コンサル任せの方法もあるが一長一短であり、何よりも職員に形成能力が育まれない。これは内部コンサルタントなのです。合併で職員が余っているからではなく、生き残っていくために職員に政策形成・調整の能力をつけてもらう意味付けがあります。

自治体シンクタンクは、今の時代にこそ真に必要とされていると考えています。さらには市長のブレインとしてマニフェストを実行するための肉付けをやっていくのも自治体シンクタンクの役割の一つです。

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NO.49 万灯の炎は

2008年07月25日 06時50分24秒 | Weblog
2004年11月23日に オープンした公営入浴施設・関宮温泉「万灯の湯」が閉鎖されます。ウワサとしては随分前から聞いてはいましたが、現実のものとなると複雑な心境です。

サイト・トップも、以下の閉鎖張り紙でした。
関宮温泉「万灯の湯」は開業以来多くの皆様にご利用いただきましたが、燃料の高騰等諸般の事情により閉鎖することに決定いたしました。
ご利用いただきました地元のお客様をはじめ養父市内外の多くのお客様にお詫び申し上げます。

公営施設の指定管理者制度を適用した第1号として、「民間の力を生かしたい」との養父市の方針のもと旧関宮町大谷地区の住民で組織する大谷校区管理組合に運営管理をまかせていたもので、農村交流ターミナルとして農産物の販売や体験農園の開発、宿泊施設の開設等も計画としてはありました。

市内ほかの公営入浴施設の運営形態は、三セク、PFIと様々でそれぞれ長所短所があります。リスク分担の責任所在が唯一明確にされているのはPFI方式です。

4年に満たない歳月のなかで、指定管理者方式の何が災いし、何が課題として浮かび上がってきたのか、燃料費の高騰以外にも大きな要因があるようにも思われます。
そもそも受け皿としての能力が管理組合に備わっていたのか、中間報告・打開協議はなされていたのか、非常事態でのリスク分担の契約はどうであったか、行政からの管理委託費は妥当であったのか等など、しっかり検証していただきたい。行政側、管理側双方の責任問題です。

温泉名称の「万灯さん」は地元三宅地区の伝統行事。毎年8月24日、山頂に愛宕大明神を祀る万灯山(260m)で麦わらで作った60の万灯に火がともされ、稜線に炎が揺れてそれは見事な眺めです。
眼下の温泉閉鎖をみて今年はどんな思いの炎が揺れるのか、熱い熱い夏です。


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NO.48 氷ノ山八鹿I C 

2008年07月22日 23時29分33秒 | Weblog
香住方面に買い物に出掛けていた友人が、こう言います。

一昔前から見ると営業車が全く走っていない。静かだ。但馬西北部には仕事が無い。阪神地域から鳥取用務は中国道高速経由で但馬は通過しない。鳥取~豊岡~宮津道路が開通して果たして但馬は繁栄するのか。但馬西北部の歪な合併構図は持続可能か。第2次の合併話が持ち上がるのではないか。養父市の受け皿役割もでてくるかもしれない。高速道路は突き当りの地域が繁栄する。和田山がいい例だ。

要するに、春日~豊岡道路は八鹿インターまでで北伸は長く止めおくことが養父市・八鹿の発展に欠かせないことを言いたかったようです。和田山を見てうなづける一面もあります。

八鹿インターチェンジの名称は「氷ノ山八鹿IC」として近畿・関西に売り込むべきだろうな、と私。
現実にIC現地からは氷ノ山が仰ぎ見れ、また氷ノ山に一番近く便利なICになります。手法は、命名権の地元主導型とでもいうものです。先進例でコウノトリ但馬空港があり、氷ノ山八鹿IC(インターチェンジ)もぜひ実現させたいものです。住民主導の運動で盛り上げ、広く力を貸していただく時が来ることを願っています。

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NO.47 夏まつり 

2008年07月21日 22時22分11秒 | Weblog
真夏日となった19(土)~20日(日)、但馬の夏まつりのトップをきって八鹿夏まつりが催されました。
八鹿夏まつりの見どころは、何といっても造り物の材料アイディアと精巧さです。

下記写真はその造り物の一つ、京口区の作品「八鹿幼稚園」です。廊下奥に灯る裸電球が郷愁を誘います。



(説明書)
京口区は、学び舎シリーズ最終章として学びの原点八鹿幼稚園を造りました。八鹿幼稚園は屋岡神社の鎮守さまのご加護に守られながら、戦中・戦後の苦難をいくつも乗り越え、小・中学校教育の基礎づくりの役目を立派にはたし、戦後の激変の世に育てられた数多くの人々の心の中に、幼稚園での育みが、今の世に脈々と生き続けています。みなさん八鹿夏まつりの夜のひとときを、それぞれ当時の思い出に浸り、語りあかしてください。
   沿革
昭和9年  小学校付設幼稚園認可
昭和11年 幼稚園敷地の地鎮祭
昭和12年 平木鹿治氏寄贈による幼稚園落成式
平成元年6月 取り壊し(52年間)

「かあちゃんず」の皆さんによる、よさこい踊りの模様です。衣装も振り付けも大胆に、そして現代風にアレンジされていました。



祭りは、非日常を醸しだすことにより、演技者・見物客ともに明日への活力を生み出すものです。まちの元気を再確認した方も多いことでしょう。

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NO.46 自問

2008年07月17日 10時02分20秒 | Weblog
村人がいなくなって集落がなりたたない、コミュニティが崩れている。確かにそうなんです。だから話し合いをし、解決策の一つともなる提言をする。そこまではいいんです。
その提言の先にある具体策への落とし込みがない。今まで、指摘と感想と提言で終わってきたことに自問しています。

できることは自分たちでやるという仕組み、それは地域を活性化させるし、自然にまとまりも役割分担も出来あがることを経験しましたが、仲良しクラブ的でありかぎり息の長い取り組みとなると疲労が溜まってくる。ステップアップしている実感がどうしても必要なのです。

また、地域住民の目線と同じでありたいと努力する行政に感謝はしていますが、同じ目線に安穏と浸っているだけでは、この時代、前が開けない。村が崩壊していったのは何故か。何が問題か支障かを探究し、背中をひと押しする具体策が求められているように感じます。普段はバラバラなようでもまとまる、その力はまだ村にはあると信じています。


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NO.45 人口減少村

2008年07月15日 22時08分25秒 | Weblog
午後3時半、渓谷奥の集落で思わぬにわか雨にあい、1時間半にわたって農機具小屋の軒先で雨宿りするハメになりました。靴もズボンもずぶぬれ、谷川水も茶色の濁流です。



大粒の雨だれが落ちる向こうには、 杉木立にかかる霧もきれいだし、とりまく自然も瑞々しく、アマガエルが道路真ん中を得意そうに跳ねている様は、癒されます。

空家が10軒近く、住んでおられるのが10軒、そのうち独居が半数、残りは高齢夫婦のみという集落。縁側で休んでおられるおばあちゃんに話を伺いました。子どもさんは帰ってこられる見込みはなく、自宅と老健の交互の生活です。都会で定年になっても、こちらで少しでも働ける場所があれば帰ってきやすいのだが、と。

ご夫婦で家の片づけをしているお家がありました。加古川から年に数回訪れて、空家となている実家の掃除をしているということでした。5年後、10年後の村の姿が容易に想像できることが、正直寂しいものです。

人口推計では、但馬は県平均の2倍のスピードで、人口減少に向かっていくというデータもあります。養父市の人口は10年で2,000人程度は減少していくのでは、そして年齢別構造は逆ピラミッド型で。

近隣市町の通勤圏に職を求めながらでも、養父市に住み続けられる仕組みを作り出さなければなりません。運命共同体としての広域連合的な仕組み作りです。

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NO.44 縁(援)農の女史 

2008年07月13日 23時41分50秒 | Weblog
早朝7時からの草刈り作業に参加しました。高柳下の棚田保全団体の恒例の活動です。交流人も10人ばかり、前夜から交流館に泊まり込みでスタンバイです。こうして年に何回となく訪れていただき、スタッフとして重要な役割を手弁当でやってもらっていることに、頭の下がる思いです。



特に今回は、はるばる東京から応援をいただきました。兵庫県が行っている「ひょこむ」という地域限定のSNSに入られたことで、ネット検索でここ棚田での取り組みがヒットし県庁担当課を通じて参加が実現したとのことです。女性一人で新幹線、特急を乗り継いでこられた訪問客Aさんの行動力に、地元スタッフは大感激。刈り払い機の操作は2度目ということでしたが、なかなかのもので、作業着スタイルも完璧でした。



縁(援)農したい人と、してほしい人を結ぶポータルサイトを立ち上げておられ、全国各地のグループを紹介し、そして仲介し、日本の農業・林業・水産業が盛んになることが私の夢と話されます。会話のなかで更新が滞っている棚田交流ブログの話にもふれ、更新努力を促されました。反省しきりです。

11時までには草刈り作業を終え、おにぎり・夏野菜料理で楽しい昼食となりました。交流人子どもたち二人も、カブトムシ、クワガタをそれぞれ自分で見つけて捕まえた、と大喜び。デパートで買うのとは違うホンモノの体験ができ思わぬ収穫、とお母さんのはずんだ声が響き、地元の自然を誇らしく思いました。

次回は、9月半ばの稲刈り交流です。東京Aさんの再訪問も強く期待しながら、稲は育っていきます。

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NO.43 新聞記事から

2008年07月04日 13時51分05秒 | Weblog
新聞を一カ月分溜めおいて後で一気に一カ月分をめくり直して見ています。その日その日では気がつかなかったことが見えてくるものです。吹く風は目には見えないが身体にあたると皮膚で感じられるのと似ています。

K新聞6月の地域ニュース版に掲載された市町別の件数がどうなのか、私なりに調べてみました。構成比で見ると、豊岡市43%、朝来市15%、香美町15%、養父市14%、新温泉町12%という結果でした。1年前にも調べたことがありますが、ずいぶんと平準化されてきた感じはあります。

豊岡市のダントツ状況は依然変わりませんが、この主因は一目でコウノトリ関連ニュースと判ります。コウノトリ旋風はまだまだ弱まりそうにありません。
しかし本当にコウノトリが主因なのかというと、はたしてどうでしょう。

合併豊岡市となる以前のある町では、一か月に40回(件)近くもの地域ニュースを新聞社にFAXで送り続けていたそうです。わが町ニュースを資料提供し掲載されたことによる「効果」対「費用」は大変なもので、お金が無いときには知恵を使うという事例の一つです。

溜め新聞から「命名権募集」の記事を見つけました。このブログで書いたNO.41の取り組みと同じです。
財政難の兵庫県が県立芸術文化センターの大・中・小のホールそれぞれの命名権(ネーミングライツ)を7/7まで募集するという内容。三つのホールごとに企業や商品名を付けることができ、看板やパンフなどに刷り込まれます。県内ではスカイマークスタジアムやホームズスタジアムなどで命名権契約が結ばれているとのこと。

財政再建の一つで、これもお金が無いときには知恵を使うという事例です。

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NO.42 宝物を生かす 

2008年07月01日 19時45分20秒 | Weblog
7月に入り、10月19日告示26日投票まで余すところ4カ月を切りました。いよいよです。

自転車行脚をEメールで提案いただき、今日から後援会拡大活動の足を自転車に切り替えました。息子が高校通学に使っていた自転車を引っ張り出しての利活用です。昨今のガソリン値上げのこともあり、また、小回りの利くフットワークが何とも言えません。もう一つメリットは、行き交う人と話ができることです。

 

早速の効果で、旧知の営農家Yさんとバッタリの立ち話です。特産品「朝倉山椒」の栽培苗木について、市HPサイトには宣伝がされてなくガッカリしている、市内の特産品を積極的にPRすることは市サイトでは簡単なことなのに何でしないの、モッタイナイという話です。

朝倉山椒はトゲが無く、香りが強いが辛味はあとまで残らないという名品。
戦国大名の越前・朝倉氏の発祥の地である、ここ兵庫県養父市八鹿町朝倉地域の特産品です。



Yさんは、台木として冬山椒を使って接ぎ木の技術を確立され、苗木の量産体制に入り農業改良普及所も注目しているそうです。柑橘の仲間ですので、蝶の幼虫による新青芽の食害を防ぐのが大変のようでしたが、これは自然界の宿命かなと思いました。

有用性微生物菌を利活用した環境に優しい農法や、水質浄化の取り組みにも精力的な活動を展開しておられるYさん、その豊富な知識や経験は水源や里山の環境保全再生に十分活かせます。前向きなYさんに刺激され元気をいただきました。
市井には有能な方があちこちにおられます。足元の宝物を生かしたまちおこしに協力いただく仕組みを創るべきだと思いました。

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