勝地(かつち)ブログ

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vol.500 大晦日

2017年12月29日 16時20分54秒 | Weblog
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弘法大師が修行された室戸岬パワースポットから臨むだるま夕日。
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高野山真言宗総本山金剛峯寺から参与会員に送られて来た資料集の中から、わが身に言い聞かせる意味で転載します。
(ここから)

「大晦日とお正月」

「それ見たか 常が大事ぢゃ 大晦日」
これは歳末のころ、ある寺の掲示板に記してあった少し耳が痛い伝道句(でんどうく)です。ああ面倒くさい、今、しなくてもあとでなどと思いながら毎日を精一杯生きず、怠惰(たいだ)な日々を送っていますと、そのツケが大晦日にくるという戒(いまし)めの言葉です。
大晦日には自分のこの一年間はどうであったかと反省し、振り返ってみることが肝要(かんよう)でしょう。そして新しい年を迎えます。
正月にはその年の年神さまが来られますので新しい年の無事や幸せを願い鏡餅などをお供えいたします。また一年間の健康を願い、滋養強壮(じようきようそう)の漢方薬・屠蘇散(とそさん)を清酒に浸(ひた)して「おとそ」としていただきます。さらには寺社へ初詣をし、一年間の家内安全、無病息災などを祈ります。
しかし、ただお祭りし祈るだけではだめでしょう。すべてを神仏にお願いしたからもう、大丈夫ではいけません。
「一年間の計は元旦にあり」という諺(ことわざ)があります。
新しい年を迎えるにあたり、心新たに一年の目標を立て、精進努力(しょうじんどりょく)し、日々の生活のなかで暴飲暴食を控え、健康に十分留意してこそ、神仏もその決意に答えて願いも聞き届けて下さるのです。
真言宗の信仰生活は、仏前で合掌する「身密(しんみつ)」と、お経や真言をお唱えする「口密(くみつ)」と、心で仏さまを念(ねん)ずる「意密(いみつ)」の三密修行(さんみつしゅぎょう)です。
お大師さまは、この三密修行により、自らの生活を正しく整え、生命の尊さを知ることができるとお説きになっています。
私達人間は節目、節目に自らを反省し、そして決意を新たにすることができます。その最も重要な節目が大晦日であり正月であると言えるでしょう。
合掌

南無大師遍照金剛

(ここまで)

大晦日まであと二日。新年を迎えると3月には68歳に。日々日々「先勝」の気概を持ち、やりたい事をやっていくなかで点から線、そして面へと「縁」を繋げ広げていきたいですね。


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vol.499 モノトーン

2017年12月29日 12時41分19秒 | Weblog
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クリスマスでの息子夫婦からのプレゼント・ネックウォーマーを着けて山へ。


わずかに残るシカ🦌の足跡。仕掛けている括り罠は、雪の下。春先まで顔を出すことはないかも。



カラー設定でのスマホカメラで撮った写真ですがモノトーンそのものです。

清々しい風景です。



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vol.498 3つ目の話

2017年12月28日 18時25分17秒 | Weblog
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田坂広志氏の講演録画をネットで観ているなかで「マックを設計しアップルを創業した亡きスティーブ・ジョブス氏が、2005年アメリカ・スタンフォード大学で行った有名な演説をご存知だと思うが…」というくだりがあり、それからというものその講演内容が気になっていたのです。

ネットで探すと全文の和訳があったので、一気に読み終えました。
screenshot


田坂氏が講演録画で触れられていた死生観ですが、ジョブス氏は死生観をどう捉えていたのか。関連部分のみを全文ここで紹介。
既にご存知でお節介だとは思いながら。

(ここから転載)
 3つ目の話は死についてです。

 私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

 一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

 人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

 誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

 あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。
(転載、ここまで)


他人の考えで自分の人生の方向を決めてはいけない、と自覚をしてはきましたが。「旬」とか「チャンス」の潮目もあり、ある意味では難しいことかもしれないが、現実に死の手前を経験するとそうだろうな。

相撲界の昨今の揉め事をみて、それぞれが「今日が最期の日だとしたら」それでいいのかと投げかけてみたい気も。


書物を買わずにネット社会の恩恵を受けている私がここにいる。


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vol.497 眼力

2017年12月28日 11時49分08秒 | Weblog
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獲物を狙うような眼力、この人はできるなと思わせられた。
screenshot


今朝のテレビで見たウーマンラッシュアワー・村本大輔氏へのインタビュー。
私は観たことないのですが、政治ネタを取り入れての芸が受けているらしい。お笑いのネタは国民意識の裏返しと言う。確かに。

また、
芸人になりたくて芸人になっているのじゃなくてテレビに出たくて芸人になっているじゃないですかと、他芸を反面教師にしている。
思わず、「芸人」を「議員」に置き換えても成り立つなと思ってしまった。「芸」でなく「テレビ」、「政」でなく「バッヂ」。

この眼力は誰かに似ている。そう、小泉進次郎衆議院議員だ。政治家、それも選択肢として有りだろうけど、村本氏は山本太郎参議院議員のようにはならない、政治家にはならないとキッパリ。


話は変わって
雪の道路、何処かの国の外国人さんがスタックしてるのを見つけてどうしようかと、手伝えるかなと。見るとノーマルでした。でもゴム製の滑り止めを手に持ち、車の中の同乗女性に親指👍立ててるから大丈夫だろう。



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vol.496 解釈力

2017年12月26日 18時08分05秒 | Weblog
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一年を振り返りいろいろあった中で、言われてみて後でハッと気付かされたことがあり、そのときの場面がずっと記憶に残っていて、忘れようとしても忘れられない。

忘れるな、ということか。

それは
10月18日、四国遍路での第六十番札所・横峰寺でのこと。二日目の最後の札所で、ここを早く済ませて家路を急ぐ予定だった。

車が少ない谷奥の駐車場、札所への山道地図看板は確かにある。先行して歩き始めた他組の3人の後を追うように、私と妻も続いた。初っ端から石段に山水が吹き出している。整備が出来てないなと思いつつ、そして、まさしく遍路道に相応しい延々と続く険しい山道。下ってくる参拝者は3人しか出会わない。途中、崩れている山道にロープで迂回路。後続の参拝者の気配は全くない。そして降り出した雨。案内板に記載あった2キロ半の距離本当か?と疑うまでに。
やっとの思いで到着。本堂に続いて大師堂にお参りすると、その横手の方角から2〜3組の参拝者が足元も軽く現れて……近くの駐車場からとわかり、なんだクルマで来れる道があったのかと。それにしてもカーナビは案内してくれてなかったのだが。悔やむことしきり。帰りも1時間半かけて山道を下って下の駐車場に戻らないと帰れないのだから。

そこで納経所で記帳いただく際に、
「下の駐車場から遍路道を1時間半かけて歩いて登ってきました。クルマ道も有ったんですね。駐車場に案内看板が有ったら良かったんですがー。」

若い僧侶は記帳しながら、
「そういう宿命に、あなたはあったのでしょう。下り山道は雨で滑り易いですから気をつけてください。」
と意に介しない様子でそれだけ。

言われたその時は、少しムカっとしたのですが、よくよく後で考えると自業自得のこと。自分が選んだ道がソレだっただけのこと。

看板の案内にクルマ道が別にある事を書いておくべき、雨のなか長道を歩いてお参りしてやったのに、という慢心の気持ちが私の中にあった。

解釈すれば、めったに体験できない険しい遍路道を元気に歩き通すことが出来たのも身体の健康があってのこと、お大師様に見守られてこんな有難いことはない、ということ。それに気付かねば。

解釈力の無さが恥ずかしい。
だから忘れられない出来事となっている。

この気付きのエピソードを心の軸に置いて、何事にも再び繰り返さないよう解釈力を養っていかねば。

vol.421ブログに当時の様子。
ちなみに一緒に山道歩いた妻は、愚痴一つ無かったのです。


話は変わって
師走です。知り合いの方が手作りされたミニ門松、買い求めました。手先器用ですねー、素晴らしい出来映え。



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vol.495 先勝

2017年12月26日 08時36分20秒 | Weblog
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今日は六曜の「先勝」。
screenshot

吉と成したい事があれば、先んずれば勝つ、と云われています。

特に午前中。

習いに従い、私も一つ。


話は変わりますが
初めて聴きますが、演歌なんだ〜。



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vol.494 履歴書

2017年12月25日 17時28分44秒 | Weblog
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デスクトップパソコンに向かい、Wordツールから履歴書様式を画面に映し出して私の履歴書を打ち込んでみた。


職歴から見えてくるのは大きく分けて町職員時代、祭典実行委員会出向時代、議会議員時代の三つの時代。フリーの身になった今は四つめの時代に入っている。
65歳からはライフワークを花開かせる時代かなと思ったりもするが、小心者ゆえ、何を与えられた使命と捉えるのか、使命とは命を使うと書くが命をソレに使って行く覚悟はあるのかまことに心もとない。

心理学や哲学、宗教にも造詣が深い田坂広志氏の講演を思い出した。
「物事を成すには、その人に死生観が要るという。特に会社社長や首長、政治家というリーダーには。預かっている社員や住民の命、その命には三つの決まりごとがあり、①必ず死ぬ、②人生一回しかない、③いつ死ぬか分からない、これを直視すること。普段、見つめないように生きているが直視する必要を教えてくれたのがあの大震災。平均年齢まで生きたいとか、それは保障されたものではない。今日が最期だとの覚悟で生きていたら、いつかそれが真実になる。運が良い悪いでなく覚悟の問題だと。
死生観を掴むと良き生き方が出来る、①人生の時間密度が違ってくる、余命あと一ヶ月と告げられたら今日という日が充実していく、②逆境に耐える力が付く、解釈力が付く、その困りごとで命取られる訳じゃない、右足なくなっても左足があると、③死生観を持ってことにあたる人の周りには人々が集まってくる。
覚悟の裏側は、野心ではなく志。野心は一代で登り上がって終わるもの、志は何代にも引き継がれて成し遂げられるもの。」と。


履歴書をしみじみと見つめ、何してきたんだろうと。

死生観、覚悟、確かに。
これから、これから、これから。


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vol.493 公論

2017年12月24日 17時03分32秒 | Weblog
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何が送られてきたのかと開封すると、定期購読キャンペーン商品として、中央公論・婦人公論の創刊号復刻版が当選されましたのでご査収ください、として中央公論社から送ってきました。


中央公論は明治32年1月発行、婦人公論は大正5年1月発行です。
発行に17年の差があることが分かりました。
そこでよく見比べてみると、遅れて発行した婦人公論であるのに全ての漢字に読み仮名が付けられています。
なんで?
(婦人公論のページ)


婦人参政権が出来たのは昭和21年と相当に遅いわけで、婦人公論の果たしていた婦人の権利獲得への役割が伺えます。

そして中央公論では、ここを読め、ここが大事だと執筆者が言わんばかりに文章の節々に⚫️や⚪️が付けられています。
なんで?
(中央公論のページ)


そもそも公論とはを調べました。

(Wikipediaより転載)
『婦人公論』(ふじんこうろん)とは中央公論新社(読売新聞グループ)が発行する婦人・女性誌。創刊は大正5年(1916年)1月。2016年1月に創刊100周年を迎えた。1998年3月7日発売の3月22日号より月2回刊(毎月7日、22日発行)。サイズはA4版変型。2017年現在の編集長は横山恵子、発行人は早川準一。
「女性の解放と自我の確立を求める時代の声」をとらえ、雑誌『中央公論』は1913年(大正2年)「閨秀十五名家一人一題」「婦人問題」特集を企画し、大いに衆目を集めた。この好評が1916年の「婦人公論」の創刊につながった。
「自由主義と女権の拡張を目ざす」がコンセプトだった。これは実用記事が多かった同時代の『主婦の友』(1917年創刊)、『婦人画報』(1905年創刊)、『婦人倶楽部』(1920年10月創刊)のなかでひときわ異彩を放っていた。 戦前は「婦人公論」を併せて4大婦人雑誌と呼ばれていた。
現在は「女性の幸せを追求する」「年齢にとらわれない自由な生き方を応援する」としている[1]。


『中央公論』(ちゅうおうこうろん)は、1887年に日本で創刊され、現在も発行されている、月刊総合雑誌である。現在は中央公論新社が発行する。
反省会雑誌/反省雑誌
前身は、西本願寺系の普通教校(龍谷大学の前身)で高楠順次郎らの学生有志が禁酒と仏教徒の綱紀粛正を目的として1886年に組織した「反省会」の会員証を兼ねた機関誌『反省会雑誌』[1]。禁酒を主張したり、青年の生き方を探る雑誌だった。1887年創刊、1892年に東京に進出し、『反省雑誌』と改題、口絵を尾形月耕、月岡耕漁らが描いていた。
中央公論(戦前)
1899年(明治32年)1月に『中央公論』と改題した。次第に宗教色はなくなり、小説や評論などを掲載するようになった。明治末に入社した滝田樗陰は、芥川龍之介や菊池寛をいち早く起用した。
大正期には吉野作造の政治評論をはじめ、自由主義的な論文を多く掲載し、大正デモクラシー時代の言論をリードした。また、小説欄は新人作家の登竜門であった。
マルクス主義が流行し、1919年(大正8年)、より急進的な『改造』が発刊されると、中道的な路線となる。このころには、中央公論に作品が掲載されることは、人気作家の仲間入りと見なされるまでになった。
第二次世界大戦中、横浜事件が起こり、1944年、軍部の勧告により『改造』と共に廃刊される。
戦後
終戦後の1946年に復刊した。現在に至るまで様々な評論、小説が掲載される総合雑誌として継続している。
(転載ここまで)


主には、広く政治評論を読みたくての定期購読です。


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vol.492 餅つき交流

2017年12月24日 11時22分23秒 | Weblog
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村の年末行事、子どもと老人の交流を目的にした「餅つき」です。私は老人会員として初の参加。






ぼたもち、おはぎ、ダイコンの三品。ダイコンおろしが一番美味いですね、この歳になると。


孫たちも懸命に噛むのですが、少し硬いのです。子どもに杵を持たせて順番につくので時間もかかり、臼の餅が冷えて、それでだと思います。


子どもたちによるクリスマスソングがの披露があり、そして、お楽しみビンゴゲーム。


朝からボランティアの方々ご苦労様でしたし、村に子どもが増えているようで、何よりです。


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vol.491 バス100周年

2017年12月23日 09時42分50秒 | Weblog
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神戸新聞但馬版に紹介記事が載ってました。

100年かー、とてつもなく長いなぁ。

会社が100年続くってこと、相当な経営努力だと思うし、これが日本の素晴らしい一面だと思う。

有難うございます、ご苦労様です、としか言いようがない。

これからも宜しくお願いします。

記念につくられた動画をここでも紹介させていただきます。





話しは変わりますが
今日は、天皇誕生日です。



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vol.490 クリスマス会

2017年12月22日 18時25分46秒 | Weblog
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朝10時半、落石防止金網の内側にシカ🦌が掛かっているので始末するよう出動の要請を受けました。

どういう状態か分からない、いろいろなシチュエーションを想像しながら槍、猟銃など準備して現地へ急行。

既に、役所の有害鳥獣対策指導員がスタンバイしてました。そして第一発見者の村人さんも。

シカ🦌は何処?


パッと見た目、金網のメッシュ越しには直ぐに確認出来ません。シカ🦌の方だってこの時期、落ち葉の山の背景に溶け込むような毛色になってます。
角がノリ網に絡まった状態で岩盤と金網の間に。なんでこんな処に入り込んだのと首をひねるばかりです。


県道沿いなので関係事務所に後始末等を連絡し、止め刺しだけして現場を引き揚げました。貴重ないろんな経験させてもらってます。

話は変わりますが
これから、ほろにが会の月例会が始まります。


内容はエエ歳こいたオッさんのクリスマス会。いくつになっても、なんて、呑み会で説教じみたこと言ったらこのご時世ですから、言わず流れに乗ってきます。


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vol.489 USJ

2017年12月22日 08時04分05秒 | Weblog
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孫たちは里帰りしていて静かなのです。

里帰りのわけは、大阪のUSJワンダークリスマスに連れてってもらうことのよう。

昨夜遅く写メ送ってきました。

USJは、2001年に開業。ほどなく子供たちと2回ほど楽しみに行ったことがありますが今はもう。

観るもの何もかもが華やかな世界の演出。
アニメで描いていた心象風景が目の前に。

孫たちはどんなドキドキを感じているのかなぁ。
凄かったわの興奮のみやげ話を楽しみにしよう。












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vol.488 カラオケ

2017年12月21日 22時38分25秒 | Weblog
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スタジオ蔵で一人カラオケやってて、照明を増やした効果を味わってます。

ええですなぁ






今売り出し中のひさしのドンゾコ節を歌いたいけど、私のレーザーカラオケには無い。
その代わり、ひと昔前の歌は、わんさか有ります。


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vol.487 わっとろっしゃ

2017年12月21日 19時34分27秒 | Weblog
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孫が通っているこども園に、ポン菓子を贈ります。
サンタクロース🎅のプレゼント🎁です。


子どもの反応は、大人の感覚通りとはいかない。どんな言葉が出るかな、出るかな。

こういうシチュエーションでは、戦後の我々は、近所のお婆さんらが「わっとろしゃ」でなく「わっとろっしゃー」と言って、貰ったその嬉しさを、差し出したおばさんに返していたのを覚えてます。


そして返す鼻高の言葉は



話は変わって
道の駅ようか「但馬蔵」の今、月も出て、寒い‼︎



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vol.486 今がいちばん幸せ

2017年12月20日 20時22分04秒 | Weblog
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高柳自治協議会にお邪魔していて、ある人が、「今日の新聞トップ記事の見出しを見ていて妻と話したけど」といって………(こりゃダメだ、みたいな雰囲気)……「見事に、破断、談合、隠蔽、の三つ。どうなん、日本の国。」
おっしゃる通りです。




そこへ、開催中の議会一般質問のていたらくさを嘆く人も来られて曰く、「質問とその答弁に全く生気が感じられないから覇気もない。どうなん、議会はこれじゃあ。」と。私は居合わせていないのでどうこう言えませんが、そう受け取られている方もあるので議会はより頑張られないと、おっしゃる通りがまかり通るかもしれません。


話は変わりますが、
いい記事です。そう思います。
(以下、コピペ)

毎日新聞
<夜間学級>90歳で初の年賀状 漢字学び「今が一番幸せ」
通っている夜間学級で年賀状を仕上げる西田正江さん=奈良県橿原市で2017年12月19日、平川義之撮影

 90歳になって初めて、自分の手で年賀状を書くという目標を達成した女性がいる。奈良県大和高田市の西田正江さん(90)。幼少から働き、戦時中の混乱などもあって満足に学ぶ機会がないまま成人したが、88歳だった2年前、一念発起して同県橿原市立畝傍中学校2部(夜間学級)に入り、少しずつ漢字を覚えた。念願がかない、「今が一番幸せやなあ。もっと上手に書きたいな」と目を細めた。【矢追健介】

 7人兄妹の長女で、大阪市に住んでいた幼い頃から妹の世話や家事に追われ、小学校卒業後は紡績工場で働いた。20代前半で家具職人と結婚したのを機に奈良県に移り住み、4人の子を育てた。生活は楽ではなかったが、「人前で涙を見せるのは嫌い」と、常に笑顔で乗り越えてきた。

 母親が「女はそんなに勉強しなくていい」という考えだったこともあり、成人になって書けたのは、ひらがなと自分の名前くらい。子供の学校への提出物にも自分では満足に対応できず、年賀状は字が達者な夫に書いてもらっていた。その夫も10年ほど前に亡くなった。

 「字を教えてくれるところはないかなあ」。2年前の6月ごろ、ふと漏らした独り言を気に留めた知人が、夜間学級の存在を教えてくれた。

 バスと電車を乗り継ぎ、約1時間かけて週2回通学。自宅でも毎日、漢字の練習を重ねた。昨年と今年は子供の頃や空襲に遭った戦争のことなどを振り返る作文を書き、同じ中学に通う生徒の前で発表。今月、満を持して年賀状に挑戦することにした。

 「謹んで新春のおよろこびを申し上げます」。1枚に15分ほどかけ、丁寧に書き上げる。「楽しいから、目が疲れるまで書きますねん」とうれしくて仕方がない。

 30枚以上を出す予定だが、返事を心待ちにする1枚がある。宛先は10代の頃に同じ工場で働き、共に空襲から逃げ、今も姉のように慕う2歳上の女性だ。「最近連絡が取れていないけど、返事が来たらいいな」とほほ笑んだ。


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