かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

神秘のウズベキスタンその19 ブハラ④ ミリ・アラブ・メドレセとカラーン・ミナレットとカラーン・モスク

2024年09月06日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


予定通り、モンゴルから帰国し、現在成田から横浜へ移動中。
充実の6日間だった。
また、もうちょっと細かくアップしたい。

まずは、ウズベキスタンの続きから。



メドレセ(神学校)の門は、みな同じような形状なので、混同してしまいがち。
ここは、ミリ・アラブ・メドレセと、カラーン・モスクが向かい合っていて、その奥に、カラーン・ミナレットが建っている。

こちらは、ミリ・アラブ・メドレセ。
16世紀のシャイバニー・ハン時代に建設された。
ハンは、このメドレセを、イエメンから来た自分の先生だったミリ・アラブ(アラブの王子)に与えたという。
最も尊敬されるイスラム神学校だそうだ。



カラーン・モスク。
カラーンはタジク語で大きいという意味だという。
1514年建造。



カラーン・ミナレット。
14層の帯状にデザインされている。
1127年建造で、高さが46mもある。
ジンギスカンが攻め入った時、この塔の前で帽子を落とし、それを拾い上げる時に、この塔は、私に頭を下げさせた立派な塔だと言って、破壊しなかったという。
嘘か誠かわからないが、ジンギスカンに破壊されなかった稀な建造物であることは、間違いない。



3つの建造物が、向いあっている。



上部の一層のみ、青タイルが使われており、灯火用の窓の下になる。



カラーン・モスクに入場。



広大な空間が広がっている。
最大1万人の信徒が祈りを捧げることができる。



メッカの方向に祭壇がある。



ミリ・アラブ・メドレセを正面から。
大きなドームが二つあるのがわかる。



カラーン・ミナレットの裏側には、多くの砲弾の跡が残る。
ロシア軍の放った砲弾跡だという。
びくともしなかった!
コメント
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