かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

東京に生きた縄文人

2021年11月03日 | Culture・Arts
今日は、好天下ゴルフ。
前半まぁまぁだったが、後半大崩れで、今年ワースト。
一寸先は闇。



昨日、夕方、江戸東京博物館で、開催中の東京に行きた縄文人展に行ってきた。
平日にもかかわらず、結構見に来ている人がいた。
このテーマの展覧会は、数十年振りという。



珍しく、写真が撮れる展覧会で、ちょっと多めに紹介したい。
これが、入り口にある土偶。
多摩ニュータウンのビーナスと呼ばれている。
この写真ではよく見えないが、目から、2本、涙のような線が流れていて、珍しい表現だ。



様々なパターンの土偶が見つかっているが、東北や、信州で見たものよりは、小さく簡素なものが多いように思う。



これも多摩ニュータウンで見つかった土器。
明かに縄文土器だが、装飾性は、やはり少ない。



ほとんど今の急須と一緒?



縄文人の骨から復元。
もう少し、彫りの深い顔のイメージなのだが。



打製石器を作る手順。
これでも高度な技術。



釣り道具。
当時は、貴重なものだったろう。
山幸、海幸の神話と思い出す。



未完成品。
どのように作っていたかがわかる。



漆塗りの茶碗。
漆が使われた歴史は古い。



この容器にも、漆が使われている。
水を持ち運ぶ時に使われたと考えられている。



関東、信州、糸魚川の物流ルートができていた。



日本海側から、運ばれてきたと思われるヒスイ類。



丸木舟というのか。
細くて安定性は、低そう。



櫂。
これも細くて、舵のように使われたかもしてないという。



貝塚の堆積の様子。
ここまで、堆積するには、何年かかったろう。



この船も細長い。
舟を建造するというよりは、木をくり抜いただけ。



貝塚を上から見た復元図。
丁寧に、掘ってみないと、何が出てくるかわからない。



当時の村の様子の想像図。
以前は、もうちょっと狩り中心の生活が想像されていたが、ある程度、定住できるノウハウが蓄積されていた。



耳栓。
何に使ったのか。
単なる装飾目的か。



このタイプの耳飾りは、信州でも見た。
相当大きな穴を開けないと、耳に入らない。



こちらも耳栓。
形も大きさも様々。



遮光器系土偶。
調布で発掘されたもの。
東北の土偶を模倣したものと考えられている。



中空土偶。
函館で発掘されたものと似ているという。
頭は、当時の髪型か。



ハート形土偶も多く発掘されている。



比較的大型のものも。



多くの土偶が展示されているが、何の目的で作られたものなのか。



ということで、気の遠くなるほど長く続いた縄文時代。
そのサステイナブルな暮らし振りが想像できる、充実の展示だった。
これだけの物が、関東地方から、発掘されていることにも驚かされた。
特に当時は、海進時代で、かなり奥まったところから多く発掘されている。

出たところに真実の口?
ところで、この土偶、展示されていたのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする