kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

よぼよぼ爺さん、小さな紅葉を追いかけて その3 

2013-11-30 13:08:26 | 日記
毎年、訪れる爺の一人よがりの紅葉の名所である。

4日程前、撮影してが、うっかりデジカメの写真データを削除してしまった。ボケ・ドジ

今日あたりが最適の見ごろであろうと、犬を引き連れて徒歩40分の距離を歩いた。
静寂なお寺、門から除く本院は錦絵に彩られ実に見事でした
自然の美は、心を感動させる。人間が如何に表現しようとしても及ばない。

朝10時位であったが、訪れた人は一人だけだった。街外れのお寺であるが、自宅にいて京都の寺の紅葉と重なってしまう。爺には、それほど綺麗に見える。
京都に行けない爺の負け惜しみかな、ひがみかな???。

見ごろは、今週末までであろう

この寺には、柏駅西口から10分ごとに路線バスが通り、大変便利である。
住所 柏市篠籠田1214  04-7145-9130
バス 高田車庫・柏の葉公園 国立がん研究センター・柏の葉キャンパス駅西口行きバス三間下車徒歩2分。近くの方で、気が向いたら・・・。

徳川5代将軍綱吉の元禄時代から伝わり、古くは雨乞いの舞も舞う“竜頭の獅子舞”は、“篠籠田の三匹獅子舞”と呼ばれ、毎年8月16日に西光院の施餓鬼の日に行われます。地域では、名門の寺です。

爺さんの「引き籠りより、外へ刺激を求めて」の散歩でした

よぼよぼ爺さん、小さな紅葉を追いかけて その2

2013-11-29 11:24:57 | 日記
これは、身近な公園に鮮やかに彩る1本のモミジとイチョウの紅葉
自宅から、徒歩で10分とかからない距離にある、小さな小さな公園です。
毎年、見事な紅葉で楽しませてくれています

1本のモミジを日光の陽のあたる時間を考えて、犬を引き連れて出かける。
朝10頃、子供たちは、学校や幼稚園・保育園時間で誰もいない。

1本のモミジの木を中心に右に左に、日向から、また、日陰からとカメラを向ける。
この木も皆の注目を集める時期は、1年のうち、今の10日間前後である。一番輝いている時である。みんなに見てもらいたいだろう

着飾ったモミジは、人を集める。人を楽しませる。美の境地に連れて行く。育った故郷に連想を・・・。そして幼馴染の友を浮かせる。・・・・まあ、素晴らしい。

近所の人に、知らせて回る。お節介の爺さんかも知れない

こんな、綺麗なモミジ、みんなに楽しんでもらいたい。

モミジさんよ、本当に有難う

よぼよぼ爺さん、小さな紅葉を追いかけて その1

2013-11-28 11:04:34 | 日記
千葉県立柏の葉公園内の紅葉


よぼよぼの爺さんが、例年の通り近くの紅葉を追いかけて、犬と相談しながら、時に徒歩で、自転車で移動しています。

自転車は、医者にも家内にも禁止され、隠れて慎重に足を踏んでいます

上の写真は、自宅から自転車で40分の距離にある県立柏の葉公園の紅葉です。
例年、犬を自転車の前かごに乗せながら、注意しながらペタルを踏んでいます。

公園内では、特定の場所2か所に、10本程度のモミジが林立しています。爺の頭に存在しています。

11月23日(土)の紅葉です。近くで、これだけ見事の場所は見当たりません。

特に、右下の写真は「お気に入り」で、毎年紅葉をデジカメに納めています

今年は、日光の東照宮辺の紅葉鑑賞を、娘夫婦のお世話でしているので、近くの
小さな紅葉見学だけで十分に爺の心を満足させて呉れます。

紅葉は、幼き日の生まれ育った郷里を思い出されます。小学校4年生の時、裏山の紅葉を画用紙に絵の具(クレヨン?)、錦絵のように描いていたことありありと・・・。

あの頃の友は、今は元気だろうか・・・当時に引き込まれました。

紅葉を有難うございました


年間約4400万人の観光客が浅草寺へ  その33

2013-11-27 12:35:35 | 日記
3.  宝蔵門
その雷門をくぐると仲見世通りという商店街が広がっています。
250mほどの宝蔵寺への参道には雷おこしや人形焼などが売られていて、多くの外国人観光客も訪れるエリアです。
宝蔵門をくぐると都内最古のお寺である浅草寺へ到着です。
左側に五重の塔が聳え、右側に東京スカイスリーの塔が聳えている。
参拝客でごった返していた。

4.  五重塔
お釈迦さまのご遺骨を奉安する仏塔の形式の一つである。
浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)が本堂と共に建立したのを初めとして、その後数度倒壊、炎上に遭ったが、その都度再建された。

 徳川3代将軍家光により本堂・仁王門などと共に建立された国宝五重塔は、太平洋戦争の戦火により、昭和20年(1945)3月10日、他の伽藍とともに惜しくも焼失した。戦後、浅草寺は、ご信徒各位のご信助を得て、本堂、雷門、宝蔵門と伽藍復興に邁進し、牌殿・書院・他付属施設を備えた新様式の五重塔院を再建するに至った

当日は、菊の鑑賞会があり、多くの客を引き付けていた。特に、台東区の田原小学校の児童が栽培した菊も飾られていました。特に3年生が頑張っていました。
伝統の学校だそうです。大きな拍手を送りたい

年間約4400万人の観光客が浅草寺へ  その2

2013-11-26 10:59:52 | 日記
その他に、影向堂、六角堂、淡島堂、三峰神社、伝法院がある。

1. 雷門

外人に浅草寺のどこが印象に残っているかと尋ねると“雷門”であるという。
浅草寺の表玄関であり、天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、その初めは駒形付近に あった。鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて奉安されたとい われる。 当初は、伽藍守護のために、風水害または火災からの除難を目的としてこの二 神が 祀られていた。...

2.  浅草寺(せんそうじ)
東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。


年間約4400万人の観光客が浅草寺へ  その1

2013-11-25 11:05:30 | 日記
11月8日、近くに所要があり、ついでに浅草寺にたちより、お参りをしてきた。
お天気に恵まれ、暖かい日差しに包まれて、境内を見て回った。
年間に外人も含めて4000万人のお客さんがお参いるに来るようです。
本当にびっくりした観光寺ですね
。」
雷門を見学し、仲見世でお土産を品定めしながら、立派な宝蔵門をくぐり、本堂に進み
お参りをする。お参り後も、見てわる所が大変多い。

特に、仲見世は人通りが大変多く流れに沿って歩かなければならない。無理すると人にぶつかり不快になる。

医療費 65歳未満 一人あたり17万4800円、65歳以上72万900円。

2013-11-24 13:26:06 | 日記
11月15日の朝刊の記事に、医療費 一人あたり30万円超(2011年度)とありました。

公的な医療保険が使われた費用の総額に当たります。全体の5割が保険料、4割が税金、1割が患者負担で賄われている。

この数年間は2~3%ずつ増え続けている。
一般の>医療が全体の72%を占め、その内半分余りは入院医療の分、調剤薬局は約17%、歯科は約7%だった。

医療費の押し上げる主な原因は、医療技術の進歩と高齢化だ
財務省は、来年4月の診療報酬改定で、全体を引き下げたいと考えているようだ。

高齢者が、まだまだ増加していく。健康で100歳の長寿者も増えている。反面、寝たきりや認知症で他人の世話にならなければならない人も増加するであろう。
できるだけ医者にかからないような健康な身体づくりに努力するのも、社会のため、国のためであろう


気付いたことを取り上げてみました

宮沢賢治について・・・その4

2013-11-23 10:59:54 | 日記
エピソート友だちおもい

1. 賢治は成績優秀だった小学生であった。
2 学校にて、ある生徒が赤いシャツを着て皆からはやしたてられた。賢治も、自分も赤いシャツを着て、 いじめないでくれ、と皆を黙らせた。
3. 小学校五年生の時、賢治は父親に将来何になりたいかを訊かれた。「むやみに偉くならなくてもよい。」と答え、家族を驚かせた。

賢治の宗教
1 妙法蓮華経に興味を示し日蓮宗へ改宗した時、賢治は家族も改宗する様に説得した。しかし、厳格だった父はそれに応じなかった。
一方、妹の「トシ」は、妙法蓮華経に誘われる前、キリスト教にも興味を示していた。賢治は「トシ」を強引に妙法蓮華経に帰依させてしまった

教諭時代の創作
1 農学校の教諭として働いている時も賢治は創作を続け、自分の作品を生徒に読んでやることが たびたびあった。「銀河鉄道の夜」も。

>享年37歳という短い人生であった。でも、思っていることを実行し充実した人生であったろう

宮沢賢治について・・・その3

2013-11-22 11:09:46 | 日記
農学校の教師・・・音楽に出合い―初恋へ―妹の死―諦める恋-死を悟る

 妹のトシはとりあえず危機を脱したが、彼はもう東京へは戻りませんでした。
稗貫郡立稗貫農学校(後の花巻農学校)で教師として働くことになった。彼が教えることは、代数、化学、英語に加え、専門科目の土壌、肥料、作物、気象、水田実習などでした。彼がやりたかった仕事でした。彼は妹トシと生徒たちのために生きるという目的を得て、再び元気を取り戻しました。どん底まで落ち込んでいた彼の人生は、妹トシの入院のおかげで再び光り輝くことになったのです
 彼はその学校に音楽教師としてやって来た藤原嘉藤治と親しくなり、今度はクラシック音楽のレコードを集め始めます。ここで彼には「音楽」という新しい趣味が増えると同時にそれをきっかけに人生初の「恋」の季節が訪れることになった。
 典型的な独身貴族だった彼は、給料のほとんどをクラシックのレコード購入に使い、最新式の蓄音機も購入した。さらにレコードをより多くの人に聞かせたいと考えた彼は、近所の花巻女学校の音楽部屋を借りてレコード・コンサートを開催した。毎週土曜日に音楽好きの男女が20人以上集まって音楽を聴くようになります。そして、この時、彼にとっては最初で最後とも言われる恋人、「大畠ヤス」と出会うことになります

哀しい恋の結末
1922年(大正11年)11月27日、結核に苦しんでいたトシがこの世を去ってしまった。近い将来、自分もまた結核に冒されるであろうことを自覚していた彼は、妹の死に大きな衝撃を受けた。そして、秘かにつきあっていた「ヤスとの恋愛」をあきらめる決意を固めます
どんな心境だったろう?。

宮沢賢治について・・・その2

2013-11-21 14:24:24 | 日記
2. 賢治の作品

1) 知られている主な作品
1.雨ニモマケズ 2.風の又三郎 3.銀河鉄道の夜 4よだかの星

花巻に戻った彼は、再び療養生活を余儀なくされますが、いよいよ彼は自らの人生の終わりを意識するようになります。そして、そんな彼の苦悩に追い討ちをかけるかのように、その秋、東北地方は凶作に見舞われてしまいます。そんな状況の中、彼はあの有名な言葉を手帳に記しています

2)以下のような作品もある

4. グスコーブドリの伝記  5. 虔十公園林 6. ざしき童子のはなし
7. 鹿踊りのはじまり 8. 童話集『注文の多い料理店』広告文
9. 童話集『注文の多い料理店』 10. 童話集『注文の多い料理店』
11. どんぐりと山猫 12. 双子の星  13. 祭の晩 14. やまなし 15 .雪渡り

宮澤賢治の本の底流にあるもの

賢治自身の深い信仰と法華経の理解、そしてそれがいいかに賢治の作品の中に結実しているかが本書の「雨ニモマケズ」や「銀河鉄道の夜」の分析を通じて伝わってくる。宮澤賢治の法華経を深く信じていた。賢治が一時勤めた国柱会と高山樗牛や石原莞爾との間に深い関係があったことでも分かる。法華経信仰がいかに世の中で大きな影響と力をもっているか、その原型が国柱会にあったかを感じる。