2. 千葉氏と一族の発展
常胤には七人の男子があった。家督は嫡子の胤正が継ぎ、弟たちもそれぞれ所領を与えられて、世にいう千葉六党を形成した。
2-1 二男師常は下総相馬郡を与えられ、奥州征伐の勲功により陸奥国行方郡を、子孫はのちに相馬を号して関東御家人として活躍した。
2-2 三男盛胤は下総国武石郡を与えられ、奥州征伐などの功により奥州宇多・伊具・亘理三郡の地も領有し、子孫は武石氏を称し、亘理氏を称した。
2-3 四男胤信は香取郡大須賀保を領して大須賀氏を称し、奥州にも分領を賜った。
2-4 五男胤通は葛飾郡国分郷を領し、子孫は国分氏を称して守護代などを務め香取郡一帯に勢力を振るった。
2-5 六男胤頼は下総国東部の香取郡東庄三十三郷を領し、東氏を称した。胤頼は平氏政権下の京都に上って、上西門院に仕え従五位下に叙せられていた。その子孫は、のちに美濃に移って美濃東氏として勢力を振るった。この東氏からは海上氏が分流している。
2-6 常胤の七男は僧となって日胤といい、頼朝の祈祷僧となり、近江の園城寺に住したが、源頼政の挙兵に参加して奈良で最期を遂げている。