kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

宮沢賢治について・・・その3

2013-11-22 11:09:46 | 日記
農学校の教師・・・音楽に出合い―初恋へ―妹の死―諦める恋-死を悟る

 妹のトシはとりあえず危機を脱したが、彼はもう東京へは戻りませんでした。
稗貫郡立稗貫農学校(後の花巻農学校)で教師として働くことになった。彼が教えることは、代数、化学、英語に加え、専門科目の土壌、肥料、作物、気象、水田実習などでした。彼がやりたかった仕事でした。彼は妹トシと生徒たちのために生きるという目的を得て、再び元気を取り戻しました。どん底まで落ち込んでいた彼の人生は、妹トシの入院のおかげで再び光り輝くことになったのです
 彼はその学校に音楽教師としてやって来た藤原嘉藤治と親しくなり、今度はクラシック音楽のレコードを集め始めます。ここで彼には「音楽」という新しい趣味が増えると同時にそれをきっかけに人生初の「恋」の季節が訪れることになった。
 典型的な独身貴族だった彼は、給料のほとんどをクラシックのレコード購入に使い、最新式の蓄音機も購入した。さらにレコードをより多くの人に聞かせたいと考えた彼は、近所の花巻女学校の音楽部屋を借りてレコード・コンサートを開催した。毎週土曜日に音楽好きの男女が20人以上集まって音楽を聴くようになります。そして、この時、彼にとっては最初で最後とも言われる恋人、「大畠ヤス」と出会うことになります

哀しい恋の結末
1922年(大正11年)11月27日、結核に苦しんでいたトシがこの世を去ってしまった。近い将来、自分もまた結核に冒されるであろうことを自覚していた彼は、妹の死に大きな衝撃を受けた。そして、秘かにつきあっていた「ヤスとの恋愛」をあきらめる決意を固めます
どんな心境だったろう?。