kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

異常気象って、知っているようで正確にはしらない・・・爺は。 その6

2013-09-30 10:23:01 | 日記
4. その他、竜巻と塵旋風について

事例 8日は茨城県古河市の小学校のグランドで突風被害。ちょうど運動会が開催されており、数名が怪我をしたとのこと。 発生当時の天候は快晴で大気の状態も安定していたことから、突風の正体は竜巻ではなく塵旋風とみられます。

竜巻と塵旋風は、両者とも形状が似ていることもあり、
大変誤認されやすいんですが、発生メカニズムがかなり異なります


4-1  竜巻とは発達した積乱雲の中で上昇気流を伴った低気圧性の回転が出来て、それが地上にまで達したもの。

4-2  一方、塵旋風とは強い日射により地表付近が暖められることで発生する強い上昇気流のこと
竜巻の場合は、まだまだ精度が低いとか、きちんと伝わっていないなどの様々な課題があるものの、「竜巻注意情報」で警戒を促すことができます。
しかし、塵旋風の場合は全く予測がてきず、事前に発生の可能性を呼びかけることができません。そもそも雲一つない穏やかな快晴のもとで突風が発生するなど誰も予想がつかないでしょう。
こう考えてみると、塵旋風は竜巻並みに恐ろしいと言えるかもしれませんね。

まだまだ、気象はわからないことだらけですね。

異常気象って、知っているようで正確にはしらない・・・爺は。 その5

2013-09-29 10:16:48 | 日記
(3)8月上旬後半~8月中旬前半の顕著な高温をもたらせた要因

  太平洋高気圧が沖縄・奄美から西・東日本で強まるとともに、日本付近で偏在風は北に蛇行したことに対応して、チベット高気圧の本州付近への張り出しが強まりました
  そのため、高気圧に覆われて晴れたことや、高気圧に伴う下降流の効果に気温が上昇しました。
  このため、高気圧に覆われて晴れたことや高気圧に伴う下降流の効果に気温が上昇しました。

  また、太平洋高気圧の周りを流れる風が、平年と比べて非常に暖かかった
  中国東部から東シナ海の空気を東・西日本に運ぶとともに、西・東日本では北寄りの流れとなることで太平洋側では海風の入りにくい状態をもたらせた

  更に、太平洋側の都市部ではヒートアイランド現象など都市化の影響が強まりやすい気象条件(日照時間が長い、海風がよわいなど)となったことが、特に夜間から明け方にかけての気温の下がりにくい一因になったと考えられる。

異常気象って、知っているようで正確にはしらない・・・爺は。 その4

2013-09-28 09:48:29 | 日記
(2)7~8月の大雨と少雨をもたらした要因

 太平洋高気圧は7月上旬に西・東日本太平洋側まで、北に大きく張り出したあと、本州の南海上から沖縄・奄美を中心に勢力の強い状態が続きました。
 東北地方と日本海の地域には、太平洋高気圧の周縁を吹く暖かく湿った空気が流れやすくなったことが大雨の要因と考えられます。

 更に、偏在風の蛇行に伴って上空に寒気が流入する時があり、そのため大気の状態が不安定になったことも大雨を降りやすくしたとみられます
 
 なお、平年よりかなり暖かった日本海は、大量の水蒸気を含んだ空気が殆ど水蒸気を失わずに東北地方まで達したことに寄与した可能性があります

 一方、気圧に覆われやすかった沖縄・奄美や西・東日本の太平洋側では、雨の少ない状態が続きました

彼岸花真っ盛り・・・至急・柏市内一角で

2013-09-27 10:21:45 | 日記
今年も彼岸花の季節になりました。豪華で、見栄えがいい花である。カメラをもつ人ならだれでもシャターを切りたくなります。

柏近在にお住まいの方で、見学したり、カメラに収めたい人は、豊四季循環バスで「向原入り口」下車で、豊四季近隣センターの右隣の降りる坂道です。

ヒガンバナ(彼岸花、学名:Lycoris radiataはヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草。クロンキスト体系ではユリ科。曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka も。

全草有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン)を多く含む有毒植物

異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあ・・・と呼んで、日本では不吉である。
と嫌われているところもある。

今年も赤・白の2色ですが、1つ右下の写真のように橙色の花が咲いていました。これも、彼岸花の仲間でしょうか?。

あと1週間ぐらいは見られます。

柏市からの発信でした。

異常気象って、知っているようで正確にはしらない・・・爺は。 その3

2013-09-26 08:19:57 | 日記
3. 大気の流れの特徴と要因

(1)大気の流れの特徴と要因
  夏の日本の天候を支配する太平洋高気圧(下層の高気圧)とチベット高気圧(上層の高気圧)は、今年の7~8月はともに平年より強くなりました
特に、太平洋高気圧は西への張り出しの強い状態が続き、沖縄・奄美や西日本では勢力が非常に強くなりました。これらの高気圧の強まりによって、西日本を中心に全国的に高温となりました
 また、高気圧に覆われて日射量が平年より多くなったことにより、8月の日本近海の
海面水温が平年より高くなりました。
  
  太平洋高気圧とチベット高気圧がともに優勢となった一因は、海面水温がインドネシアやフィリピン周辺で平年より高くなる一方、中・東部太平洋赤道域で平年より低くなったことにより、アジアモンスーン域の広い範囲で積雲対流活動が平年と比べて非常に活発になったことが見られます

異常気象って、知っているようで正確にはしらない・・・爺は。 その2

2013-09-25 10:36:55 | 日記
1. 異常気象

 2013年の夏は、全国で暑夏となりました。西日本の夏平均気温平年差+1.2度となり、統計を開始した1946年以降で最も高くなりました

 8月上旬後半~中旬全半の高温ピーク時には、東・西日本太平洋側を中心にして気温が著しく高くなりました。

 特に、高知県の四万十市江川崎では、8月12日41.2度となり、日本の最高記録となりました。

 この夏、日最高気温の高い記録を更新した地点は143地点、日最低気温の高い記録を更新したのが93地点でした

2 夏の降水量 

東・西日本太平洋側と沖縄・奄美の一部で少ない一方、東北地方と本州の日本海側で多くなりました。特に東北地方は、たびたびの大雨に見舞われ7月の降水量は、統計を開始した1946年以降で最も多くなりました。

 また、山口県、島根県、秋田県、岩手県の一部地域では、過去に経験したことのない豪雨に見舞われました

 アメダスによる猛烈な雨(1時間降水量80mm以上)のこの夏の観測回数は1976年以降3番目に多くありました

異常気象って、知っているようで正確にはしらない・・・爺は。 その1

2013-09-24 10:40:37 | 柏シルバー大学院
2学期の最初の授業が「異常気象」ついてでした。講師はスペースディレクトリーのH先生である。
爺は、講師にどんな所属の研究団体に所属しているかと、と尋ねた。筑波大学で講師をしている。・・・それで納得した。

平均年齢85歳前後の学生の68人(クラス73人、93%)の出席率であった。
毎学期の運営費を納める日であったせいからか、大変立派な出席率である


今日は、当番班長なので、講師の講義の静聴の様子を右最前列から眺めた。

居眠りする人もなく、みんな講師の顔を眺めていた。この歳になって、これだけ真剣になれるのかびっくりした。授業後の礼の挨拶の後に、そのことを皆さんに報告したら、にこにこ顔で拍手する、ほほ笑む人が多かった。講師も大変喜んでいた

皆さん、アップする内容は、ご理解であろうと存じますが、再確認という意味でお読み頂けるば・・・とおもいます

映画「少年H」を見て・・・自分の当時の生活と重なって その3

2013-09-23 10:22:50 | 日記
                女学校の生徒たち

4. 中学校・高等女学校の上級生は、学校を離れ軍事工場に学徒動員
4-1 中学校4.5年生、後に3年生まで学徒動員で、学校単位で軍事工場に。
  爺たちの工場は、三菱重工業の茨城の古河工場で、魚雷艇の空冷星型  エンジンを作成していた
山形の工業学校、古河の女学校、古河の商業学校、爺たちの水海道中学校の4校が派遣されてき
  た。仕事の内容は別別である。
4-2 寄宿舎は、特別に別な場所に2階棟に長屋式にたてられていた。同室には数人程度で、
  食事も浴場も用意されていた。規則に従った共同生活であった

  学徒動員に、各人に手当てが支給されたのか、それによってか、月謝はなくなりました
  帰宅は、卒業式か、上級学校進学のため等以外は出来ませんでした
  学習を犠牲にした、忍耐の生活でした。これは、映画にはありませんでした。
* 爺たちは、中学校5年制に中で、3年だけの学習で卒業した。戦争の犠牲になっている。
中学3年の学力で、上級学校に進学し、戦後、その専門学校・大学を卒業した。学力不足は当然であろう。でも、この社会ではなんとか適応していった

9回シリーズになりますので、明日から数日、他のテーマをアップします

映画「少年H」を見て・・・自分の当時の生活と重なって その2

2013-09-22 10:13:27 | 日記
2. 主人公は、 この物語は、昭和10年代から20年代の、 まさに太平洋戦争のまっただ中に、小学生から中学生へと成長していく少年Hの、少年 の目から見た戦争の記録だ。
やはり結末は疑問である。戦後独り立ちしようと決意して親元を離れて行こうとする


3. 映画と重なる生活の1コマをあげてみる。旧制中学校での軍事訓練等
3-1 昭和16年12月8日未明、ラジオで日本は戦争状態に入れり、朝の臨時ニュースで
  放送した。威勢のよい軍艦マーチをいれながら・・・

  爺は、旧制中学校の1年生であった
3-2 旧制女学校では、英語は敵国語とのことで中止になった。爺たちが英語は普通に授業を受けた。英語は、リーダー、英語で作文、英語の文法など3科目の週6時間であったが、現在も英語で会話が出来ない。日本の英語教育の問題点か

3-3 学校に現職の軍人将校が各中学校に派遣されて、軍事教育を受けた
  銃のもち方、銃と休憩、気を付け、行進の仕方、銃を両手で支えて歩福前進する訓練を厳しく行けた。映画に出てくる、藁人形を銃剣で突く訓練も経験した。
3-4 真夏の河原の砂地を、銃をもって、裸足で駆け出し、足がひびくれになって、散々苦労したこと

3-4 これらの訓練は、他の教科と同じように教練科として評価された。上級学校進学の評価になっていた

映画「少年H」を見て・・・自分の当時の生活と重なった その1 

2013-09-21 10:07:46 | 日記
話題になっている映画ですので、是非、見たいと柏市から東武野田線2つ目の「まがれやまおおだかのもり」駅に降り、直結の映画館に足を運んだ。

爺も太平洋戦争開戦に旧制中学校に入学し、終戦の年に卒業であった。映画の内容が自分の体験と重なった・・・と言える。この時期になって、なぜ上映されたかと思いながらも、自分の生活や考えと重ね合わせながら鑑賞した。

館内は、後期
高齢者が少なく、70歳前後の方々が割に多く、9割程度座席が埋まっていた。同じような体験をなさっていられる方が多いと存じ、爺の体験を述べながらもアップしてみたい

1. 作家・妹尾河童の自伝的小説で、上下巻あわせて340万部を突破するベストセラーを、「ホタル」「鉄道員(ぽっぽや)」の降旗康男監督が映画化。

太平洋戦争下という時代に翻弄されながらも、勇気や信念を貫いて生きた家族の激動の20年間を描き、実生活でも夫婦の水谷豊と伊藤蘭が夫婦役で映画初共演を果たした。

昭和初期の神戸。名前のイニシャルから「H(エッチ)」と呼ばれる少年・肇は、好奇心と正義感が強く、厳しい軍事統制下で誰もが口をつぐむ中でも、おかしなことには疑問を呈していく

Hはリベラルな父と博愛精神に溢れる母に見守られ成長し、やがて戦争が終わり15歳になると独り立ちを決意する。以上の筋書きである。

途中、休み休みながら、9回シリーズをアップさせて頂きます