kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

疲れを癒す懇親会より講座を大事にする・・・この会は

2008-09-30 06:44:19 | パソコン市民活動

                   この写真は懇親会の様子です

 

08.9.26 東葛インターネット普及会の懇親会が、市内の海鮮料理店で実施された。

午前11時半から午後2時の予定で、参加者は30名弱で。会員の50%前後だった。

懇親会が開かれた理由は、

この会の創立8周年を記念して、旅行でも計画しようかとのことでアンケートをとった。

参加は30名で、過半数の参加が見込めないので懇親会にした。

和気あいあいの内に宴がたけなわになり、テキスト作りの大変さや講座の進行の難しさなどが話題に出た。また、普段話題にならないような話が出てきたり、入会浅い会員が古い会員に尋ねることもあった。

懇親と交流の密な懇親会であった。

ただ、今日の懇親会の参加率と比べ、講座等の講師・サポートは、多少の入れ替えがあるが、当日は殆ど100%の参加である。ボランテイなのに、如何に責任感を持っているか痛感する。これこそ、何処にも負けない東葛インターネット普及会の知的ボランティアの心意気である。

それと同時にリハーサルと講座の講師・サポートに参加して、自分の知識・技術・交流を深めている。生涯学習そのものである。

教えることは、教わることであることを実証している。

 


心をひきつけた道端の花

2008-09-29 06:41:37 | 日記

  これは町中散歩で目をとめた花の写真である 

08.9.半ば 街のいつもの散歩道を歩いていた。強く目を引くものがあった。町の住宅街の平凡な雰囲気に比べ色鮮やかでハデな雰囲気であったからか。

名は知らないは、あちこちでよく見かける花である。花に関心の強い方なら自宅に帰ったらインターネットや図鑑等ですぐに調べるであろう。私にはそこまで意欲はない。しばし、足をとめおしべ、めしべ、葉の様子等を観察していた。

持ち主のおじさんが出てきた。「素敵な花ですね。よく手入れをしていますね。」と言葉をかけたら、「ほめられて有難う」の返事が返ってきた。花について会話をした。

そして、カメラを向けて持ち帰った。

花とおじさんとの会話で何と暖かい感情に包まれた散歩になった。 

この頃、多くの家庭の玄関や2階の窓に花が植えられていることが多くなった。日常の生活を気持の上から潤いとエンジョイすることに価値を見つけたためではないだろうな。円熟社会への表れか?? 。また、道を歩いている人にあ多少なりとも慰めや癒しや潤いを与えてくれていると思う。

ヨーロップでは、昔から、このような現象はある。

20数年前に、オランダの町を歩いたことを思い出す。

 


ある受験生からのメール(その2)

2008-09-28 06:54:16 | パソコン市民活動

シニア情報生活アドバイバー養成講座の内容の一部です 

ある受験生からのメール(その2)

女子50代受験生

昨日の実技試験では、手が震えてメモ帳に入力するのが大変でした。

プレゼンでは自分が何を言っていたのかよく覚えていません。

ワードアートをアートワードと言ったり、言い間違いがあった様です。

後から先生から指摘がありました。

もし筆記試験に合格出来たなら、それは、前日のkametaro爺さん先生の特別のアドバイスのお陰だと思います。

アドバイスを自分なりに作っておけば、もう安心です!。

○○さま(男子70代受験生を指す)は、いつもまじめに勉強し筆記試験の解答を教えてくださいました。とても参考になり有難かったです。

きょうは今まで我慢していた韓国ドラマを観てのんびりしています。

遅くなりましたが、お礼まで・・・・・▲▲ ▲より

 担当kametaro爺さんの感想

講座の受験担当を第1期生から現在の25期生まで連続で担当している。6年間である。

こんなお礼のメールをもらうことが何よりの楽しみである。

特に、感想の中で、パソコンを基礎から学べたこと、苦しかったがこの年になって素晴らしい経験の出来たことを殆どの方が感想に述べている。

私の担当は、受験勉強のための講座である。8講座の中の2講座であるが、2人の受験生でメールでの指導・助言や相談は82回に及んだ。その他にもサポートの方があり、それらを含めると130回前後となろう。受講生も担当講師・サポートも真剣に勉強した2週間であり、共に充実した日々であったと思う。受講生にお知られたことも多かった。

2人の合格を祈念する。

 


受験を終えた70代男子からのメール

2008-09-27 06:36:44 | パソコン市民活動

これはシニア情報生活アドバイザー養成講座のテキストです

男子70代の受験生のメール    斜体文字はリンクされています。

08.9.25日、シニア情報生活アドバイザーの認定試験のプレゼン発表15分、実技45分、筆記試験2060分が実施された。kametaro爺さんは、それの担当をした。

昨日は大変ご苦労様でした、朝までメールが下さるなんて驚きですね

それだけ心配されていたのですね

試験の結果まったく分かりません。多分、○○さんは満点、100点取れたのではないでしょうか

しかし、不思議なもので、筆記試験など物を知らなくても間違う、知りすぎていても間違う。こんなことってよくありますよね、

筆記試験など、素直にむしろ暗記しておいたのが無難な場合って多いです

私の場合、考えすぎ本当に正しい知識に達していなくて、大変余計なことをつい書いてしまう。

と言うようなところが有り、知っていること全部書いてしまう。時間的に余裕がなくなってしまう。

多分、合格に達していないのではと思うようなところがあります。しかし、全然後悔はしてはおりませんし、何か精神的にはホットしております。

やはり、加齢による、注意力、散漫、集中力、が落ちている、持久力、智力の低下はやむを得ないと考えさせられました

これからは、気持ちを切り替えて、この間やれなかった仕事など大いに進めてゆきます。

この1月間に亘り、大変お世話になったこと、御礼申しあげます。

末筆ながら、取り急ぎ、重ねて御礼申し上げ挨拶と致します

△△△ △ より


軍事教育の高等商船学校生活・・・終戦前後シリーズ NO.8

2008-09-26 06:35:56 | 思い出

この写真は、東京大空襲でガレキになった下町を天皇陛下が視察。 

20.3.9東京下町大空襲でガレキの町へ

そんな中での軍事教育の高等商船学校生活

1.    起床ラッパで全員おき、校庭に全員集合して点検から1日が始まる。

2.    寝台の毛布の畳み方が悪いと叱られる。早く丁寧に処理し、校庭にかけていく。

3.    朝食までの間、海岸で海に向かい「号令練習」を声がかれるまでした。

4.    階段は、必ず駆け足で昇る。

5.    授業は90分授業。食料も不十分であり、特に軍事訓練・短艇訓練等は疲労した。

6.    夜は、各分隊ごとに温習室で自由学習。その後、就寝した。

7.    日曜日、半舷上陸(全校生の半分)といって、校外に出で休養できた。休養先の特定の家があり、そこで休養したり楽しんだりしていた。

8.    帰校後、軍歌練習を校庭を回りながら集団でした。
四海海なる帝国を守る海軍軍人は、戦時平時の区別なく・・・・等

9.    6月・7月となり、わが学校を通過する艦砲射撃が毎晩のように太平洋から清水市に向かってあった。直ちに防空壕に避難した。生徒の避難指揮をとるべき将校が、生徒より先に防空壕に逃げ込んだ。なんとおかしい光景であった。軍人でも人間であった証拠であろう。

  私たちは社会とは隔離され、月2回の日曜日の半舷上陸(半分は在校)で学校をはなれ、多少の自由を楽しんだと同時に多少社会の風に触れられた。

その間に社会では、次のようなことが起こっていた

 3月9日 東京大空襲 下町は焼夷弾の餌食にになり、殆ど壊滅、夥しい人数の人が焼き死んだ。町はガレキになった。

*4月1日 米軍、沖縄上陸

 5月7日 ドイツ無条件降伏」

 5月26日 空襲で宮殿全焼

  8月6日  広島原爆投下

  8月9日   長崎原爆投下

 自覚はなかったが、急激に敗戦へと進んでいった。


わが町にも、超高層化ビルが3棟あらわれた

2008-09-25 06:02:03 | 写真

           わが町にも、超高層化ビルが3棟あらわれた。

私の住む街は、戦後の発展がめざましく、私の知る限り、4万人前後から、近隣町村との合併で現在約39万人で中核都市になっている。

最近、駅周辺を中心に15階前後の高層ビルのマンションが林立している。

また、駅をはさんで大きなデパートが4つ建ち、駅通りで人の多いのは県内1ともいわれている。

若者の多い活気のある通りである。このように都市構造が大きく変わった。この街にこられた人の感想である。

そんな中にも突然30数階建ての超高層ビルが3棟出現した。ただ、郊外の地域である。

しかし、この地域はエックスプレス筑波線の停車駅「柏の葉キャンバス」の前である。

都心に30分前後でいける便利な場所である。近くに東大キャンバス、千葉大キャンバス、公式競技場(プロサッカーの競技場)、県の生涯学習センター、国立ガンセンター等、多くの研究施設がある。

また、大きい施設のショピングもある。映画館まで併設されている。休日は沿線からも多くの人を呑み込んでいる。

急激に発展してきた地域であるが、この地域は、国をあげての研究の核になりつつある。

今後、ますます発展していくものと思います。

この3棟が、地域の発展を誘いこんでいくように思いたい。


フォットクラブの勉強会・・・・東葛インターネット普及会

2008-09-24 06:16:35 | パソコン市民活動

      この教材になった1つの写真です。

 

フォットクラブの勉強

 9月18日フォットクラブの勉強会があった。10数人が参加した。クラブ員の提出した40数点の写真を、専門家が指導・助言してくれた。

 写真撮影技術の浅い人、長くこのクラブの研修会に参加して撮影技術を習得した人があり、よい写真、普通の写真があるのは当然である。

 専門家は、クラブであることを主眼においたのであろう、穏やかなやさしい指導であった。しかし、撮影時の着眼点をはっきり示してくれた。

 私の上の写真も、自転車が邪魔である。また、手前の店に、店に対応する個性のある設備のようなものがほしいと助言してくれた。次回からの撮影に生かそうと頭に叩き込んだ。

その他にも、私の頭には

1.    青空を撮影するときは、明るくする。

2.    赤を撮影するときは、暗くする。

3.    白は暗くする。

4.    フォットショップエレメントのシャープツールを使ってのひまわりの芯の

操作を覚えた。毎月1回の定例クラブ研究会である。できるだけ参加する気持ちでいる。

 全く写真に関心のなかったkametaro爺さんも、カメラを向きるとき多少考えるようになってきた。多少の進歩と思っている。

 もう1つ大事なことは、台風の日だったので、会場に近い駅で下車した人を自家用車で迎えに来てくれた方がいた。こんな暖かい雰囲気のクラブでもある。


夜の暗闇に咲く月下美人

2008-09-23 06:23:43 | 写真

        この写真は月下美人です。

月下美人とは

サボテン科の多年草。クジャクサボテンの仲間で、茎は平たく、葉状。夏の夜、白色で香りのある大花を開き、数時間でしぼむ。メキシコの原産。《 夏》「は一夜の雌蕊(めしべ)雄蕊かな/楸邨」<o:p></o:p>


1.隣の奥さんが月下美人のつぼみが大変大きくなった。今晩咲きますよ・・・・と。<o:p></o:p>

.カメラと3却を構えて、花の前に7時頃設定させてもらった。<o:p></o:p>

3.8時に見に行った。大部大きくなり、今にも咲くように見えた。<o:p></o:p>

4.8時半、また現場に行った。まだ、開花が不十分である。<o:p></o:p>

5.9時に行った。写真を撮り始めた。デジカメで100枚程度とった・・・・。

6.何となく心が引かれ、現場に行ったら、奥さんが、自宅に持っていって写真を<o:p></o:p> とりなさい・・・。言われで喜んで自宅に借りてきた。<o:p></o:p>

7.蛍光灯の明るい部屋で思う存分に撮影した。自己満足した。これが上の写真である。

8.翌朝みたら、花はしぼんでいた。不思議な月下美人である。

         

 


熊野詣(くまのもうで)を訪ねて

2008-09-22 09:59:53 | 日記

この写真は熊野本宮大社です。

 熊野詣(くまのもうで)とは
古代から宗教的霊場としてうやまわれた現在の和歌山県南部熊野地方にある熊野三山への参詣することを言います。熊野三山とは、熊野本宮大社(本宮)、熊野速玉大社(新宮)、熊野那智大社(那智) 3社の総称である。
 熊野三山に対する信仰は、平安時代後期から全国的な規模にひろがりました。
 熊野詣には伊勢路、紀伊路など3つの街道があり、先達(せんだつ)とよばれる案内人にみちびかれて、全国から参詣者があつまりました。街道には、熊野三山の祭神をわけた小さな祠(ほこら) が点々ともうけられていました。貴族、武士、庶民たちが絶え間なく参詣し、「蟻(あり)の熊野詣」と形容されるほどだったそうです。

              

 08年9月15日:私たちは大門坂の古道を傘をさしながら登っていた。僅かな距離であったが雨と急な石段の道で、大変疲れた。10年ほど前、本宮から山越えで湯の峰王子たずねて湯の峰温泉まで歩いた鼓動のことを思い出した。

 今回は、訪れなかったが、湯の峰温泉は情緒ゆたかであり、湯けむりで温泉街が包まれ隠れた秘湯ともいえたい。機会があったら行かれることを推薦したい。 

 9月16日:那智の滝、熊野那智大社、熊野本宮大社を参拝。昼食後にバスは豊橋に向け出発、23時半に帰宅した。

 2度目の楽しい旅であったが強行軍の日程であった。

 


軍事訓練が中心の高等商船学校へ入学 終戦シリーズNO.7

2008-09-21 06:31:17 | 思い出

      この写真は、入学後の45分隊(クラスメート)です。

 この写真は高等商船学校の軍事訓練で、駿河の東照宮の階段を上り下りをして休憩した時に撮影した思い出深いものです。

1.  入学式は1945年(昭和20年)4月15日だった。出発に先立って、自宅で壮行会を開いてくれた。軍に準ずる学校ですので、入校後の生死はわからない。一般兵士の入隊風景に準じたのであろう。中学の同級生も多く参加してくれた。17歳であった。

2.  始めてのる東海道線、清水駅まで6時間かかった。学徒動員中の知り合いの方からの紹介で清水市の或る宅に1泊した。防空壕の地下部屋であった。

3.  8月15日正午が入校受付であった。第45分隊、指導専任の2年生が紹介された。1800人の入校式が広い校庭で実施され、担当分隊長(部屋長)は海軍の永山大尉であった。

4.  厳しい寮生活が始まった。食事は大食堂で2600人一斉にした。食料が悪く、日増しに痩せていった。

5.  夜は、寮の2回にある自習室で9時まで勉強し就寝した。

6.  授業は船舶関係のほか、軍事訓練、短艇(カッター)訓練等で厳しかった。急病になり2・3人死亡したとのことでした。

7.教科書には、最後に「この教科書により○○を習得すべし 校長 海軍中将 若林・・」とあった。

8.夢中で過ごした生活で、行動を機敏にしないと上級生に殴られた。それが怖くて、気の抜けない緊張の生活であった。

*ただ、驚いたのは町を歩いていて、陸軍の下士官兵に敬礼されたことだ。高等商船学校の学生の身分は准尉とのことでした。

社会から離れ、閉ざされた厳しい訓練に明けた日が8月15日まで続いた。今も脳裏から離れない。