kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

京都御所とバスツワーの旅・・・老いぼれ爺と婆 その5

2012-11-30 13:39:20 | 観光
この写真は11月4日のもので、多少紅葉の色づき始めの木も見られました


哲学の道

南禅寺から銀閣寺に至る疎水は、桜がたくさん植えられ春は桜、秋は紅葉で散歩する人を和ませてくれます。11月4日は紅葉には早かった。
京都の哲学者、西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていました。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々されました
哲学の道のなかほど、法然院のそばには西田幾多郎が詠んだ歌が石碑に刻まれています。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」

哲学の道 散歩
京都・東山の麓に哲学の道と呼ばれる絶好の散策スポットがあります。
南は永観堂の北東方向の若王子神社あたりから始まり、北は銀閣寺まで続く疎水に沿った散歩道です。
京都疎水は明治時代の京都の一大事業として作られた人工の水路です。南禅寺の水路閣も疎水の水を流すために作られたものです。
哲学の道は、日本の道百選にも選ばれている散歩には最適の道です
ここで2時間の自由時間、銀閣寺と哲学の道を、老骨に鞭打ちながら歩き満足した
京都と別れ、奈良公園の国立博物館の正倉院の特別公開に向けでバスは走り出した。

京都御所とバスツワーの旅・・・老いぼれ爺と婆 その4

2012-11-29 11:06:00 | 観光
銀閣寺は
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。

 九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げました。銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えています

庭園
特別史跡・特別名勝。錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園。「苔寺」の通称で知られる西芳寺庭園(夢窓疎石作庭)を模して造られたとされるが、江戸時代に改修されており、創建当時の面影はかなり失われているといわれる。「銀沙灘」(ぎんしゃだん)、「向月台」と称される2つの砂盛りも、今のような形になったのは江戸時代後期とされている。なお、東方山麓の枯山水庭園は1931年(昭和6年)に発掘されたもので、室町時代の面影を残すとされている。
特に、庭園が素晴らしく、庭園から銀閣寺を望む美は最高の美であるように思えた

江戸時代の娯楽 その2

2012-11-28 10:44:07 | 柏シルバー大学院
4. 遊郭
 吉原(元)、新吉原(浅草浅草寺の裏のエリア
 四宿 品川、千住、板橋、新宿
 岡場所(神社仏閣の近く)根津、山下、深川、護国寺、芳町、湯島、花房町
 街娼[ストリップ] 夜鷹、蹴転(ござをひいて)五十蔵(50文で)お千代舟等で
 風呂(銭湯)アカスリ女等

5. 見世物
 広小路 軽業、曲馬、独楽廻し、象(2頭いた)、駱駝 虎
 寄席 落語、講釈、雑芸、声色、物真似
 芸  碁、将棋、書画、能、狂言、茶道、俳諧、わび、さび、しおり、川柳

6. 相撲 
回向院、寺社勧進角力
7. 植木 椿、躑躅、菊、橘、朝顔
8. 動物 秋田犬、狆、小鳥、金魚、昆虫
9. 博打 
さいころ、花札、富籤(谷中感応寺、目黒不動、湯島天神)
10. 文芸 仮名草子、浮世草子、彩落本、人情本、読本、草双紙、赤本、黄表紙、黒本、合巻 その他

今日まで続いているものが相当ある。しかし、みな現代化され今日のみなさんに会うようになっている。
楽しむ気持はいつの世も同じですね

江戸時代の娯楽 その1

2012-11-27 11:14:36 | 柏シルバー大学院
江戸時代270年間平和な時代だった。世界でこんな平和が続いた国家は見当たらない
学問では儒学が中心であった。この間、庶民は娯楽を楽しんだ。今日まで残っているものが大変多い。Aクラスでは二松学舎大学名誉教授の講義を、見出しのテーマで楽しく聞いた。
当時、京都を中心の公家文化・町人文化と文化水準が高かった。それに比べ、原っぱの多い江戸は、色々の文化について遅れていた。主な娯楽をアップしてみたい。

1. 江戸ではやるもの
 風呂。角力、芝居、男伊達三味、蕎麦きり、博打、大酒、火事、喧嘩、伊達屋

2. 寺社参詣と行楽 
 三社祭り、山王祭り、神田祭り
 春 花見 上野、向島、飛鳥山、御山
 夏 花火 両国、隅田川、
 秋 紅葉 正燈寺、護国寺、梅晏寺、根津
 信仰 遊山 大山詣、富士浅間神社、伊勢神宮、金比羅参り
3. 芝居
 歌舞伎(若衆、野郎、荒事(あらごと)和事(ラブシーン))

京都御所とバスツワーの旅・・・老いぼれ爺と婆 その3

2012-11-26 10:02:50 | 観光
午後5時過ぎの見学で大分暗くなってきた時の写真


清水寺
清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている

創建伝承
宝亀9年(778年)、大和国興福寺の僧で子島寺[1]で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。
豊臣秀吉は清水寺に130石の寺領を安堵し、徳川幕府になってもこの寺領が継承された。近世の清水寺は「三職六坊」と呼ばれる組織によって維持運営されていた。

年老いた年寄り2人でも、時間内に道順の通り、歩けたことに満足しています。
1日の万歩計は、11.401歩でした。朝の犬の散歩約5000歩を加え大体16000歩でした。
よく歩きとおせたなと自分をほめたい。

京都御所とバスツワーの旅・・・老いぼれ爺と婆 その2

2012-11-25 14:49:23 | 観光
紫宸殿
御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた最も格式の高い建物である。高床式宮殿建築の建物で、平面は33メートル×23メートルほどの規模がある。。規模は大きいが、華美な装飾のない、簡素な建物である。
内部は板敷きの広い空間となり、中央に高御座(たかみくら、天皇の座)、その東に御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。高さ約5メートル、平面八角形で、柱と柱の間に帳(とばり、カーテン)をめぐらし、内部には椅子が置かれている。
高御座、御帳台の背後の襖は「賢聖障子」(けんじょうのしょうじ)と呼ばれ、中国古代の賢人32人の肖像が描かれている。これは平安時代からの伝統的な画題である。現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位の礼に際し、古制に則って造られたものである。

清涼殿
紫宸殿の背後西側にあり、東を正面とした建物。入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具に蔀戸(しとみど)を使う点などは紫宸殿と共通する。本来は天皇の居所兼執務所であったが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになっている。
これは天皇の寝室であるが、天皇の居所が常御殿に移ってからは形式的な存在になっていた。この他に西側(裏側)には鬼の間、台盤所(だいばんどころ)、朝餉の間(あさがれいのま)、御手水の間(おちょうずのま)、御湯殿があり、南側には殿上の間がある。これらの部屋の障壁画は宮廷絵師の土佐派が担当している。

自由見学が2時間でした。爺たち高齢者にも充分の時間でした。ゆったりと見学できました

京都御所とバスツワーの旅・・・老いぼれ爺と婆 その1

2012-11-24 11:08:08 | 観光
年も考えず、京都御所一般公開参加のバスツワーに参加した。
大変人気があり、バス2台の90人が参加者とのこと。御所見学最終日の日曜日、新幹線「こだま」で京都まで・・・。

参加者の中で、爺たちが最古参の老人であった。迷う爺や集合時間に遅れないことに注意をはらった。

添乗員さんには、理由を説明し、携帯電話番号をお知らせした。添乗員も、自分の番号を紙にメモしてくれた
ちょっとした配慮が、気を楽にさせると同時に、集合時刻と帰れる範囲を気にとめるようになった。
京都御所―清水寺―銀閣寺・哲学の道散歩―正倉院の特別公開の見学でツワーの皆さんと同じように行動ができた、大変嬉しかった
読んでくださる皆さん、既に見学されたと存じますが、爺の感動場面をアップしてみます。

京都御所について
建礼門
御所正面入口の正門。開門されるのは天皇や国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみである。左右の築地塀(ついじべい)には5本の筋(水平の線)が入っているが、これも塀として最高の格式を示すものである。この門を入り、丹塗り瓦葺の承明門(じょうめいもん)を潜ると正面が紫宸殿である。


ボケとボケ防止について・・・その2

2012-11-23 10:09:43 | 柏シルバー大学院
3.  アルツハイマー病
アルツハイマー病は、脳を構成している神経細胞が通常の老化よりも急速に、いわば病的に減ってしまうこと(変性)によって、正常な働きを徐々に失っていき、認知症(痴呆)になっていく病気です。
40歳頃から90歳に至るまで広い範囲で発病しますが、65歳以上で多くなります。男女比は1対2で女性に多い傾向がありますアルツハイマー病は実は身近な病気であり、高齢社会においてはますます大変な病気だといえます

4. アルツハイマー病では、認知症の内容を、脳の変性に基づく中心症状とそれに伴って起きてくる周辺症状に分けてとらえます。中心症状は、アルツハイマー病の患者さんすべてに現れる症状で、記憶力が低下する、時間や場所を認識することができなくなる、判断力が衰えることです。
周辺症状は、患者さんによって現れ方は千差万別です。幻をみたり、例えば物を取られたという妄想(もうそう)に囚われたり、混乱状態となったり、徘徊(はいかい)したり、攻撃したり、身なりにかまわなくなったりします。これらの周辺症状は、介護する側にとって大きな問題となります。

5. 在、直す薬はありません。症状が遅らせたり悪化しないように手助けする薬です
人格的に影響する病気で、早い診察が必要で、夫を診察させたい時は、夫婦で一度診察してもらいましょう。

本人の人格を考慮して行動することが必要であろう

ボケとボケ防止について・・・その1

2012-11-22 08:49:54 | 柏シルバー大学院
Aクラスでは、上のテーマに従って、精神科・認知症などの専門病院の女性の院長さんからお話を聞いた。受講生は平均85歳の後期高齢者老人ですので、読んでくださる皆さんと大分かけ離れれいると存じますが、1つの参考のためにアップします。
この病院は精神科が300床、介護・認知症等が200床の病院で、経験事例から話を進めてくれた。笑いながらも、やがて来る近き日々を思いながら真剣に耳を傾けていた。

1 .精神病者等は、昔は家の中に囲いを作り、家族が多かったので交替に世話をしていた。
  入院したら、孫の娘の結婚に支障になるからと無理に退院させていった。
  しかし、現在の社会では家族の人間が少なく、自宅では世話は困難で専門施設の特養や病院等での世話になってきた。
2. 脳血管性認知症・・・脳梗塞等欠陥の故障で倒れ寝たきりになるとボケが始まる。
 防止策
● 動脈硬化を防ぐ。何でも食べていいからおいしいものを腹八分に食べる。
● 体重を軽くする。太ると関節等に負担がかかる。
● 杖を使う。脚の負担を軽くしてくれる。足が痛む時など、無理に運動しない。治ってから。
● 血圧を知っておく。血圧が下がりすぎ気分が悪い等の体調が悪い時など時には、留意したり医者に見てもらう。
● 脱水状態にならない。夜お手洗いが多くなるから、お茶や水を飲まないはいけない。. 


素晴らしいオートシェイプ画・・・紹介 その2

2012-11-21 10:58:45 | オートシェイプ画
 
東葛インターネット普及会HPのアートギャラリーより抜粋

爺のブログを長く読んでくださっている方の中には、アップしたオートシェイプ画の基
的な描き方を継続して遊んでいられる方もあるかもしれません。
今まで50回程度取り上げています。
いつしか、上の絵に少しでもオートシェイプ画が近づけるよう頑張ってほしいとの願い
から取り上ました。
爺など幼稚なもオートシェイプ画しか描けない。少しでも向上するようと頑張りたいと思います。

参考  オートシェイブ画、ペイント画が表示されています。
http://www.geocities.jp/toukatsu_i/gallery3/gallery3.html

東葛インターネット普及会のメンバーが、描いたペイント、オートシェイプ画です。
ご覧いただければ幸せです。