kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

お寺でコンサート・・・西光院

2012-04-30 10:57:55 | 日記
西光院では、定期的にボタンの開花の4月29日の音楽の催しを実施している。
今年は、小室等と娘とのコンサートである。

家内と犬の散歩をかねて西光院に出かけた。
会場は本堂内であり、定刻についた時には、満員で、多くの方が境内の座椅子に座って、漏れを音楽メロディーに耳を傾けていた。

いつも空いている寺の駐車場も車でいっぱい、寺前の道路も自転車でいっぱいであった。
檀家だけでなく、一般の客も多かったようである。
お寺でコンサートとは大変珍しい催しである。

ボタンも咲き始め、三部咲きぐらいでした。来週いっぱいは楽しめると存じます。この寺はボタンのお寺としても地方では有名である。


新たなAクラスで24年度スタート・・・楽しいクラスに その3

2012-04-29 10:05:15 | 柏シルバー大学院
最も大事な各クラスの教場は

1. 生涯A組 野村證券(半日授業)
2. 生涯B組 野村證券(午前2時間事業、午後2時間授業)
3. 生涯C組 れいたくキャンバス(午前2時間事業、午後2時間授業)
4. 生涯D組 れいたくキャンバス(午前2時間事業、午後2時間授業)
5. 生涯E組 柏中央公民館(午前2時間事業、午後2時間授業)
6. 研究3組 れいたくキャンバス(午前2時間事業、午後2時間授業)
7. 研究2組 柏商工会議所(午前2時間事業、午後2時間授業)
8. 研究1組 柏中央公民館内 福祉会館(午前2時間事業、午後2時間授業)
年間18日の授業を行います。

学習計画は、学生の希望を入れながら、登録の講師群から選んだり、新しい講師を探したりして、授業日と講師の都合とを調整して選択し、依頼する。

柏シルバー大学院は、自分の教場はありません。借用教場です。
「れいたくキャンバス」は、麗澤大学の敷地内にあり生涯学習センターで、南柏よりバスで通学する。老いても自分を磨くという生涯学習意欲には感動しています。


新たなAクラスで24年度スタート・・・楽しいクラスに その2

2012-04-28 11:17:58 | 柏シルバー大学院
配布された資料
1. 学生名簿 8ページ 学生数82人 6班編成 12人~15人編成
  年齢構成 93歳 1人、92才、90歳 1人、85歳~89歳 22人 27%
  80歳から84歳 45人 55%、75歳~79歳 12人 14%。
  >大分高年齢の学生のクラスである
 *学生名簿は個人情報保護のため、各自厳重に管理してください。>決して第三者に 渡さぬこと。不用になった時は、焼却するか、微裁断で処分してください。

2. 学生総会資料
  1. 柏シルバー大学院 校歌
  2. 運営委員会役員名簿 委員長1名、副委員長4人、総務部長1人、
    副2人、教務部長1人、副2人、経理部長1人 副2人 監査2人
    編集委員2人 班長1人 副2人。
  3. 校外研修 日帰り研修 2回、一泊研修旅行 1回
  4. 平成24年度予算案
  5. 1学期学習予定表 班別当番表、地域別学生数、学習上の注意、当番班の業務
   大変、膨大の資料で担当者が、パソコンで作成されたのではないか。
   そうだとすれば大変ご苦労様です。頭が下がります。

新たなAクラスで24年度スタート・・・楽しいクラスに その1

2012-04-27 08:53:15 | 柏シルバー大学院
4月12日の学生総会で、新しいAクラスがスタートした。爺は欠席した。
同クラスの友人に当日配布された資料と、学生の雰囲気を知らされた。
編入された新学生は30人で、全学生82人の中で、37%を占めている。
学院長も在籍し、役員もテキパキと行動しているようだ。

一方、元からAクラスに残留している学生57人は、ぬるま湯的なクラス雰囲気で安住していた。クラスの役員等の仕事からができるだけ避けようとするかわりに、何でも役員の言うことには反対もない。そんなクラスが数年続いた。

新入りの学生の役員は、テキパキの総会進行やある程度の大声で役職依頼等をしたのではないか。それに不満や不信を持ったようであり、多少混乱しているようである。

論理的と感情的な問題であり、おしゃべりを多くし、互いの気持ちを理解すれば解決すると思う。1日も早く融和して楽しい学級に戻って生きたいと念じている。

以下、資料を中心にAクラスのこの1年の計画等にアップしてみたい。

中国共産党の最高指導部って・・・某新聞記事

2012-04-25 08:53:45 | 情報
中国の国家主席等を選出する党大会は何年ごとに行われるのかな・・・。
そんなあいまいな知識しか持たない爺自身を、この新聞記事は強くひきつけた。
記事には、次のことがあった。

1. 政治局常務委員会のこと。常務委員が9人、委員が16人で合計25人で構成している。常務委員は中心になっている。中国では共産党が政治より強い。

2. その下に中央委員が204人おり、同候補が167人いる。
共産党員は8026万人いる。政治局員は8000万人の中の25人だから、大きなエリートである。

3.  共産党の大事な決定は5年の1度の党大会で行われる。
  決定事項を行うのが中央委員会で、全員が集まるのは年に数回である。
  その間に色んなこと決めちゃうのが政治局である。
  政治局員になると、新聞で「党中央の指導者」として紹介される。

4. 政治局員や常務委員は、中央委員会の全大会で選ばれる。どんな方法で選びかはわからない。

皆さんは、よくご存知とおもいますが・・・、関心のある方は、インターネット利用されるともっと詳しく研究できるとおもいます。


セコハンで 美を忘れられ 八重さくら(セコハンで悲しい顔の八重さくら)

2012-04-24 10:47:18 | 日記
こんなの俳句といえるのか。毎年同じ気持になる

犬をつれて朝の散歩。
団地の ストレート道路 ピンクで豪華に咲いた八重さくら。
「綺麗だな!、豪華だな!」の感嘆の声もない。そ知らぬ顔で通り過ぎていく。

あまりにも派手に騒がれた染井吉野さくら桜のセコハンだからかな。
八重さくら、花びらが八重に重なって、花びらの綺麗さ・豪華さを包みこんでいるみたい。決して、染井吉野さくらに負けていない。
1年の風雪に耐え、同じように開花のために頑張ったのに・・・・。

そんな気持ちで八重さくらに応援しながら犬の散歩で楽しんでいる。

吉屋信子の「同姓愛」をめぐっての考察・・・Aクラス受講内容 その4

2012-04-23 10:54:19 | 日記
1973年(昭和48年)、結腸癌のため死去した。77歳没。晩年は鎌倉に邸宅を建てて過ごし、信子の死後は、事実上のパートナーで戸籍上は養女となっていた秘書の千代により鎌倉市に寄付された。現在では吉屋信子記念館となっている

吉屋信子記念館は、作家 吉屋信子さんの遺志により土地・建物などが鎌倉市に寄贈されたもので、ありし日のままに保存されています。
市民の学習施設として昭和49年に開館して以来、多くの人々に親しまれ、利用されています。

吉屋信子の「同姓愛」をめぐっての考察・・・Aクラス受講内容 その3

2012-04-22 13:26:56 | 柏シルバー大学院
良人の貞操
1936年(昭和11年)10月から翌1937年(昭和12年)4月にかけて、「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」に188回にわたって連載された。主人公が、その女学校時代の同級生と夫との関係に苦しむ話である。同年、新潮社から単行本が発売された。

2006年(平成18年)、それまで所在のわからなかった本作の直筆生原稿が発見されたことが話題になった。400字詰め原稿用紙820枚で、連載188回分の完全なものである。神奈川県横浜市にある同県立神奈川近代文学館の調査により、徳富蘇峰の関係者が保管していたことが分かった。この原稿は、同文学館で同年に開かれた「生誕110年 吉屋信子展」で展示された。

吉屋信子の「同姓愛」をめぐっての考察・・・Aクラス受講内容 その2

2012-04-21 12:53:34 | 柏シルバー大学院
2. 花物語 

作品に登場する少女たちは、様々な事情で実の母とは距離を置かざるを得ない状況にあるが、女学校や寄宿舎などの女性しかいない環境下で、実の母以外の女性と「母娘にも似た深い関わり」[3]を持つことになる。相手となる少女や女性は、少女と置かれている環境の違いはあっても孤独を感じている設定であることが多く、友愛関係を築くことによって互いに孤独から開放される。
連載後期になると、そのような友愛関係の延長として同性愛に発展する話も増えた。連載初期の頃は相手に控えめに思いを寄せる姿を描いていたが、後期の作品では異性愛と同格にとらえて描かれるようになり、作品によっては異性愛よりも上位に存在する愛の形として描かれるようになった。

特にこうした女学生同士の強い絆のことをエスと言い、女学生の文化として少女たちから支持され、現実の学校でも少女同士の情熱的な関係が結ばれることが多かった。

吉屋信子の「同姓愛」をめぐっての考察・・・Aクラス受講内容 その1

2012-04-20 12:52:35 | 柏シルバー大学院
現在のAクラスの最後の授業として、元学習院名誉教授の Aさんから、見出しのテーマで拝聴した。誕生は1896年、死没1973年の小説家で、高齢者以外の方は知らない方が多いと思います。
また、本人を中心の同性愛(S)が中心だったので、おもしろ,可笑しゅうの話が多かったので、あまり興味を持てなかった。
個性が強く、常識を外れた行動でも平気なのである。強い人だなと感じた。

1. 経歴 
 新潟県生まれ、栃木県で少女時代を過ごす。父は下都賀郡長をしていたが、頑固な男尊女卑的考え方をもって、信子は内心反発を感じていた。

栃木県の高等女学校に入学し、新渡戸稲造の「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間にならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。」演説に感銘を受けた
日光の小学校の代用教員になったが、文学への道捨てがたく、上京して作家を志し、1916年少女画報誌に連載した「花物語」で人気作家となる。

1919年「屋根裏の二処女」では、自らの同性愛体験を明らかにしている。

1937年の「良人の貞操」は、男性の貞操をめぐって議論を巻き起こす。

1952年 「安宅家の人々」「鬼火」で第4回日本女流文学者賞を受賞し、文学界に広く認められた。