この写真は、入学後の45分隊(クラスメート)です。
この写真は高等商船学校の軍事訓練で、駿河の東照宮の階段を上り下りをして休憩した時に撮影した思い出深いものです。
1. 入学式は1945年(昭和20年)4月15日だった。出発に先立って、自宅で壮行会を開いてくれた。軍に準ずる学校ですので、入校後の生死はわからない。一般兵士の入隊風景に準じたのであろう。中学の同級生も多く参加してくれた。17歳であった。
2. 始めてのる東海道線、清水駅まで6時間かかった。学徒動員中の知り合いの方からの紹介で清水市の或る宅に1泊した。防空壕の地下部屋であった。
3. 8月15日正午が入校受付であった。第45分隊、指導専任の2年生が紹介された。1800人の入校式が広い校庭で実施され、担当分隊長(部屋長)は海軍の永山大尉であった。
4. 厳しい寮生活が始まった。食事は大食堂で2600人一斉にした。食料が悪く、日増しに痩せていった。
5. 夜は、寮の2回にある自習室で9時まで勉強し就寝した。
6. 授業は船舶関係のほか、軍事訓練、短艇(カッター)訓練等で厳しかった。急病になり2・3人死亡したとのことでした。
7.教科書には、最後に「この教科書により○○を習得すべし 校長 海軍中将 若林・・」とあった。
8.夢中で過ごした生活で、行動を機敏にしないと上級生に殴られた。それが怖くて、気の抜けない緊張の生活であった。
*ただ、驚いたのは町を歩いていて、陸軍の下士官兵に敬礼されたことだ。高等商船学校の学生の身分は准尉とのことでした。
社会から離れ、閉ざされた厳しい訓練に明けた日が8月15日まで続いた。今も脳裏から離れない。