kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

芥川龍之介と自殺

2010-04-30 05:39:08 | 柏シルバー大学院

龍之介の抒情詩

相 聞:また立ちかえる水無月の 歎きを誰にかたるべき 。沙羅のみづ枝に花さけば、かなしき人の目ぞ見ゆる。

未定詩稿:はるけき人を思ひつつ わが急がす驢馬の上 穂麦がくれた朝焼けし ひがしの空ぞ忘られね(松村みね子を思い)

松村みね子の存在は決して小さいものでなかった。抒情詩を書くことによって、忘れようと努力した。

 遺書5 僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。その中で大事件は、29歳の時東夫人と罪を犯したことである。相手を選ばなかったために、秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚だしいものであった。僕の生存に不利を生じたことは少なからず後悔している。それの自殺の遠因になっているのではないか?。その他、或旧友に送る手記など。

我が子等へ:1.人生は死に至る戦ひなることをわするべからず。2.従って汝等の力を養うことを旨とせよ。4、人生の戦いに敗れし時は、汝等の父のごとく自殺せよ。7.汝等の父のごとく神経質なるを恐れざるべし。8.汝等の父は汝等を愛す。

我が子を愛していた気持ちがくみとれます。こんな遺書を我が子の残した父親は少ないであろう。どんな心情だったのでしょう?。

この授業で大文豪芥川龍之介の生き方の裏面の一部を理解できたような気持ちになった。感情の起伏の大きさを知りました。(653)

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芥川龍之介と女性関係

2010-04-29 06:35:30 | 柏シルバー大学院

結婚相手・・・塚本文(18歳)

女性関係

龍之介、大正7年婚約者の塚本 文と、田端の自笑軒で結婚式を挙げた。鎌倉に新居を構えた。東大を卒業後、海軍機関学校教授をしていた。結婚の翌年、生活安定のため、そこを辞職して、大阪毎日新聞社と社友契約を結んだ。第1作「地獄変」を連載した。

東しげ子(仮名)と文士の会で知り合った。彼は、しげ子を愁人と呼び、当初その魅力にとらわれたが、後には彼女の動物的本能を憎み、狂人の娘とまで言うようになった。しげ子は龍之介の周囲にいた女性の一人で、以後、長い間を悩まし、復讐の神としてその神経をおびやかすこととなる。

彼女と知りあったことにより、芥川にとって、生涯にわたり神経をなやまされことになる。自殺の遠因と考えられなくもないとのこと。

松村みね子:遺稿「或阿呆の一生」に「オカの上にも格闘出来る女」として出てくるのが、松村みね子である。龍之介の生涯に何人かの女性が見え隠れするが、松村みね子の存在は決して小さいものではなく、むしろ彼女を慕っていた。彼は「越びと」、「「相聞」などの抒情詩を書くことで気持ちを落ち着けていた。松村みね子は、大正・昭和期の歌人、翻訳家。

吉田ます子(仮名) 芥川は、ます子と帝国ホテルで死ぬことを約束していたが、彼女の心変わりで果たされなかった。或大新聞に、「芥川と死ぬ約束はありえない」と記事が載っている。

文豪でも、文学の裏に、女遍歴があったことが知らされた。なお、2名の女性は仮名を使った。(652)

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たてば芍薬、座ればボタン

2010-04-28 10:03:35 | 写真

西光院のボタン園の花と蕾

これは、時々、アップしている柏市の西光院という寺境内の牡丹である。100本位栽培されている。開花しているものは1割程度、今にも咲きそうな大きなつぼみが多くみられる。

でも、咲いている牡丹の花はデラックスで見事である。近くでこんなボタン園がしかも無料で見られることは恵まれており感謝したい。

割合、人知れずに咲いているが、盛りには口ゴミとうで多くの観賞客で賑わうであろう。

もうすぐ満開であろう。429日には牡丹まつりのイベントが予定されている。

ボタンの原産地は中国。元は薬用に栽培されていた。唐代以降牡丹の花が、「花の王」として、他の花より愛好されてきた。清代以降、中国の国花でもあった。1929年、中華民国政府は、「国花」を梅と定めた。中華民国政府が台湾に去った後、中華人民共和国は、現在、「国花」を選択の作業中とのこと。牡丹も1候補である。(651)


自分の忘れを照らす鏡・・・講座のリサークル

2010-04-27 08:33:59 | パソコン市民活動

公民館で行う初心者講座の「ワードの基礎」のリハーサルに参加した。この講座は過去数えきれない位行われ、講師として・サポートとして参加してきた。ワードは普段も使用している。しかし、講座のテキストを開いてみると普段使用していない機能が相当ある。それは忘却しているといえる。

例えば、

1.    選択する語句をダブルクリックすると、その語句が選択される。

2.    文単位で、句読点なで選択するには、Ctrlを押しながら、文をクリックする。

3.    F9で全角英数字(日常使用していない)。

4.    F10で半角英数字(日常使用していない)

である。

使用していない機能は忘れてしまう。サークルや講座に参加することによって、忘れを取り戻し、多少新鮮な気分になれる。

昔読んだ本の内容は忘れてしまう。内容が思い出せない、本が残っていれば読み返すことができる。内容を思い出し、多少気持ちが新鮮になれる。と全く同じ理屈である。

今回も、リハーサルであるが、喜んで参加する。

おまけに、多くの会員に会えるし、おしゃべりもできるし、気持ちも浮き浮きする。(83)

楽しい気分である。機会を見つけて出来るだけ外出し、人に接していきたいと思う(650gou )


芥川龍之介について・・・Aクラス授業(2/4)

2010-04-26 05:39:25 | 柏シルバー大学院

芥川龍之介の家庭環境

母親は、本人が幼くして発狂した。そのため、母親の実家の芥川家で育てられた。龍之介11歳の時、母親が死亡した。後に、前述のように芥川家の養子になった。

預けられた母の兄貴の芥川道章は、東京府に勤務し土木課長をしていた。

龍之介は、辰年辰月辰日辰時刻の出生のため、龍之介と命名された。

病気等で悩む

大正15年(1927)、胃潰瘍、神経衰弱、痔疾等で入院を転々とする。昭和2年、谷崎潤一郎との間で、「改造」誌上で(文芸的的な、余りに文芸的な)な大のもとに文学論争を起こした。

36歳で自殺

724日、田端の自宅で、ブェロナール及びジャールの致死量を飲んで自殺した。

谷中斎場で葬儀が行われ、泉鏡花、菊池寛、里見淳、小島征二郎の弔辞があった。

また、或女性と心中するとの約束があったが、自殺後に、その女性は「芥川と死ぬ約束などありえない」と新聞紙上に載せている。(649gou)


芥川龍之介について・・・Aクラス授業(1/4)

2010-04-25 08:34:17 | 柏シルバー大学院

22年度の最初の授業が「日本の文豪、芥川龍之介について」であった。講師は学習院大学名誉教授で、今までも多くの文豪の講義を聴いている

才子の早い開花と行き詰まり

明治25.3.1~昭和2.7.2の大正期の小説家。東京人船町生れ。東京帝国大学英文科卒業。生後間もなく母が発狂したため、母方の実家阿倉川家で養われ、のち養子となる。東大在学中に菊池寛らと第3次「新思潮」を創刊。世紀末文学に親しんだ。大正4年(1915)「羅生門」を発表。第4次「新思潮」創刊号にのった「鼻」が夏目漱石から激賞され、新進作家として出発。説話を材料とした王朝もの「芋の粥」(藪の中)、キリシタンもの「奉教人の死」「きりしととほろ上人伝」、江戸時代もの「劇作三味」、現代もの「蜜柑」「秋」などの名作を発表。次第に私小説へと転じたが、体力の衰絵に加え、将来への「ぼんやりした不安」を感じ、35歳で自殺。「河童」のほか、遺稿として「歯車」「或b阿呆の一生」などが残されたた。

彼は、秀才であり頭も切れたが、気が弱かった。苦難を乗り切る経験等に乏しかったとの評価もある。文豪だけに自殺は大きな損失であったろう。(648gou ) 。詳しくは次回へ続きます。

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霞ヶ浦のハスの田んぼ

2010-04-24 08:30:24 | 日記

筑波山の帰り、霞ヶ浦の周辺をドライブした。夕日に輝く、レンコン栽培の田んぼが美しい。そして、何処までも続いていた。車を止めで。農家の方に訪ねた。すべてレンコンの栽培畑を教えてくれた。特に花の咲く時期に来られると見事とのこと、是非来て観てくださいと・・・催促された。のどかな風景であった。 霞ヶ浦湖名産のワカサギをお土産に購入した。でも、今のものは冷凍で保存していたものを解凍したように見えた。

インターネットによると

【土浦のレンコン】
レンコンは昔から薬膳料理の代表的な材料として使われてきました。
土浦は日本一のレンコン産地です。
JA土浦のレンコンは、漂白剤を一切使用しないで出荷する無漂白レンコンです。
販売されているレンコンは白いですが、表面が赤褐色になっているものもあります。それはレンコン本来の姿である赤シブです。
レンコンの葉から茎を通って酸素が送り込まれそれが泥の中のレンコンの表皮から放出されるときに酸化鉄の赤さび色がつくのです。

機会があれば、ハスの花を見に来たいと思いました。(647gou)


ガマの油売り・・・筑波山の象徴

2010-04-23 07:42:48 | 写真

がまの油売り・・・筑波山名物ガマの油売り口上

サアーサアーお立会ご用とお急ぎのない方はゆっくりと聞いておいで。

遠出山越え笠のうち、聞かざるときは・・・・。

・・・・・・・

サーテお立ち会い この様のガマの油の効能が分かったら遠慮は無用だ、どしどし買って行きやれ。

男女の口上者が2人で交互に実演していた。観客は割に少なく10人前後であった。数回登山しているが、この風景は初めてであった。

ガマの油とは、江戸時代に傷薬として売られていたとされる軟膏剤。このガマとは、元はガマガエル(別名ヒキガエル)である。その口上が正しければ、「鏡の前におくとタラリタラリと油をながす。」ことから耳後腺からの分秘物。

ともかく、珍しい見世物を見学できて幸せだった。(646gou)(86)

 

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天候に恵まれ、ふらふらと筑波山頂へ

2010-04-22 05:42:48 | 写真

月18日、4日ぶりに暖かい春の日差し一杯にうけ、娘夫婦の車で筑波山に向かった。道路がすいており、柏から1時間位で現地についた。1週間ぐらい遅れの山門の桜が満開、大変眺めが良かったので、パチパチとデジカメを向け撮影した。特に山門を飾る桜の花、山門から階段を上って青い屋根の筑波神社が見える。その風景は見事であった。デジカメ撮影の腕がわるく、見事さを皆さんに見せられなかったのが残念です。

ケーブルで筑波山頂上駅についた。前日の雪で歩道以外はきれいな雪であった。昼食をとった店が、展望が1周する回転座席で、こんな立派な施設が筑波山の頂上にできたことにビックリした。

食後、女体山に歩いて向かった。頂上には向かった左側の男体山と右の女体山がある。

雪解け水が少し流れている道である。その道に石が不規則に置かれている。それをわたっての登山である。途中までで引き返した。

帰りは、霞が裏を半周して帰宅した。ハス(蓮根)を栽培する田んぼの多さにびっくりした。日本での生産の半分以上とのことです(645号)(70)

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21年度は、こんな学習内容だった・・・Aクラス

2010-04-21 07:52:32 | 柏シルバー大学院

老骨を鞭打ちながら、千葉県東葛地区の船橋・市川・野田市関宿・松戸方面からバスや電車で柏市の教場まで通って学んだ学習内容を挙げてみたい。どんな意義があるだろうかは各人の評価である。内容は

EUはなぜ生まれたか、今はどんな状態か(3回講座)、グリーフ・ケアの技法、循環器疾患の対応、里見八犬伝の歴的背景、旅と酒の歌人・若山牧水、世界経済と私たちの暮らし、石川啄木、21世紀高齢者論、文楽の歴史、唯識の生き方、我が国の名園の鑑賞、井上ひひさしと市川、志賀直哉とその実像、星・銀河・宇宙の始まりと終わりへ、江戸の江戸しぐさ。等であった。年寄りだけに大分堅苦しい内容のように思えます。聞く聞かないは各学生の心の中の自由であるが、頭を刺激する、友達と楽しみながらという点でよい機会であろう。

出席率は8割前後であり、聞きながら自然に目がとじてしまう者も見られた。私語も殆ど見られなかった。昔の人間だけに受講する姿勢は身についていた。しかし、どれだけの内容が身につたかは疑問である。(644gou)(118)