kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

パソコントラブル 対処法事例集 勉強会 その3

2014-01-31 09:52:22 | 日記
C 爺のパソコンでのトラブル経験

1. ネット閲覧中、四角の画面が表示され、その画面が振動し、インターネットが大変不安定になっている。不安をあおって、修理を契約させようとする

 1回、スキャンをした。暫く、パソコンの故障個所を調べているような経過時間が表示されました。故障個所が多く表示され、修理を誘っているのです

この段階で、表示されているファイル名をインターネットで調べた。多くの問題点が、多くの人から表示されていたので、修理契約を取りやめた

 「おれ・おれ サギ」ではないが、こんな時、不安にかられ、OKのボタンを押しかねない。20数年のパソコン経験で、初めての事例であった

パソコンに、該当ファイルがあるかどうか、調べたが解らず、しかも表示画面には、×や終了ボタンもなかった。従って、スタートボタンから、パソコンを強制シャットダウンをした

 その後、1週間程度、同じ表示がなされて、強制して勧誘していた。
今は、全く表示されない。今日も安泰である
それ以降、知らない名前のファイルは開かないで削除することにした。

パソコントラブル 対処法事例集 勉強会 その2

2014-01-30 13:09:02 | 日記
6. ネット閲覧中から、ちらついているメッセージ
7. ウィルスバスターがマカフィーに変わった。
8. パソコン廃棄時HDD情報完全消去
9. outlookの添付ファィル化け
10. 受信サーバーの空き容量不足
11. アップグレード後の不具合、途中中止
12. PCの引き込み線の宅外器械の経年劣化で不安定


B 各門題の具体的回答については、ここでは省略します。

1. 今は、インターネットの「検索枠ボックス」、トラブルを文章で記入して検索すれば、殆どの解決できるとのことになった。例えば、「windows 7 起動しない 原因は」で検索すると、沢山の項目が表示されます。適切なものを選択し試してみる。

2. パソコンのメーカーのサポートに相談する。爺のパソコンのメーカーでは、購入経過年数に関係なくサポートしてくれます
爺は、パソコン歴20数年になりますが、問題解決もサポートのみで今日まできました。
殆どの問題は丁寧に解決に導いてくれます

3. 仲間のメーリングリストを利用します。問題のトラベルを具体的に誰でも理解できるように文章化してメールで流します。何人か必ず回答してくれます。頼もしい仲間ですね。

* 爺も、XPまでは、数いきれないほどのリカバリを経験している。その都度、勉強し、サポートに電話しで指導してもらったり、メーリングリストの仲間の手助けを受けたりしてきた。大変な勉強になりました。 

パソコントラブル 対処法事例集 勉強会 その1

2014-01-29 11:24:55 | 日記
この会主催の会員対象のパソコントラブル対策勉強会を開いた。

開催する事前調査として、担当者が、「パソコントラブルと対処」について実行した。
集まった事例は、10数点、提出者は8人でした。

メンバーが約50人、10年以上も続いているこの会で、こんな程度しか、トラブルはなかったのか。そんなはずはなかろう。

担当者が、相当努力された立派な資料集を作ってくれた割に、参加者は15人前後であった。

今日の社会は、携帯電話の安易さ・便利さ・満足さ等が、みんなの興味関心が、引き付けていたパソコンに、とって変わったように見える

公民館講座でも応募者は、今まで考えられない定員の半分割れです。

かっての勉強会には、会員の半数以上が参加され、25人定員のパソコンに触れない者も続出したほどであった。

そんな中で、会員の中にも、パソコン熱が冷めてきているのかな・・・とも、よく考えれば、殆どの会員が経験済みで知っているのかな。
いずれにしても、時代の趨勢か・・・と

時代は、進歩し、情報機器も新しく、みんなもそれに乗り遅れないように努力しているのであろう。

A、 取り上げられた事例

1. マウスポインターが勝手に移動する
2. バッテリの寿命と延命法
3. 強制終了繰り返したらPC立ち上がらず
4. Wordはがき印刷でウィザート起動しない
5. インク吸収体が満杯で印刷出来ない。

オランダの歴史と文化・・・オランダ出島の国  その7

2014-01-28 13:01:31 | 日記
8. オランダの薬物政策・・・少量の大麻使用は合法化されている

オランダの薬物政策(-やくぶつせいさく)とは、厳しい政策で薬物を完全に追放することは不可能だという前提に立った、オランダ政府の薬物(麻薬)に対する国内政策の2つの原則を指す。
1.薬物使用は公衆衛生の問題であり、犯罪ではない。
2.薬物による害を減らす。このため、ハードドラッグ(コカインなど)とソフトドラッグ(マリファナなど)を政策上明確に区別する。

8-1 ソフトドラッグ とハードドラッグ

ソフトドラッグは、麻薬のうち、マリファナ・メスカリンなどの習慣性のないものをいう。
ハードドラッグは、ヘロイン・コカインなどの習慣性のある薬物をいう。
8-2 市当局のバスは、使用づみの注射器を回収し、新しい注射器と痲薬を配布して回る
 バスの運行は1980年から、注射器の配布は1985年から。
8-3 オランダがソフトトリングを合法化している理由。
 大麻は、タバコより直接的な害も中毒性も低い。タバコを違法にしている国はない。

 大麻の個人使用を事実上取り締まりから外れている国は、オランダ、ベルギー、デンマーク、ドイツ、スペイン、フランス、イギリス、イタリヤ、ポルヨガル、スイスなど

オランダは、健康上の害が少ないソフトドラッグの少量個人使用は合法化している

8-4 合法とはいえ、許されるのは少量で、市中では無料でない。麻薬代稼ぎに自転車泥棒がはやっている

オランダの歴史と文化・・・オランダ出島の国  その6

2014-01-27 13:31:02 | 日記
7. 飾り窓・・・オランダの売春

売春を道徳的に肯定している人はいない。多くの国では法律で認めていない、しかし。、非合法にしても、売春が存在していることは間違いない
1995年{SPA!}(6月14日号)に以下のような記事がありました。
オランダ・アムステルダムに「売春奉仕短期大学」なる学校の開校。
立派な売春婦を育て、弁護士などと同様にまっとうなビジネスとして位置づけることが同校の目的、科目は簿記、税金対策、株式入門、売春の歴史、誘惑術など実践授業まで必要科目。卒業後は、年間10万ドルを合法的に稼げるようになると謳え、ヨーロッパ全体から女性が集まっている。

売春婦の労働組合もある

 2000年1月1日から売春関係の営業の管理を地方当局が行うようになった
スエーデン、デンマークなどは、全く反対方向を取り、取り締まりを強化。
オランダの政策は、ドラック同様、取り締まってもなくならない以上、管理した方がよい。合法化することで正式に届け出をさせ、売春婦の権利を保障し、認めない部分を厳格にきめた

認めない部分:本人が望まないで強制される。こどもの売春と人身売買。
 届け出により承認された場合、地方当局が細かく管理することになった。
○ 第2の目的は健康管理、売春婦を通して病気を伝染する。>健康診断を義務づけている

オランダでは、少なくとも届け出によって承認されている限り、社会における職業の一つとなる。税務者に申告し、社会保険も受けられる

オランダの歴史と文化・・・オランダ出島の国  その5

2014-01-26 11:28:28 | 日記
6. 世界で有名な画家 レンブラント (1,606年~1669年)

 17世紀を代表する画家。1606年ライデンで生まれ

レンブラントは根っからのオランダ人であった。レンブラントの視線は、古代ではなく、自分自身へと注がれた。1631年アムステルダムに移る。
50~60枚に及ぶ自画像は、レンブラントの人生のあらゆる段階の感情を如実に示すものである。

レンブラントは粉屋の息子であった。中流階級の出身である。
そして中流階級が台頭してきた時代でもあった。
中流階級は肖像画や勤労生活の情景など、リアリズム的が絵画を好んだ。

レンブラントの絵の特徴は、ストーリー・テラー的な絵画である。
肖像画でさえ、何らかの「物語」的要素が入っている


多くの肖像画の注文でお金を手にすることになるが、レンブラントの洞察は人間の内面に向けられ、かつその執念が強かったので、結局は、成功者という地位から引きずり降ろされていく


オランダの歴史と文化・・・オランダ出島の国  その4

2014-01-25 15:33:23 | 日記
5-2 アムステルダム

  アムステルダム中央駅は、東京駅と姉妹駅である
爺も若かりしころ訪問したことがあるので懐かしい。大変素晴らしい駅であることを記憶している。また、旅行先で散歩することが好きなので、この駅や小川の両岸を歩いたことを思い出した。
 ここには、ダム広場、王宮、マグナ・プラザ(ショッピングモール, 専門店, 喫茶店, 店舗)。アンネフランクの家、国立美術館、ゴッポ美術館等がある

5-3 ハーグ
  マウリッツ・ハイス美術館、フェルメール、ブリューゲル、ルーブンスの絵画がある。
  平和宮(国際司法裁判所)、国会議事堂、外務省、スヘフェニンゲン(北海に面した町)

* その他、ユトテヒト、デルフト、ライデンとの観光地がある

オランダの歴史と文化・・・オランダ出島の国  その3

2014-01-24 10:05:03 | 日記
4. 日本とオランダの交流の歴史

4-1 1600年4月にオランダ船リーフデ号が九州の豊後海岸に着いたのが交流の始まり
4-2 徳川家康がかれらを厚遇、主席航海士ウィリアム・アダムスは三浦按針として顧問になる。乗組員のヤン・ヨ―ステンは重要される。
4-3 徳川家光の時代に鎖国政策をとったが、オランダ商館を長崎の出島に移した
  西洋の技術や情報を取り入れた。
  今でも長崎の観光名所になっている。また、日本の歌にもなっている。
*  蘭学の隆盛:「蘭学」、「蘭学者」、「蘭学塾」、「蘭方医学」、「蘭癖」、および「蘭学事始」 が行われた。

5. 世界での外国人旅行者受入数
 
5-1 平成22年度の外国人旅行者受入数
21(21番目の国) オランダ10,88万人
25 モロッコ9,288
26 シンガポール9,161
27 デンマーク9,097
28 韓国8,798
29 スイス8,628
30 日本8,611
 日本より、オランダの方が多い。日本も、昨年度1000万人を突破したとのことである。

オランダの歴史と文化・・・オランダ出島の国  その2

2014-01-23 15:53:16 | 日記
2 オランダの歴史.・・・ 講師はここから始めた

2-1 1648年にスペーンから独立。17世紀に黄金期を迎え、アムステルダムを中心に商業・芸術・科学・文学が発展した

2-2 フランス革命が勃発し、1810年にフランス領となるが、ナポレオンが1815年に失脚すると正式にネーデルランド王国と認められて独立

2-3 第2次大戦中はドイツに占領されたが、1945年5月にドイツから解放される

2-4 1957年にEEC(ヨーロッパ経済共同体)に加盟

3. オランダの国情

3-1 国名 ネーデルランド王国 公用語:オランダ語。
3-2 政体:立憲君主国(君主の権力が憲法による規制を受け ている君主制)
3-3 人口:1586万人
3-4 面積:約4万1864平方km(九州よりやや小さい国土面積
3-5 国土の特徴:国土の40%は海面下の土地。風車を利用している。


オランダの歴史と文化・・・オランダ出島の国  その1

2014-01-22 10:31:34 | 日記
オランダの文化と歴史について、専門家らの講義を受けた。関心のある国であるし、1度観光した国でもあり、懐かしく講義を聞いた。インターネットの手助けをかりながら、まとめてみた。皆さん、ご存じと思いますが・・・半ボケ爺さんのまとめた要点をアップします。

1. オランダの歴史の概略

1-1.  前史:古代のネーデルラント(低地地方)はライン川下流以南がローマ帝国領、以北はフランク人やフリース人などが住むゲルマン系諸族の土地であった。森林が多い低地帯で、バタウィ族やフリース族などが共存していた。

1-2. ローマ帝国に編入された。その後ローマ帝国が分裂し、この地を治めるのは西ローマ帝国となるが、帝国の勢力が衰えるとともにこの地域も衰退していったと思われる。

1-3.  民族大移動時代 4世紀以降の民族移動時代には、ネーデルラントは多くのゲルマン人の通過経路となった。

1-4.  フランク王国:843-870年 フランク王国に、ネーデルラントも取り込まれていった。

1-5.  神聖ローマ帝国:10世紀から11世紀にかけては神聖ローマ帝国がネーデルラントを支配した.


1-6.  15世紀になるとブルゴーニュ公フィリップ善良公がこれらの伯領を統一し、ネーデルラント一帯はブルゴーニュ公国の一部(ブルゴーニュ領ネーデルラント)となる。

1-7.  1648年、三十年戦争を終結させたヴェストファーレン条約の一部であるミュンスター条約で、スペインはネーデルラント連邦共和国の独立を正式に承認し、80年にわたる戦争は終結した 。

日本の歴史と比較できませんね。日本から考えると不幸な歴史を持っていますね