小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

西南戦争 この日本史上最後の内戦  3

2007-04-15 22:44:18 | 小説
 西南戦争の前年の明治9年には、熊本では神風連の乱があり、山口では萩の乱、福岡では秋月の乱があった。それぞれ西南戦争の序幕のような事件である。
 なかでも神風連の乱を起こした敬神党の太田黒伴雄らは、島津久光に期待をかけていたらしい。島津にもう一度維新をやり直してもらうために決起するというようなところがあった。
 その〈太田黒らのモットーは「天下の大事は人力を超える。人力の及ぶところではない。人事は末也、神事は本である。したがって随神の大道に従って事を行う」というものだった〉(小島慶三『戊辰戦争から西南戦争へ』中公新書)
 このモットーに触れて、これとそっくりな文言のあることを私は思い出した。「神事」や「隋神」を「天」に変えて読めば、ほとんど同じ趣旨になるのだ。それは『西郷南洲遺訓』(岩波文庫)のなかにあった。寄道のようになるけれど、そのことについて書いておきたい。

 道は天地自然の物にして、人は之を行ふものものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛す心を以って人を愛する也。
 人を相手にせず、天を相手にせよ。

 そうなのだ、西郷隆盛の座右の銘とされる「敬天愛人」である。唐突な印象をもたれるのは承知で書く。西郷の「敬天愛人」は、ふつう、天を敬い、人を愛すると対句のように解釈されるが、むしろ真意は〈「人を愛する天」を敬う〉というワンフレーズだと私は思う。でなければ引用箇所の次に続く「己れを愛するは善からぬことの第一也」という言葉が生きてこないのだ。
 西郷隆盛は人に、とりわけ下級士族以外の民衆に、決してやさしかったわけではない。


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