小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

芭蕉『奥の細道』出発日の謎

2014-10-02 18:04:13 | 小説
暦の小の月のことを、子供の頃「にしむくさむらい」とおぼえた。2、4、6、9月と11月(士)で、「西向くさむらい」である。つまり私たちが慣れ親しんでいる暦では、小の月は固定化されているのだが、陰暦ではそうではなかった。年ごとに大小の月が違っていて、小の月も太陽暦のように30日以下ではなく29日以下であった。
 さて、元禄2年3月は小の月であった。3月は29日で終わっていた。
 ところが次のような記事がある。

 卅日(みそか) 日光山の麓に泊る。(以下文章が続く)


 記述者は松尾芭蕉である。
「おくのほそ道」の元禄2年3月30日というありえない日付の項である。
 実は旅の同行者の曽良の日記から、日光に泊ったのは、4月1日だったことがわかっている。それはそうだろう、3月30日という日付はないのだから。
 なにが言いたいかといえば、「おくのほそ道」における芭蕉の日付は、鵜呑みにしてはいけないということなのである。
 芭蕉は陸奥の国への旅立ちの日を、3月27日深川を発つと明記している。ところが曽良は3月20日と書いている。
 曽良の日記は、自分用の手控えで、人に見せるものではないし、嘘をつく必要もない。かたや芭蕉の「おくのほそ道」は、人に見せるための「作品」である。作為があって、日付を変えているのだ。
 芭蕉研究の第一人者の今栄蔵が『芭蕉年譜大成』で、曽良の日記のほうが誤記だとしているのを見て驚いたが、芭蕉にいれあげると目がくもるのであろう。
 芭蕉と曽良とで出発日が違うという謎は、ほんとうは「おくのほそ道」の謎を解き明かす最初の関門である。曽良の誤記だろうぐらいですまされる問題ではないのである。


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1 コメント

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芭蕉は道を間違えた (佐藤)
2015-03-09 18:41:29
こんにちは
「曽良の日記」3月20日の件全く同意見です。
普通書き始めの日付が間違った日付というのは考えられないので「ミス」と片づけるのはカナリ難があるとおもいます。
「芭蕉は道を間違えた」 ホームページ 管理者 佐藤
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