小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

数学教師になった「暗殺犯」  完

2009-04-08 22:37:45 | 小説
 高見弥一の享年が53歳だとすると、吉田東洋暗殺時の彼の年齢は18歳ということになる。すると、その人物像は大幅な改変を迫られることになると思うのは私だけであろうか。
 さらにロンドン留学時、彼だけが30歳代で、他の留学生たちが20歳前後と若かったため、なんとなく浮いたような存在だったというイメージをも変えなければならない。
 吉田東洋暗殺の4年後にロンドンにいるわけだから、22歳で留学ということになるではないか。同じ屋根の下で寝食を共にした森金之丞(有礼)は18歳。18歳と22歳ならば、もっと親密な交流があってよさそうなものである。
 大石団蔵は土佐の野市町の出身だが、その野市町の町史を編纂したこともある郷土史家の吉田萬作は、ロンドン到着時の大石の年齢を35歳だったとしている。(永国氏の著作で知った)
 となると、とても享年は53歳とはいえない。66歳で亡くなったという説が妥当なような気がするのだ。前にも書いたように、吉田萬作は大石のお孫さんと接触し、写真まで入手された郷土史家であり、その研究に私としては信を置きたい。
 ところで明治22年2月11日、文部大臣森有礼は永田町官邸玄関で刺客に刺され、翌12日死去した。その凶報を、高見弥一はどんな思いで聞いたのであろうか。犯人は山口県士族の若い男で、「森有礼暗殺主意書」を懐中にしていた。
 犯人に、かっての自分を重ねるようにして、やるせない苦い思いに襲われたのか。それとも、薩摩の子爵海江田信義のように「さも有るべきことなり」と森の事件に冷たい態度をとったのであろうか。
 いずれにせよ、吉田東洋暗殺とロンドン留学時のふたつながらの過去が、薩摩の高見弥一と名を変えた大石団蔵の胸に去来したはずである。 


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