小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

吉田茂のスパイ  2

2007-09-24 22:36:27 | 小説
 東輝次がいきなり吉田邸に潜入したのではない。
 ヨハンセン工作の始まりは、永田町の吉田邸への女スパイの潜入だった。イワンこと岩淵辰雄の紹介で、ひとりの女中が吉田邸にもぐりこむのだった。彼女を岩淵に仲介させたのは、陸軍中野学校出身のC大尉であったが、岩淵はC大尉がスパイの親玉であることも、まして彼女がスパイであることも知らなかった。おそらく何の疑いも持たず、彼女を吉田邸の女中頭に推薦してしまったのである。
 吉田邸には大谷ひさきという女中頭がいた。吉田茂夫人の雪子亡きあと、吉田邸の家事一切を仕切っていた。大谷ひさきを籠絡すれば、女中として女スパイを吉田邸に送りこむことは、いとも簡単だった。
 ちなみに、大谷ひさきは吉田茂の次女和子の嫁ぎ先の麻生家(九州)にもとは仕えていた女中で、雪子夫人の要請で吉田邸にやってきた女中だった。
 この老女中に気に入られたのが、20才の女スパイの石井マキだった。マキは嫁入り前の行儀見習いということで吉田邸にあがったのだが、食糧の逼迫したこの時代に、田舎からひんぱんに米や味噌その他を吉田邸に運び入れた。全員に感謝されたのは言うまでもない。女中の名前をおぼえない吉田茂が、「マキ、マキ」とよんで可愛がったという。むろん、彼女が運びいれた食糧はC大尉が調達したものだった。
 この女スパイ石井マキは、吉田邸の詳細な見取り図、家族・使用人の状況、来客の様子など逐一防衛課に報告して、ここから東輝次の潜入具体案が練られることになるのである。


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