小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

藤村「近親相姦」事件 4

2007-08-30 17:38:35 | 小説
 藤村は『新生』を新聞連載小説として書きはじめた。大正7年5月から東京朝日新聞に掲載されるのである。
 小説では、こま子は「節子」というヒロイン名で登場する。
 しかし、藤村は節子を犯す場面の描写は避けている。小説は姪が家事手伝いに来た事情や主人公の作家の家庭環境が読者の頭に浸透するほどに進行したところで、ふいに節子から妊娠を告げられる場面を書く。読者の意表を突くたくみな仕掛けになっているのだ。えっ、ふたりはそういう関係だったのかと驚かせるわけだ。
 新聞の連載小説ということに意味がある。破倫を天下に公表したようなものだからだ。
 こま子の父で藤村の次兄広助は激怒して、藤村を義絶した。そして、こま子は島崎家の処置として台湾に追いやられるのだった。台湾には藤村の長兄秀雄がいた。ちなみに、こま子は韓国で生まれており、その名は「高麗子」の意味であるらしい。なにかと外地に縁のある女性である。
 ところで小説『新生』について、芥川龍之介に痛烈な批判がある。
 芥川は『或阿呆の一生』の中で、「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった」と書きつけたのである。芥川はさらに遺稿の『侏儒の言葉』でも「『新生』読後」にただ一行、「果たして『新生』はあったであろうか?」と疑問を呈している。
 これは暗に島崎藤村批判なのである。
 その藤村は『新生』を発表することについては、こま子の諒解をとりつけていたとされる。けれども、藤村はこま子のほんとうの気持ちを察してはいなかった。あるいは理解しようとはしなかった。こま子は自殺さえ考えていたのである。 


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