小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

皇后の夢と龍馬 -5-

2005-09-24 00:03:01 | 小説
 国会図書館内の食堂で昼食もとり、日がな一日、明治の新聞のマイクロフィルムと格闘した日々のことは、いまもよく思い出すことができる。私の収穫は、時事新報の記事の日付が特定できたことより、誰にも気づかれなかった次の記事を発見できたことだ。それは「報知新聞」の明治37年2月18日付けのごく短い記事だ。私はほとんど犯人を見つけた刑事のような気分になったものだ。全文を引用する。
「師団長会議よりの帰途小川陸軍中将一昨日(十五日)葉山御用邸に伺候せしに皇后陛下には謁見を賜はり今回海軍の勝利に付(つき)御物語あらせられ曾(かっ)て日清戦役の際牙山の捷報を聞かせられしも此葉山へ行啓中なりしをとて一種の御感を浮べさせられ、是れ全く天佑にして幸先(さいさ)き好(よ)き吉兆なりと宣(のたま)はせ給ひたれば中将は感激に堪へざりしと聞く」
 この記事の見出しは「皇后陛下の御感」となっている。具体的に夢の話も龍馬の名も出ているわけではない。しかし、この海軍勝利の吉兆のような「御物語」こそ、まさに龍馬が夢枕に立った話としか解釈のしようがないではないか。
 小川陸軍中将とは、小川又次のことである。日清戦争にも従軍し、戦略にたけ「今謙信」と評された軍人である。私のあたった史料では、この明治37年には第4(大阪)師団長だったはずである。小川中将はなぜ感激したのか。少し神経を病んで、葉山で静養していた皇后が、龍馬の夢を見るほどまでに戦争の行方を心配し、また海軍が勝つと信じているお姿に胸を打たれたのであろう。時事新報の記事の末尾に「或人より漏れ承はりぬ」とあった。この「或人」とは小川中将の可能性があるのだ。報知新聞は、さすがに夢の話はにわかに信じがたく、内容を書かなかった。後発の時事新報は小川中将に取材すれば、その内容を知ることは簡単だったはずである。
 さて、その小川中将は父は小倉藩士で福岡出身。むろん土佐人ではない。
 

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