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父の日に

   「涙」  三好達治
  
  とある朝 一つの花の花心から
  昨夜の雨がこぼれるほど

  小さきもの
  小さきものよ

  お前の眼から お前の睫毛の間から
  この朝 お前の小さな悲しみから

  父の手に
  こぼれて落ちる

  今この父の手の上に しばしの間温かい
  ああこれは これは何か

  それは父の手を濡らし
  それは父の心を濡らす

  それは遠い国からの
  それは遠い海からの

  それはこのあはれな父の その父の
  そのまた父の まぼろしの故郷からの

  鳥の歌と花の匂いと 青空と
  はるかにつづいた山川との

  風のたより
  なつかしい季節のたより

  この朝 この父の手に
  新しくとどいた消息


 詩について語ることほど野暮なことはない。何度か読んで心に残ればそれでいい。
 この詩を「父の日」に掲げることに何か意味があるわけではない。ただ、娘と息子にとっては父である私にも父はあり、また私の父にも父がいるわけであり、そうした永遠の時の連環に、たまには思いを馳せてみるのもいいではないか、そんな気持ちが少しばかり働いた。
 父親になって以来、子供がいつも笑っていられるよう、ただそれだけを願いながら生きてきたようにも思うが、そんなことも未来永劫へと続く時の流れの中では、ほんの一刹那のことでしかないのだろう。だが、瞑目してその時の流れに身を任すにはまだ己に未練がある。このまま己の意志を磨滅させてしまっては、あまりにも詰まらない。時の流れに逆らうことなど望むべくもないが、今しばらくは、背中を押す時の力を感じずに生きていきたい。それが果たして可能かどうか・・。

 難しいことだが、なんとか頑張ってみよう。


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