三枝草日記

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黒田官兵衛

2013-09-27 15:19:36 | 教養・文化
 姫路ゆかりの戦国武将・黒田官兵衛を主人公にした来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケが24日より兵庫県内(書写山円教寺、砥峰高原、竹田城跡)で行われた。昨日は亀山御坊本徳寺で織田信長との戦いで一向宗の法主顕如が立て籠もった石山本願寺のシーンが撮影された。この撮影で最初で最後になるであろうエキストラで出演した。姫路市役所北別館2Fで簡単なメイク、衣装を着けてもらって、撮影現場の亀山御坊本徳寺までバスで向かった。他に姫路フイルムコミッションにエキストラとして登録されている方や、大阪芸能事務所より派遣され京都や名古屋など遠方から来られた方もあった。メイクまでするとは思っていなかったので、20歳位若くして下さいとか冗談を言ってやった。顕如役の俳優さんには入念なメイクが施されていて、メイクアップアーティストとして有名な方だそうで、流石と思った。
 撮影は「顕如さま」と言って大衆が寄り添って来るところや本堂内での読経のシーンであった。ドラマではワンシーン位と思うが、リハーサルや角度を変えて撮影があり、OKが出るまで約3時間近くを要した。撮影の舞台裏を体験でき、大勢の裏方さんでドラマが成り立っていることを実感した。
 撮影はすでに始まっており、来年の放映前から官兵衛ブームの到来である。関係するものだけでも講演会が3回あった。退職公務員連盟の植岡真弓氏による「黒田官兵衛と播磨」、兵庫県中学校退職校長会の黒田美恵子氏による「黒田官兵衛物語」、夢前公民館であった鈴木幸治氏の「黒田官兵衛と置塩城」等である。講演によると「黒田家譜」を書いた貝原益軒の説では黒田家のルーツは近江とされている最近の新しい説によると西脇市黒田庄にある荘厳寺「黒田家略系図」が発見され、元祖は赤松円光であると分かった。円光は円心の弟であるから、官兵衛はこの家系からでた人であり赤松末葉と言われている。信憑性については疑問も残るが、最近、福岡で「播磨古事」という古文書が出てきて、荘厳寺の系図の正当性が高まってきた。
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彼岸

2013-09-23 17:53:10 | 四季・天候
 今日は秋分の日、彼岸の中日である。この日は太陽が真東から上り、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる日でもある。彼岸とは昔のインドの言葉でパーラーミター(波羅蜜)の漢語である「到彼岸」を意味します。到彼岸とは、彼岸に到ることです。彼岸とは向こう側の岸、つまり悟りの世界を意味します。反対に悩みと苦しみのこちらの側の世界を此岸と呼ぶ。六つの徳目(布施・持戒・忍辱・精進。禅定・智慧)を実践することによって、大きな川(煩悩の川)の向こうにある悟りの世界へ渡れると仏教は説いています。今日彼岸菩提の種を蒔く日かな 松尾芭蕉
 この頃になると彼岸花が満開になる。田んぼの畦道や土手が真っ赤に燃えている。彼岸花は異名も多く、曼珠沙華は法華経などの仏典に由来する。花と葉が同時に出ないので「葉見ず花見ず」とも言われる。
 秋の味覚の王者、但馬産マツタケを知人より送って頂いた。初物のマツタケ入荷をテレビでやっていたが、まさか口にできるとは思ってもみなかった。夕飯はマツタケご飯、最高!!1970年代までは裏山で沢山採れたが、松枯れで赤松が全滅しマツタケは姿を消した。代わりにシイタケ、ヒラタケ、ナメタケを栽培している。
 昨日、昭和43年度菅野中学校卒業生の同窓会に姫路キャッスルホテルに招待された。中学校時代は元気でやんちゃ坊主の学年であったが、もう還暦を迎え隔世の感がある。彼岸の日曜日で何かと忙しい日であったが、是非とも出席したい学年であったので、遅ればせながら宴会に間にあってよかった。遠路、埼玉県、茨城県からも出席していて、中学校時代の思い出話に花がさいた。この学年は3年毎に同窓会をやっていて、今回も大盛況、いつ終わるともなく宴会が続いた。ホテルの宴会時間は大体2時間位と思うが、そんな事は無頓着、大いに盛り上がった。懐かしい教え子に再会でき教師冥利に尽きる最高の一時であった。記念品も頂き、打ち上げ後は出口に全員が整列して見送ってくれて大いに感激!!楽しい日曜日となった。
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Grand XIV浜名湖

2013-09-16 15:20:00 | 記念日
 家内の古希を祝って息子夫婦、娘夫婦がXIV浜名湖に招待してくれた。台風18号が北上していたので、その影響を気にしながらの旅立ちであった。14日、15日は近畿地方、関東地方も雨になったようだが、東海地方は何とか天気はもち、15日夕方帰ってくると雨脚が強くなっていた。今朝、台風18号は豊橋付近に上陸し、NHKのニュースで暴風雨に曝される浜名湖の様子も映像で流れていた。今日だったら豪い事になっていた。晴れ男なので天気は大丈夫だろうと冗談を言って家を出たが、まずまずの天候に恵まれて良かった。その後、台風18号は日本列島を縦断、各地に大きな爪痕を残し北海道の東で温帯低気圧となった。それにしても今夏は猛暑、ゲリラ豪雨、竜巻と人間が招いた地球温暖化の強烈なしっぺ返しのようだ。
 初めて新名神、東名阪、伊勢湾岸、新東名道路を通って、世界文化遺産に登録された、三保松原まで足を延ばした。駐車場からかすかに富士山を眺望でき来た甲斐があった。土産店の方によると富士山が一番美しいのは冬だそうだ。松原周辺はまだ十分に整備されていないようだったが、世界遺産登録を機に良くなっていくことだろう。かなり遠回りしたが、そこから引き返してXIVに向かった。XIVの中でもGrandと名が付くのはここだけで、それだけ高級感がありゴルフ場も併設し周辺の景色も素晴らしい。息子は会社の急用でドタキャンし宴会の盛り上げ役がいなくて、ちょっぴり寂しかったが、イタリアンで古希を祝った。
 翌日は天候も心配だったので近場で早く帰ることが出来、しかも孫が喜びそうな自衛隊浜松基地の広報館を見学した。戦闘機や装備品の展示を見たり、シュミレータや戦闘機の操縦席の体験をし孫サービスもできて良かった。
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東京オリンピック

2013-09-08 15:10:51 | スポーツ
 2020年夏季オリンピック開催都市を決めるIOC総会がブエノスアイレスで行われ、東京に決まった。昨晩元同僚と「やまとやしき8F梅の花」で久し振りに再会し、話は尽きることなく気がつけば閉店時間の10時になっていた。学校現場で頑張っている様子やいろんな情報も得られ大変有意義な会食であった。気持ちよく帰宅すると2020年オリンピックの最終プレゼンテーションをテレビ中継していた。アスリートのプレゼンは素晴らしく感動した。この時点で東京に決まりそうな予感がした。決定は今朝午前5時頃と言われていたので寝てしまったが、起きると決定の模様をテレビで再三報道していた。さて、7年後は行けるかな?
 前回、東京でオリンピックが開催されたのが1964年(昭和39年)のことである。この時は女子バレーの東洋の魔女に日本中が熱狂した。テレビが普及し始めた頃で、画面がチラチラする白黒テレビに噛り付いていた。学校でもオリンピック競技を視聴させたりした。開会式が10月10日に行われ国民の祝日(体育の日)となったが、近年は第2月曜日となってしまった。オリンピックの開会式に因んで体育大会を10月10日(体育の日)に行う学校も多かったが、何時の頃からか体育大会は9月か1学期にやってしまう学校も出てきた。
 オリンピックの開会式を観戦した懐かしい思い出がある。1980年に開催された第22回モスクワオリンピックであった。この時は当時のソ連(ロシア)のアフガニスタン侵攻で日本や西欧諸国の多くがボイコットした。次回のロサンジェルス大会では、ソ連を始め主な共産圏諸国がボイコットし政治とスポーツの問題が議論されるようになった。当時は東西冷戦の最中であり、ソ連(ロシア)は行き難い国の一つであったが、逆に行ってみたい国でもあった。ボイコット決定前に旅行の準備もほぼ整い開会式のチケットもゲットでき、気持ちはもうモスクワの空にあったので、迷うことなく思い切って行った。入国審査は厳しく、モスクワ市内は警察官、軍隊による厳重な警備が敷かれていた。地下鉄は地下深く掘られていて、一度核戦争になれば多くの市民が避難でき長期間生活できるようになっていた。それでもボイコットした日本から遠路はるばる観戦に訪れたので、大サービスをしてもらって良かった。レストランの食事も豪華でキャビアも存分に食べることが出来た。今思い出しても行っていて良かったとつくづく思う。
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夏の終り

2013-09-02 17:45:31 | 四季・天候





 今日から2学期、始業式早々大雨洪水警報が発令され、今年の異常気象を象徴しているようだ。それにしてもこの夏は暑かった。それもそのはず、西日本の平均気温は統計史上最高の暑さだったようだ。雨の降り方もまだら模様で、水不足と豪雨災害にも悩まされた夏だった。

 暑い上に猛烈に忙しい8月でもあった。夏バテもなく何とか乗り切れたが、ここにきて左足に痛みを感じるようになった。歩行には全く支障なく、何時もの事ながら自然に治すつもりでいたが、一向に痛みが取れる気配が無かった。今日は雨で屋外の仕事も出来ず、念のため整形外科に行った。ある程度混んでいると覚悟をして行ったが、待合室は座席すら空きが無く、3時間も待たされた。その間、問診やレントゲン撮影があり、やっと診察を受けることが出来た。待ち時間に持っていった文庫本を1冊殆ど読んでしまった。その後、会計や薬局でも手間取り、都合4時間もかかり、すっかり疲れてしまった。幸い大したことはなく、この夏無理をした後遺症かも知れない。この後、少しの間リハビリに通院した方がよさそうだ。

 昨晩は2学期が始まると早速体育大会の練習に入り、慌ただしく2学期を迎えるに当たって、孫の激励とこの夏の慰労を兼ねてラ・ラティーニのイタリアンディナーで英気を養った。ここのパスタ、ピッツアは何時も美味しい。7日の土曜日には、かっての同僚と会食の予定もあり再会が楽しみである。これで更にリフレッシュし完全に疲れも吹っ飛ぶことだろう。

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