三枝草日記

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オーケストラ

2009-09-28 16:56:15 | 音楽

 西本智実指揮イギリスの名門オーケストラであるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会が神戸国際会館こくさいホールであり、昨日の午後演奏会に神戸に行く。西本智実は人気上昇中の若手女性指揮者でスタイルも抜群である。しかも関西出身でその人気は相当なものである。3年前にも大阪フェスティバルホールでロシア交響楽団を指揮しチャイコフスキー:未完成交響曲「ジーズニ」やチャイコフスキー:交響曲第5番を演奏して好評をはくした。その時もダイナミックな指揮ぶりに大いに感銘を受けたものである。今回は演奏曲目がベートーヴェンの交響曲の中でも一番好きな、明快でビートのきいた「交響曲第7番」であったので尚更であった。第4楽章の狂喜乱舞状態の現出になると、自然に体が動きだしリズムをとりたい衝動にかられそうな程、演奏に酔いしれた。終わってもその余韻がまだ残っていた。他の人も同様に感動を受けたようで、楽団員が退席し、観客も席を立ち始めても拍手はなりやまず、コンサートマスターと共に再びステージに現れ拍手に応えていた。今月は、他にズービン・メータ指揮のウィーン・フィル、10月にはアラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィル等の大物が来日し、芸術の秋に相応しくクラシック業界も大賑わいである。ウィーン・フィルは昨年も来日しその時の指揮者はリカルド・ムーティであった。彼は実力、人気とも兼ね備えた世界的な指揮者で、何時かの演奏会ではCDが早々と売れ切れてしまっていた。

 先週は彼岸があり、突発的な用事もでき結構忙しい日々が続き、心労も重なり精神的にもかなり疲れていたので、よい命の洗濯になったようだ。昨夜は久し振りに朝まで熟睡であった。病気にも音楽療法と言うのがあるようだが、音楽の効能は大である。

 そもそもクラッシックが好きになったきっかけは、学生時代に友達に誘われて、イスラエル・フィルが来日し、その時初めてクラシックの演奏会に行ってからである。その日は1960年12月8日で鮮明に憶えている。あれからはや半世紀近くにもなる懐かしい青春のひとコマである。演奏曲目はベートーヴェンの「交響曲5番・運命」であった。音楽とはこんなにも素晴らしいものか、その時は鳥肌が立った。それ以来クラシックの虜になってしまった。余程印象が強かったと見え、いまだに大事にその時のチケットをしまっている。朝日新聞の音楽評欄には「弱奏の美しさに驚く、試練に絶えた魂の叫び」「すばらしい弦楽器」と絶賛している。たまたま退職の年、2000年3月4日にズービン・メータの指揮によるイスラエル・フィルの演奏会が大阪シンフォニーホールであり、弦楽器の奏でる美しさに感動し、退職記念の思い出として心に残っている。

 それ以後もクラシックの中でも主にオーケストラの演奏会にはよく行ったものだ。ウィーン・フィル、ベルリン・フィルはじめ、ロンドン・フィル、サンクトペテルブルグ・フィル、ライプチヒゲバントハウス・フィル、アムステルダム・フィル、ミュンヘン・フィル、チェコ・フィル、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア・フィル、モントリオール・フィル等世界の主だったオケには大体行っているようだ。

 イスラエル・フィルは來春にも来日の予定のようで是非行きたいと思っているが、同じ頃にミュンヘン・フィルの演奏会もあり、演奏曲目がベートーヴェンの「交響曲5番・運命」のようで、どちらにしようか迷っちゃうな。いずれにしても楽しみなことである。

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彼岸花

2009-09-20 15:49:04 | 日記・エッセイ・コラム

 秋の彼岸の頃になると彼岸花が田んぼの畦道や土手に一斉に咲き始める。何でもこの頃に開花するので、この名前がついたそうである。曼珠紗華とも呼ばれ、その名は仏典の「魔訶曼陀羅華曼珠紗華」から出てきたといわれている。そのほかユレイバナ、テンガイバナ、ステコバナ等地方によって呼び方も様々だ。黄色や白い彼岸花もあるようだ。

 歌にも「じゃがたらお春」の 赤い花なら曼珠紗華 阿蘭陀(オランダ)屋敷に雨が降る  とか山口百恵が歌った「曼珠紗華」 マンジューシャカ恋する女は マンジューシャカ罪作り 白い夢さえ 真紅に染める と言うのもある。

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お祝い三重奏

2009-09-10 16:02:58 | 記念日

 家内が更生保護女性会の功績により法務大臣感謝状受賞の栄誉に浴することになり、更生保護制度施行60周年記念全国大会に出席のため一緒に上京する。家内は最近、足の具合が思わしくなく治療中であり、荷物を持って交通機関を利用することが負担になりそうなので、安全策をとって都会の行き来にも慣れている私が同行することにした。

 更生保護制度施行60周年記念全国大会は東京国際フォーラムを会場にして開催され、天皇皇后両陛下がご臨席になられお言葉を述べられた。森法務大臣、石原東京都知事が主催者側を代表して挨拶、続いて来賓として出席されていた麻生総理(あと1週間程の任期で人気もなく気の毒であった)、江田参議院議長らが祝辞を述べられ、全国から5千人もの参加者が集い、広い会場を埋め尽し盛大な式典であった。会場で偶然近所の谷さんに出会い隣合わせに座った。谷さんも保護司として受賞のため出席されていて、世間は狭いなあと思った。

 大会の後、息子夫婦、孫らも駆けつけ、夕食を兼ねてささやかなお祝いの会を都内のホテルで行う。これに便乗して私の古希、偶然息子の誕生日とも重なり一緒に祝杯を挙げ、至福の時を過ごす。。ホテルへ向かう途中、東京宝塚劇場の前で劇場から出てくるスターを待ち構えている熱狂的なファンの群れにでくわした。これは東京ならでの光景である。夕食の後、送迎の車で埼玉の幸山荘に向かいそこで宿泊する。アットホームな雰囲気で心ゆくまでくつろぐことができた。

 翌日は息子の嫁の運転で都内見学をした。大混雑している一般道や、何本もの道路が立体交差し複雑な首都高速道路もスイスイと飛ばし、いつの間にか運転が達者になっているのに感心した。東京タワーにも足を運んだが、修学旅行の引率で上って以来、37年ぶりのことであった。37年前とでは増上寺、芝プリンスホテル等が前のままのたたずまいを見せていたが、周りは高層ビルが林立して風景が一変していて、昔の面影はなかった。新しいタワーも建設されているようなので、修学旅行の思い出のある東京タワーに行ってみたくなったのかも知れない。その後、森田千葉県知事の公約で通行料金が割安になり、例の土日、祭日の千円料金で交通量が大幅に増え、話題となっている東京湾アクアラインの海ほたるに向かう。千葉方面には行かず海ほたるで折り返し羽田空港より帰途につく。東京側の浮島より海ほたるまで約9キロがトンネルばかりで、海ほたるより千葉側へは橋で続いているようであった。海ほたるからは東京湾が一望でき平日にも拘わらず大勢の観光客が訪れていたが、もうここへは来ることはないだろうと思った。

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