三枝草日記

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大相撲・WBC

2017-03-23 11:10:47 | スポーツ

 昨日、本当に久し振りに大相撲春場所の観戦に行って来た。前回、東京両国国技館の秋場所以来実に9年ぶりである。退職後、殆ど毎年九州場所こそ行かなかったが大阪、名古屋、東京と大相撲観戦は欠かしたことがなかったが、大相撲界の不祥事が続き何となく興味も薄れていた。両国国技館では一般発売はされていない溜り席で観戦できたので、テレビにもよく映っていたようだ。土俵真下で観戦していると、制限時間が迫るにつれて肌の色が紅潮していく様子やぶつかる音まで間近に聞こえ迫力がまるで違う。最近、稀勢の里の横綱昇進に伴い相撲人気も復活し連日満員の盛況となり、昨日も大声援が飛び交っていた。孫への土産のジャポニカ学習帳も稀勢の里の分は売り切れていたので白鵬の学習帳を買った。

 アメリカに留学中の孫娘はドジャースタジアムで行われるWBC日本対アメリカの準決勝を見に行った。昨日はおじいゃんは相撲、孫娘は野球観戦を楽しんだ1日となった。WBCは千載一遇のチャンスなので観戦を勧めてやったので、よい体験になったようだ。当日、ロスアンジェルスは珍しく雨模様の天気となり、行くかどうか大分迷ったようだが、試合は予定通り行われた。日本は惜しくも1―2で敗れ、2大会連続で準決勝敗退となった。息詰まる投手戦となったが、雨の影響もあり看板の守りのミスがでて取られた点が重かった。現地の様子は逐一LINEで知らせてくるので便利だ。日本人の応援は目に留まりフジテレビのインタヴューや侍ジャパン公式ツイッターの取材を受けたようだ。昨日は相撲観戦の合間にLINEやフェイスブックに投稿したり結構慌ただしかったが楽しい思いもした。


2017-03-15 16:24:41 | 日記

 彼岸前というのに今朝は雪が舞い春の淡雪となった。昨日は天候に恵まれ、孫の運転で綾部山梅林までドライブし良い気分転換となった。まだ免許取りたてのホヤホヤで運転は慎重そのものであったが、何時までも安全運転に心掛けて欲しいものだ。梅は丁度見頃を迎えていたが、観梅客は比較的少なく孫と同年代の人は殆ど気掛けなかった。赤穂「さくらぐみ」の予約が取れなかったので、綾部山梅林近くの割烹イタリアン「LA CHICHI」で昼食をとった。車1台がやっと通れる曲がりくねった坂道を上り詰めた所にレストランはあった。レストランの駐車場やテラスから播磨灘を一望できロケーションは最高であった。綾部山へドライブしている間にもアメリカの孫娘からLINEで写真が送信されてきた。なんでも週末を利用して小旅行をしたようで留学ならぬ遊学を結構楽しんでいるようだ。埼玉の孫も4月から中学校入学を契機に少年野球クラブチームに入り甲子園を目指すそうで、夢はデッカイ方が良い。野球に興味関心を持っているのでWBCの野球中継の様子ををLINEで逐一知らせてくるので、そこからお互いにやり取りが始まる。姉の方は高校ではソフトボール部で頑張っていたが大学も決まり、これから大学生活を謳歌してくれそうだ。

 


弥生

2017-03-09 16:03:06 | 四季・天候

 先月中頃より仕事が立て込み、盆と正月が一緒に来たような忙しさだった。肉体的にも精神的にも極限の状態まで行ったが、何とか持ちこたえることができ少し落ち着いてきた。度重なる高速道路を利用して夜間の長距離運転には特に神経をすり減らし他の精神的重圧も重なり長らく不眠状態も続いていた。一番忙しい時に税務署の税務調査も重なり、更に日を改めてもう1回来週あたりにあるようだ。しかしながら、年の割には元気で特に健康を害することもなく過ごせたのは仏祖のご加護の賜と言うしかない。楽しみにしていた後生掛け温泉の湯治もキャンセルした。そんな中で、カリフォルニア大学に短期留学している孫娘の便りが唯一の癒しとなった。カリフォルニア大学サンディエゴ校はノーベル賞受賞者20名を輩出しアメリカの名門大学だそうだが、早速クラス分テストがありチンプンカンプンだったようだ。英会話が少しでも出来るようになって帰って来たらと思っている。ホストファミリーの家も好環境にありご両親も親切なので安心している。東京理科大生の友達も出来て結構楽しくやっているようだ。男の孫も今春高校を卒業し、いち早く運転免許を取得して今喜々として道路で運転練習に励んでいるので、遠出の時に運転して貰える希望も湧いてきた。

 この時期、殺風景な庭に春を告げる白梅が満開になり、椿や満作も咲き始め春の訪れを感じさせるようになった。Spring is coming.胡蝶侘助、白侘助は奥ゆかしく人目につかない可憐な美しさに心惹かれ癒される。茶花としても人気がある花である。満作は春に他の花に先駆けて咲くので”まず咲く花”ということでだんだんと”まんさく”になっていったらしい。また、花がたくさんつくので「豊年満作」から命名されたとも言われている。