JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

西国三十三ヵ所追試めぐり③

2022-01-18 | 御朱印めぐり
西国三十三ヵ所の追試めぐり、六波羅蜜寺から革堂に向かいましょう。

清水道に戻り、熊野神社前で丸太町通に入るバスがあったはず・・・と思ったら202番がそれでした。清水道でバスを待っていると100番のバスを待っているお客さんが複数いましたので運休していることを伝えました。現在市バスの観光系統(100番台)は運休していますので利用できません。

202番に乗って裁判所前で下車し寺町通りを少し歩くと革堂があります。

革堂は正式には「行願寺」なのですが、誰もその名前で呼ばず「革堂」で通じます。1004年に行円により創建された天台宗のお寺です。現在は西国霊場で唯一の尼寺です。

行円は元は猟師をしており、鹿を射たところお腹から子鹿が生まれてきたことから殺生を悟り仏門に入ったとされます。射た鹿の革を身につけていたことから彼の創建したお堂も「革堂」と呼ばれるようになりました。西陣郵便局の南に「革堂町」という町名が残っている通りこの付近にあったようですが、秀吉の命により荒神口付近に移転、さらに大火により今の場所に移転しています。

本堂は1815年の築です。本尊は千手観音です。

近年革堂は「猫の寺」として知られています。地域猫(誰かが飼っているのではない地域で見守る猫)の住処となっており、寺で売っている猫グッズの収益や募金をえさ代に充てているようです。

京都の中心部にある小さなお寺ですが、境内は静かですので猫にとっても居心地がいいようで巡拝客にも人気です。

革堂の御朱印と御詠歌です。徒歩で厳しい山登りとなる札所が多いのですがここは楽にお参りできます。


革堂から歩いて六角堂を目指します。

六角堂も「頂法寺」が正式な名前ですが「六角堂」と言わないと分からない程になっています。本堂が六角形をしていることが由来とされ、六角通もこの六角堂に面していることから名付けられています。ちなみに佐々木源氏の流れをくみ近江南部に勢力を張った六角氏は六角通に屋敷があったことに因むそうです。

六角堂は平安京の遷都前、聖徳太子が創建したとされる天台宗の古いお寺です。本尊は如意輪観音で、太子の念持仏であったとされますが、戦後に行われた発掘作業により飛鳥時代の遺構は出てこず、文献に初めて出てくるのが藤原道長の日記であることから、実際には10世紀頃に創建されたと考えられています。

京の中心にあることから何度も火災に遭っており、幕末の1864年に蛤御門の変により起きた「どんどん焼け」にも巻き込まれて焼失しています。このため本堂は1877年に再建されたものです。

華道の池坊の当主が六角堂の住職を兼ねる慣わしとなっています。これは池坊の僧侶が本尊にお供えした花の生け方が評判となったことが起源とされます。

六角堂の御朱印と御詠歌です。


ここまで一日で回り切りました。京都市内では清水寺や醍醐寺も札所ですからこれらも回ることは可能かも知れませんね。残るは中山寺ですので次回ご紹介します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする