JF4CADの運用日誌2.5

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第56回 京の冬の旅に行ってきました①

2022-01-30 | 御朱印めぐり
毎年恒例の「第56回 京の冬の旅」を見てきました。

今年は「建築の美&茶人ゆかりの禅寺」をテーマに1/8(土)~3/18(金)までの予定です。

依然として新型コロナウイルスの感染が続いていますから、対象寺院が昨年の15ヵ所から12ヵ所に減らされており、昨年に引き続き事前予約も行われています。

今年の目玉は「今まで他も含め特別公開があったのか」と言われるほどレアな大徳寺大光院、40年ぶりの興聖寺、寅年に因んだ報恩寺あたりになります。大光院は1/17からの公開ですのでそれ以降に行けばいいのですが、オミクロン株の急激な拡大で「京の冬の旅」が中断もしくは途中打ち切りになる可能性が出てきましたので、1/16に大光院以外で回りたいところを先に回ってみることにしました。

今回は昨年も特別公開だったものの今ひとつだった大徳寺聚光院、西陣の興聖寺と報恩寺を回ってみます。大徳寺と西陣は徒歩圏内なので便利です。あとは周辺の寺社も回ってみたいと思います。


それでは大徳寺から。京都駅からですと地下鉄で北大路まで出て、あとは市バスで大徳寺前下車です。

大徳寺前の交差点に到着。

今日は女子駅伝があるので早めに切り上げましょう。

こちらの総門から入ると便利です。境内にはトイレがなく、この総門付近か消防署の出張所付近の公衆トイレしか利用できません。ご注意を。

大徳寺は応仁の乱で荒廃しましたが、その後千利休らの尽力で復興、戦国武将や江戸期の大名達の菩提寺となった塔頭が建ち並んでいます。このため大徳寺の塔頭は広い境内にたくさんあり、ここで大まかな場所を確認しておくといいです。常時公開されている塔頭、年数回公開されている塔頭から拝観謝絶の塔頭まで様々です。

大徳寺の宗務所のお隣が聚光院です。ちなみに大徳寺自身も年数回特別公開があるのみですが、御朱印は宗務所でいただけます(現在は書き置きのみ)。

昨年も訪れた聚光院に到着。

1566年に三好長慶の子・義継が長慶の菩提を弔うため創建した塔頭です。三好長慶は三好家の地盤である阿波や讃岐などの国力をバックに畿内を押さえ、室町幕府の将軍・足利義晴らを京から追放し「天下人」となった最初の人物です。しかしながら部下であった松永久秀の台頭に抗えず病もあって43歳でこの世を去っています。その後一族である三好三人衆や久秀が実権を巡って争うことになり、割って入ってきた織田信長が畿内を平定してゆくことになります。また聚光院は千利休の菩提寺ともなっています。このため2年連続での公開となったのでしょう。

重要文化財の方丈と、狩野永徳らによって描かれた方丈の障壁画(こちらは国宝)や茶室(重文)の公開で、昨年と変わっていません。障壁画は複製です。今年も門から中は写真撮影禁止だそうです。うわーっ塩対応。

しかも御朱印は書き置きで驚きの1体1,000円。大徳寺の塔頭は御朱印を頂けても書き置きというケースが多いのですが、これ1枚だけでこのお値段。拝観受付で案内に当たっている学生さんに受け渡しを頼んでいることもあり、言って悪いかも知れませんが「本当は公開したくないんだけどなぁ」という感じがしました。

ガイドや受付の学生さんに可愛い女の子が多かったのがせめてもの救いでした。


では早めに大徳寺を後にして興聖寺に向かいます。

道すがらに玄武神社があります。お参りしてゆきましょう。文徳天皇の皇子である惟喬親王(844-897)を祭神としています。惟喬親王は文徳天皇の長男として生まれたものの、藤原良房の孫に当たる四男の惟仁親王(のちの清和天皇)が皇太子となり皇位に就けませんでした。その後水無瀬や雲ヶ畑などで隠棲して生涯を終えています。

玄武神社は京の北を守るため惟喬親王をお祀りしており、春には「やすらい祭」が行われます。背景がマンションというのがいかにも今ですよね。

玄武神社の御朱印です。今月はこちらになるそうです。


興聖寺からは次回に続きます。御朱印情報はいつも通り最後にまとめてご紹介します。
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