「第56回 京の冬の旅」の続きです。
玄武神社から歩いて堀川通に出て、南に進むと大きな門があります。こちらが興聖寺です。
興聖寺は臨済宗興聖寺派の本山です。1603年に美濃の戦国武将・古田織部によって創建され「織部寺」の通称を持ちます。織部は信長・秀吉に仕え、関ヶ原では東軍であったため一万石の大名の大名となりました。一方で千利休の弟子となり茶人としても活躍、茶器や茶室、庭づくりなどに大きな影響を及ぼしました。
しかしながら大坂夏の陣で豊臣方に内通したとの嫌疑をかけられ切腹を命じられて生涯を終えています。漫画「へうげもの」の主人公です。この興聖寺は長らく座禅会くらいしか寺を開かず京の冬の旅では40年ぶりの公開です。なので私も初めてになります。
こちらが本堂です。本尊は釈迦如来で、脇には左に達磨大師、右に弥勒菩薩が祀られています。内部は撮影不可ですが、立派な龍の天井画もあります。
一方で方丈は撮影可です。
襖絵ならぬ「ふすま写真」です。写真家の杏橋幹彦さんが撮影したフィジーの海だそうです。禅寺としては非常に斬新です。天井画もきれいなのでぜひ鑑賞して見てください。
こちらは降りつくばい。式根島の「まいまいず井戸」のように渦巻型に掘り込んでいます。ここまで掘ったら地下水が出そうなのですが(汗)
こちらは茶室用のつくばい。織部灯籠との調和が見事です。茶室は撮影不可ですが、織部の作風を良く反映しています。
興聖寺の御朱印です。書き置きのみですが、2体セットですとフィジーの海をデザインした用紙に入れてくれます。気合い入ってます!!
なかなか拝観できないお寺でしたが、見所が多かったです。
そのまま堀川通を南に行き、上立売通を左にゆくと報恩寺の入口です。
途中には本法寺があります。本法寺も寅年に因んだ寺宝の公開をやっています。
こんな感じで迷いそうですがそのまま真っ直ぐ行き、突き当たりを右に進みましょう。
報恩寺は浄土宗の寺院です。創建は定かではありませんが、後柏原天皇が1501年に慶誉に命じて再興され、このときに浄土宗の寺院となったようです。その後秀吉が何度か訪れており(後述)、その時の経緯から「鳴虎」の通称を持つようになります。1623年には京に滞在していた福岡藩主の黒田長政が病のためこの報恩寺の客殿で亡くなっています。
建物内部は撮影禁止となっています。本尊は浄土宗なので阿弥陀如来像です。
報恩寺は何とも言っても「鳴虎図」です。中国の宮廷画家であった四明陶佾が描いたもので、後柏原天皇から下賜されたものです。秀吉が気に入り聚楽第に持ち帰ったものの夜通し虎が鳴くので眠ることができず寺に返したとの逸話があり、「鳴虎」とされます。通常は寅の年の正月三が日のみ公開なのですが、今年は「京の冬の旅」でも公開されます。ただし1/16までは本物、以降は複製が展示されることになっており、これもあって1/16に出かけました。
虎の毛並みのリアル感は見事です。
報恩寺の御朱印です。こちらも書き置きです。
報恩寺をあとにして堀川今出川までの途中にシュークリームの「オアフ」があります。
なぜに「オアフ」なのか分かりませんが、シュークリームと言えばオアフと言われるほど京都で知られています。お土産に購入。
バスに乗って河原町丸太町の微風台南でお昼です。
本格的な台湾屋台料理を出すお店で、いつも人気ですので空席があってラッキーと入店しました。今日は「排骨弁当」です。大きな豚肉の下にご飯や青菜炒めなどがあります。日本人向けに八角などを弱めにしています美味しいです。
今回はここまで。大光院に続きます。
玄武神社から歩いて堀川通に出て、南に進むと大きな門があります。こちらが興聖寺です。
興聖寺は臨済宗興聖寺派の本山です。1603年に美濃の戦国武将・古田織部によって創建され「織部寺」の通称を持ちます。織部は信長・秀吉に仕え、関ヶ原では東軍であったため一万石の大名の大名となりました。一方で千利休の弟子となり茶人としても活躍、茶器や茶室、庭づくりなどに大きな影響を及ぼしました。
しかしながら大坂夏の陣で豊臣方に内通したとの嫌疑をかけられ切腹を命じられて生涯を終えています。漫画「へうげもの」の主人公です。この興聖寺は長らく座禅会くらいしか寺を開かず京の冬の旅では40年ぶりの公開です。なので私も初めてになります。
こちらが本堂です。本尊は釈迦如来で、脇には左に達磨大師、右に弥勒菩薩が祀られています。内部は撮影不可ですが、立派な龍の天井画もあります。
一方で方丈は撮影可です。
襖絵ならぬ「ふすま写真」です。写真家の杏橋幹彦さんが撮影したフィジーの海だそうです。禅寺としては非常に斬新です。天井画もきれいなのでぜひ鑑賞して見てください。
こちらは降りつくばい。式根島の「まいまいず井戸」のように渦巻型に掘り込んでいます。ここまで掘ったら地下水が出そうなのですが(汗)
こちらは茶室用のつくばい。織部灯籠との調和が見事です。茶室は撮影不可ですが、織部の作風を良く反映しています。
興聖寺の御朱印です。書き置きのみですが、2体セットですとフィジーの海をデザインした用紙に入れてくれます。気合い入ってます!!
なかなか拝観できないお寺でしたが、見所が多かったです。
そのまま堀川通を南に行き、上立売通を左にゆくと報恩寺の入口です。
途中には本法寺があります。本法寺も寅年に因んだ寺宝の公開をやっています。
こんな感じで迷いそうですがそのまま真っ直ぐ行き、突き当たりを右に進みましょう。
報恩寺は浄土宗の寺院です。創建は定かではありませんが、後柏原天皇が1501年に慶誉に命じて再興され、このときに浄土宗の寺院となったようです。その後秀吉が何度か訪れており(後述)、その時の経緯から「鳴虎」の通称を持つようになります。1623年には京に滞在していた福岡藩主の黒田長政が病のためこの報恩寺の客殿で亡くなっています。
建物内部は撮影禁止となっています。本尊は浄土宗なので阿弥陀如来像です。
報恩寺は何とも言っても「鳴虎図」です。中国の宮廷画家であった四明陶佾が描いたもので、後柏原天皇から下賜されたものです。秀吉が気に入り聚楽第に持ち帰ったものの夜通し虎が鳴くので眠ることができず寺に返したとの逸話があり、「鳴虎」とされます。通常は寅の年の正月三が日のみ公開なのですが、今年は「京の冬の旅」でも公開されます。ただし1/16までは本物、以降は複製が展示されることになっており、これもあって1/16に出かけました。
虎の毛並みのリアル感は見事です。
報恩寺の御朱印です。こちらも書き置きです。
報恩寺をあとにして堀川今出川までの途中にシュークリームの「オアフ」があります。
なぜに「オアフ」なのか分かりませんが、シュークリームと言えばオアフと言われるほど京都で知られています。お土産に購入。
バスに乗って河原町丸太町の微風台南でお昼です。
本格的な台湾屋台料理を出すお店で、いつも人気ですので空席があってラッキーと入店しました。今日は「排骨弁当」です。大きな豚肉の下にご飯や青菜炒めなどがあります。日本人向けに八角などを弱めにしています美味しいです。
今回はここまで。大光院に続きます。