JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

駒込~小石川御朱印巡り①

2019-12-11 | 御朱印めぐり
都内でも比較的回りやすい駒込から小石川への御朱印巡りをしてきました。


その前に前日用事があって浅草に行ってましたのでこちらから。

まずは浅草のランドマーク・浅草寺です。

628年に創建された聖観音宗のお寺です。隅田川で漁師の網にかかった観音像を安置したのが始まりとされています。早い時期から絶対秘仏とされ現代でその姿を見た人はいないそうです。幕末に「本尊は存在しないのではないか」と噂が立ち、明治政府が検分したところ高さ20cmほどで両手足が焼失した状態ながら確かに観音像があったと言われています。

本堂は東京大空襲で焼失、1958年に鉄筋コンクリートで再建されています。元の本堂は1649年に建てられ戦前は首里城正殿(国宝としての登録名は沖縄神社拝殿)と同じく国宝に指定されていました。

実は尼崎の列車脱線事故の当日は月曜日で、その前日まで東京でがっつり遊んでいたため遅れて出社しようかと思っていたのですが、知り合いから浅草での買い物を頼まれ手渡さないといけないため朝から会社に出ていました。このため難を免れました。買い物のついでで偶然浅草寺にお参りしていたので観音様が「朝から出ろ」と背中を押してくれたのでしょう。このため浅草寺の近くを通るときはなるべくお参りするようにしています。

浅草寺の御朱印は本堂西にある影向堂で頂けます。浅草寺の公式サイトで御朱印のサンプルが掲示されていますが、実は聖観音の御朱印は「坂東三十三観音霊場」と「江戸三十三観音霊場」の2種類あります(朱印所で指定可)。さらに坂東は御詠歌もあります。御詠歌は朱印所にもサンプルがなく、聞いてみたら「可能」とのことで見開きでお願いしました。

浅草寺の御朱印(坂東)と御詠歌です。


お隣に浅草神社があります。

浅草寺との関係が深く、明治まではその一部でした。観音様を引き上げた漁師の檜前浜成・竹成兄弟らを祭神としています。このため社紋は漁網がデザインされています。浅草の三社祭はこの浅草神社のお祭りです。

現在の社殿は1649年に徳川家光の寄進で完成したものでお隣の浅草寺本堂は戦災で焼失しましたがこちらは無事だったようで戦後に重要文化財に指定されています。

浅草神社の御朱印です。この日私が最後だったようで残り福を頂きました。


それではJR山手線の駒込駅からスタート。

山手線の中でもマイナーな駅ですが、地下鉄南北線ができて少しは乗り換え客が増えました。
駒込駅のすぐ目の前に大国神社があります。1783年にこの地の大島家が大黒主命を祀ったことが創建とされ、1879年に神社としての形が整えられています。太平洋戦争で焼失、戦後に再建された社殿が老朽化したため2012年に境内を再整備しています。創建以来大島家が管理し現在に至っています。

ご覧の通り小さな神社ですがお参りする人は少なくないようです。

大国神社の御朱印です。右下のうさぎの判がかわいいですね。


大国神社から北に歩くと目立たないですがこんな案内があります。

ここを左に折れると駒込妙義神社があります。山手線の駅からすぐなのに静かな環境です。

日本武尊を主祭神としており651年に創建された豊島区では最古の神社です。15世紀には太田道灌が参拝し何度か戦に勝っており「戦勝祈願の神社」として知られているそうです。

太平洋戦争の空襲で焼失、1965年に再建されましたが社殿が老朽化したため現在建て替え中です。来年には立派な社殿が完成するとのこと。

駒込妙義神社の御朱印です。


妙義神社からJR駒込駅に戻る途中に地下鉄の入り口がありますのでここから本駒込駅に向かいましょう。続きます。御朱印情報は次の記事のラストにまとめて掲載します。
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