JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

「最後の宇高航路」に乗ってきました

2019-11-21 | シャック便り
四国フェリーが今年12月16日をもって宇野-高松間の航路を休止することを決めました。全盛期には4者の船がひしめき合っていた宇高航路はこの休航をもって全てなくなることになります。

そこで最後の宇高航路に乗ってきました。

※現在宇野-高松航路は子会社の四国急行フェリーが運航していますが、地元では誰もそんな名前で呼ばないので以下「四国フェリー」で通します。


宇高航路は1910年に国鉄が宇高連絡船の運航を始めたことが始まりで、戦後になって四国フェリー(1956)・宇高国道フェリー(1961)・日通フェリー(津国汽船・1959)と相次いで参入、4者の船が深夜も含め24時間運航され続けてきました。

特に宇高と四国は強烈なライバル関係にあり、宇高が同じ加藤汽船系の瀬戸内海放送(KSB)でCMを流すのに対し四国は岡山放送(OHK)で流していました。サービス競争も激しく、宇高が船内にエスカレーターを設置したり意味もなく噴水を設置したのに対し四国も風呂を設置するなどしのぎを削っていました。

最盛期には宇高が「昼も夜も19分ごと」、四国が30分ごと、国鉄と日通が1時間毎に船を出し、各社の船が狭い直島水道を宇野を目指していました。その合間を縫う形で四国汽船のオンボロ船が肩身狭そうに直島宮浦に入港しており、新造を重ねてイケイケ状態の今の四国汽船とは真逆でした。

ところが1988年に瀬戸大橋が開通、JR四国に移管された宇高連絡船は廃止となるものの橋の料金が高かったこともあり3社のフェリーは残って活躍を続けました。ところが相次ぐ橋の通行料金引き下げにより次第に利用が減少、一番体力の弱い津国汽船が四国フェリーとの共同運航に踏み切るもののそれでも会社を支えきれず2012年に破産、宇高国道フェリーも2012年10月に終航となりました。

残った四国フェリーは減便や運賃値上げ、高松側の専用埠頭を放棄しサンポートに移転するなど必死の生き残りを続け、行政も補助金を出して維持してきましたが利用の減少に歯止めがかからずついに休航を決めました。


神戸からの朝一番の高速バスに乗れば10時前に高松駅前に着きますから、高松港10時35分発の宇野行きに間に合います。

高松港で乗船券を買いましょう。なんと行列が。報道を見て「さよなら乗船」をするお客さんが多いようです。車もほぼ一杯だそうです。

「第一しょうどしま丸」に乗船しましょう。109年続いてきた宇高航路の最終ランナーとなります。

2000年に詫間にあった讃岐造船鉄工所で建造された993t・航海速力13.5ノットの船です。その名の通り高松-小豆島土庄航路で活躍、宇高航路の玉高丸が老朽化したため回されてきました。当初は土手っ腹に「Olive Line」のロゴが入っていましたが、2017年に伝統の「四国フェリー」に改められました。

でもなぜか「赤いファンネル」ことダミーファンネルにはオリーブのマークが。ここは本来なら四国フェリーのSFマークが入るべきところです。


「レッコ」の合図でエンジンがうなりを上げ高松を出航。四国フェリーの社歌とともにアナウンスが始まります。これがないと四国フェリーじゃないですよね。

船内に戻りましょう。前方がサロン席、中央が椅子席、後方が座敷というこの海域の一般的な構成です。中央付近に売店があるのですが・・・

この状態。この売店、船内でうどんを食べることができ長年名物となってきました。10人以上が並んでおり「分かってる人たち」ばかりなんですね。

私も並んでみましたが1人で調理から接客まで担当しておりなかなか進みません。ようやく直島が間近に見えてきたところでありつけました。行列が解消したのは既に直島水道を抜けあと数分で到着というところでした。売店のお姉さん大変だったでしょうね。

四国フェリーは土庄航路も含めゆで麺を使っており(姫路航路は冷凍麺だったような)、味をどうこう言うものではないですが、それでも瀬戸内海を見ながら食べられるのは楽しいです。


宇野が近づいてきました。四国フェリーの社歌を聞いてから下船の準備をしましょう。

お先に廃止された宇高国道フェリーの乗り場をかすめます。先端の浮き桟橋、まだ健在ですね。ここに船首側のホーサーをかけていました。

反対側には四国汽船の「あさひ」と「せと」が。「あさひ」は高松港を「第一しょうどしま丸」の出航より20分ほど前に出航しており、直島宮浦で乗下船をこなして宇野まで先着しています。「せと」は宇野-直島風戸専用でこちらは直島の別の顔である三菱マテリアル直島精錬所への物資輸送が主目的で徒歩乗船はできません。この航路については精錬所が絡みあまり言及してはいけないためここまでにします。

宇野に到着。折り返し高松行きも盛況のようです。これだけ乗ってくれたら廃止にならなくて済んだのですが・・・

瀬戸大橋ができて30年あまり。今の20代や10代の多くは岡山・香川県民でも宇高航路があったことさえ知らないそうです。華やかな当時を知る一人として終夜安全運航のため奮闘していた船や人たちがいたことを誇りに思います。最後の航海まで安航を祈りたいと思います。


宇高航路はこれにて廃止となりますが、実は宇野-高松間は四国汽船を利用することにより直島宮浦での乗り継ぎが必要になるものの引き続き船で渡ることが可能です。

宮浦の鼻先をかすめるためで、所要時間も宮浦に入港する分のロスだけで大きくは変わりません。

四国汽船のダイヤをよく見るとフェリーは高松-宮浦-宇野と動いており、例えば上で触れた高松10時14分発の直島宮浦行き「あさひ」は11時4分に宮浦到着後11時10分にはそのまま宇野に向かいます(11時30分着)。旅客や原付バイクはそのままスルーで乗り通せるような制度にすれば事実上宇高航路となります。四国汽船にとっても元々やっている航路であり、運用上もスルーで運航しているため無理なく宇高航路の乗客を受け入れることができるはずです。

行政が運賃差額分(四国汽船:820円 四国フェリー:740円で差額80円)を補助すればいいのではないかと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする