見もの・読みもの日記

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次男と女性皇族/松本清張の「遺言」(原武史)

2009-07-08 21:10:38 | 読んだもの(書籍)
○原武史『松本清張の「遺言」:『神々の乱心』を読み解く』(文春新書) 文藝春秋社 2009.6

 松本清張の遺作『神々の乱心』について、原武史さんが語るのを読んだのは、保阪正康との共著『対論 昭和天皇』(文春新書、2004)が最初だった。このとき、一二度『神々の乱心』(文春文庫、2000)を探したのだが、小さな書店には置いていなくて、そのまま諦めてしまった。

 いま、Amazonで同書の内容紹介を見ると、「昭和8年。東京近郊の梅広町にある『月辰会研究所』から出てきたところを尋問された若い女官が自殺した。特高課第一係長・吉屋謙介は、自責の念と不審から調査を開始する。同じころ、華族の次男坊・萩園泰之は女官の兄から、遺品の通行証を見せられ、月に北斗七星の紋章の謎に挑む」云々とあって、典型的な社会派推理小説のようだ。私もむかしはこういう小説を読んだっけなあ、と懐かしく感じた。

 著者の「読解」作業は、『神々の乱心』に現れる地名や人名を現実のものに比定することから始まる。たとえば、上記の「東京近郊の梅広町」は、東武東上線の東松山であろうと当たりをつけて、実際に調査に赴いている。さらには、秩父、足利(およびその隣りの佐野)、吉野へも。いかにも、空間の政治学にこだわる歴史学者らしいと思った。

 そのうえで、著者は、書かれなかった『神々の乱心』の結末について、3つのシナリオを提示する。最も蓋然性が高いのは「秩父宮を天皇にするクーデターが起こる」だという。そして、皇室における「次男」の重要性に注目した松本清張は、今日の皇太子と秋篠宮の関係を予見したいたのではないかと説く。え?と思ったが、『神々の乱心』が公表されたのが、1990年から1992年。秋篠宮は、1990年に結婚、1991年に眞子内親王が誕生している。兄・皇太子徳仁親王の結婚はまだ先(1993年)であるから、何割かの確率で、今日の皇位継承問題を見通していてもおかしくはない。

 いっそう興味深いのは、宮中祭祀と女性皇族の問題。現皇太子妃の病気が長引いているのは、宮中祭祀に適応できないためではないかともいう。かわいそうになあ。でも、日本の皇室からシャーマニズム的伝統を取り除くことに、私は積極的になれない。ちなみに現天皇・現皇后(幼少期からキリスト教の影響を強く受けた方だが)は、受け継がれた「伝統」以上に祭祀に熱心だという。

 天武系-天智系、南朝-北朝の対立を経て、昭和天皇の「弟」に擬せられた満州皇帝・溥儀まで、大胆に時代を超えて広がる連想は、茫漠として、やや説明足らずの感もある。今後の研究の深化を期待して待ちたい。

  

NHK「解説委員室ブログ」(2009/5/29 原武史氏出演)
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