見もの・読みもの日記

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神も仏も/牧島如鳩展(三鷹市美術ギャラリー)

2009-07-29 13:47:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
三鷹市美術ギャラリー 『牧島如鳩展-神と仏の場所-』(2009年7月25日~8月23日)

 牧島如鳩(まきしまにょきゅう、1892-1975)という画家を、どう説明すればいいのだろう。ハリストス正教の聖職者としてイコン(キリスト教の神や聖人像)を描くかたわら、仏画も手がけ、のちには両者を融合させた特異な宗教画を描いた。昨年秋、この展覧会が足利市立美術館で始まったとき、これが日本人の絵か、と疑うような印象鮮烈なポスターを見て、強い関心を抱いたが、結局、見逃してしまった。それが、嬉しいことに、足利→北海道をまわって、首都圏に巡回してきたのである。

 如鳩は、16才でお茶の水のニコライ堂の神学校に入学し、山下りん(1857-1939)にイコン制作を学んだ(この女性画家の名前も、私には初耳)。初期の如鳩で私が好きな作品は、左右一対の『祈祷の天使』(修善寺ハリストス正教会所蔵)。特に目新しい点はないのだが、心なしか東洋的な天使の表情が慕わしく、背景の青空がすばらしく美しい。この頃から仏画(正統的な観音像など)の制作も行っている。

 イコンと仏画が明らかに混じり始めるのは、戦後の小名浜(福島県)滞在時代である。木炭で描かれた『立ち涅槃』を見て、私は息を呑んだ。悲嘆にくれる弟子たちを尻目に、すっくと立ち上がった釈迦如来は、どう見ても「復活のキリスト」である。そして『一人だに亡ぶを許さず』。これも木炭画で、キリスト教の最後の審判を描いたものだ。伝統的な西洋絵画では、神の裁きの峻厳さを際立たせるため、永遠の生命を与えられた者と地獄へ墜ちる者を対照的に描くことが多いが、如鳩のキリストは、全ての死者にあまねく手を差し伸べている。しかもその姿は異形の六臂で、左右の細い柱が錫杖のようにも見える。これは不空羂索観世音だ、と私は思った。心念不空の索をもってあらゆる衆生をもれなく救済する=「一人だに亡ぶを許さず」という強い決意。キリストの本質は、裁くことではない、一人残らず救うことだ、と如鳩は信じたのだと思う。

 しかし、もっと衝撃的だったのは、小名浜港の大漁祈願のために描かれたという『魚籃観音像』。港町の人々は、この絵の完成を祝って、幌なしトラックに絵を載せて練り歩いたとか、今でも小名浜漁業共同組合長室の壁に飾られ続けているとか、およそ「近代美術」離れした逸話はさておき、宝冠を戴く観音の威厳に満ちた表情。それに比べて、はだけた胸の丸い乳房、黒っぽい腰布から透ける白い下半身は、恐ろしいほど妖艶(この色っぽさは、どんな写真を見ても再現できていない!)。周囲には、悦ばしげに群れ集う天使や天女、童子たち。はるか眼下に、正確に描き出された小名浜港の鳥瞰図も興味深い。

 晩年の如鳩は、文京区の願行寺(→ここ?)に庵を結び、禅僧・中川宋淵と親しく交流した。如鳩70歳のとき「宋淵老師より一打を受け」”鳥”が飛び去り、以後「如九」と名乗る。この頃に制作されたのが『極楽鳥』(絹本油彩、衝立)。これもまた、空前絶後の作品である。如鳩というひとりの人物の中で、キリスト教と仏教が核融合を起こした結果としか言いようがない。けれどもその青空は、若き日の如鳩が『祈祷の天使』の背景に用いたスカイブルーに似ているような気もする。青空に溶けていくような小さな鳩(?)の姿は、前景で必死に羽ばたいている(ように見える)極楽鳥の姿は、それぞれ何を意味するのだろう。

 如九の没後、彼の友人たちは、禅寺の禅行寺で、前例のないハリストス正教式の葬儀を執り行ったという。この実人生の「いい話」と、目の前の極楽鳥の美しさと、どっちに感激しているのか、自分でもよく分からないうちに、私は少し涙ぐんでしまった。鑑賞とか愛玩という言葉で表せない、人間と美術の関係について考えることのできる展覧会である。

7/30付記。このあと、禅林寺に足を延ばして、森鴎外と太宰治のお墓に参ってきた。こちらは黄檗宗なのね。駅前のギャラリーから徒歩10分。
コメント (2)
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