見もの・読みもの日記

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愛される人生/美人好きは罪悪か?(小谷野敦)

2009-07-09 21:28:36 | 読んだもの(書籍)
○小谷野敦『美人好きは罪悪か?』(ちくま新書) 筑摩書房 2009.6

 立ち読みのつもりで手に取ったら、意外と面白くて、そのまま買ってしまった。どのへんにハマったかというと、第1章の「小説のヒロインはしばしば平然と美人である」という指摘。たとえば漱石の『三四郎』を論ずるのに、最近のフェミニズム批評などは、三四郎を「男」の代表にし、美禰子を「女」の代表のように見立てるが、「美人や十人並み以上の顔のヒロインと、ブスであるヒロインとでは、自ずと生きる様相も、周囲の男たちとの関係も違ってくるはず」であるという。確かに。

 『ジェイン・エア』の主人公は、原作では美人ではない。ところがこれが映画化されて、不美人が演じたためしがない。これも確かに。小説以上に映像作品では、「美人でないヒロイン」をわれわれは許容しかねるのである。

 ただし「男はやっぱりバカ女は嫌い」だという。国会図書館や大学のウェブサイトでしばしば好みの美人を発見する、というのは、かなり著者の趣味が特殊だとしても(笑)、女も大学に行く時代になって、得をしたのはあまり美人でない高学歴女性、損をしたのは美人の低学歴女性、というのは、なかなか真実をついているかもしれない。六本木のキャバクラで、無知なキャバ嬢相手に話題に困った、という体験談には微笑を誘われたが、どこまで真に受けていいんだか。

 「美人の人生」も面白い章。山崎朋子を皮切りに、犬養道子、朝吹登水子、諏訪根自子など、裕福な家庭に育ち、しっかりした教育を受けた、豪胆で逞しい「美人」たちが紹介されている。彼女たちの人生の節目には、「美人でなければ起こらなかっただろう」展開が現れる。やっぱり「美人の人生」は、「十人並みの人生」より面白いのかもしれない。だから、小説や映画のヒロインは美人に限るのだろう。いちおう、学者の上野千鶴子もこの仲間に分類されているが、著者の態度はかなり冷笑的である。

 歴史上の美人と美人文化を論じた章は、表層的で少し飽きたが、分量にして半分くらいは楽しめる。ただし、電車の中で読んでいると、突然、ラブドール(いわゆるダッチワイフ)の写真が出てきたりして慌てる。しかし、日本製のラブドールって美少女なんだなあ。
コメント
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